14 秋の気配
自転車に乗って、青空の下を走る。モクモクと湧き上がっていた入道雲は、いつの間にか影をひそめ、空には秋を感じさせる雲が広がっていた。
自動販売機がポツンと立っている、小さな商店の前で自転車を止める。このあたりが、一番電波状態がいいってことを、僕はこの一か月の間に知った。
ポケットから携帯を取り出し、理紗の番号にかける。呼び出し音はすぐに消えて、代わりに理紗の弾むような声が聞こえてきた。
「もしもしっ? 歩?」
「うん」
「うそぉ、もう電話してくれないかと思ってた」
「ごめん……遅くなって」
理紗が「いいよ」と言って、電話の向こうで笑う。教室で、廊下で、テニスコートで、いつもこっそり盗み見していた、理紗の笑顔を思い出す。
「歩、元気にやってる?」
「うん、まあ。そっちは?」
「あたし今ね、大谷くんと同じ夏期講習通ってるの。そこで『歩、どうしてるかなぁ』なんて話になって……あ、柴ちゃんも一緒なんだけどね、みんなで南高受けようって、すごい盛り上がっちゃって……」
理紗の口から次々と出てくる、懐かしい名前も学校名も、もう遠い存在のように思えてくる。
「ごめん……理紗」
「え?」
「もう無理して、僕に電話しなくてもいいから」
僕の言葉に、理紗が一瞬黙り込み、そして怒った口調で言い返してきた。
「いつあたしが、無理したなんて言ったの? あたしは無理して、歩に電話したわけじゃないよ! あたしがどんな想いで、あのマスコット歩にあげたか……もしかして全然わかってないの?」
わかってる……わかってるつもりだけど……。
「……それともあんなヘンな物、いらなかった? もしかしてもう捨てちゃったとか?」
「捨てるわけないだろ!」
電話を持つ手に汗がにじむ。
「嬉しかったよ。理紗からあれもらえて……だけど……」
「だけど……何?」
「もう……変わっちゃったんだよ……」
あの日、あの最後の、理紗と別れた日。僕が理紗に自分の気持ちを伝えていれば、こんなふうにはならなかったかもしれないけれど……。
「……ごめん。理紗」
理紗は何も言わなくなった。
変わってしまったのは僕だ。僕はもう、理紗と昔みたいに笑えない。
「歩の気持ちが、変わっちゃったってこと?」
「ごめん……」
「ごめんばっかり言わないでよっ」
電話の向こうで小さなため息がもれる。鼻をすする音が聞こえて、そして理紗はもう一度息を吐いて、それから言った。
「わかった。もう電話しない」
「理紗……」
「あたしは絶対、南高行くから。それで、超カッコいい彼氏作るから。だから歩も、いろいろ頑張りなよ」
「……うん」
「それじゃ、さよなら」
あの日、言えなかった言葉を、今、僕は口にする。
「さよなら……ありがとう」
理紗との電話はそこで切れた。僕は理紗の番号を消去して、携帯をパチンと閉じる。そしてポケットから、理紗にもらったマスコットを取り出した。
理紗が作った、タヌキみたいなアライグマのマスコット。それをぎゅっと握って、もう一度大事にポケットにしまいこみ、自転車を押しながら歩き出す。
目の前に続いている真っすぐな道。ひかりの言葉がぼんやりと浮かぶ。
――どこまでも、どこまでも、歩いていったらどこに行くんだろう……あたしはどこに行けるんだろう……。
その言葉を振り切るように、自転車に飛び乗ってスピードを上げる。
頬に当たる風は、いつの間にか少しだけ、涼しくなっていた。