表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夏の果て  作者: 水瀬さら
13/20

13 夜空

 雨上がりの蒸し暑い風が、窓から吹き込む。僕は布団に寝ころび、ずっと天井を眺めていた。

 眠ろうと思っても眠れない。さっき見てしまった、ひなたの涙が頭から離れない。

 僕は部屋から抜け出すと、縁側から庭へ出た。


 あたりは真っ暗で静まり返っていた。庭から砂利道へ出て、ひかりたちの家を見る。部屋の灯りはもう消えていて、虫の鳴き声以外は何も聞こえない。

 僕は振り返り、ひかりの家とは反対方向へ歩き出した。別に行くあてなんかなかったけれど、なんとなく一人で歩きたい気分だった。

 ――だってさ、どこまでも歩いてみたかったんだもん。

 いつかのひかりの言葉が頭をよぎる。

 なんだ。やってることはあいつと同じだ。そう思ったらおかしくなって、なんだか笑えた。

 その時ふと人の気配がして、僕はビビって足を止める。

「……ひかり?」

 暗闇で目を凝らすと、そこに立っていたのはひかりだった。いつもみたいに、タンクトップにショートパンツ姿で、きょとんとした顔をして。

「歩? なにやってんの? こんな時間に」

「だから、それはこっちが聞きたい」

 僕はともかく、あんたは一応女の子だろう? 都会にいるような変質者はいないとしても、こんな真っ暗闇の中をたった一人で……。

「星を……見てた」

 ポツンと響くひかりの声。

「こんな綺麗な夜空、寝てたらもったいないよ」

 ひかりと一緒に空を見上げる。僕たちの上に瞬くいくつもの星。東京の空とは違う空。『夜空』というのはこういうものなんだと、あらためて僕は気づく。

「いつも、見てるの?」

 空を見ながらつぶやいた。

「いつも、一人で見てるの?」

「たまにね。眠れない夜とか」

「あんたでも、眠れない夜なんかあるんだ」

 僕の言葉にひかりが軽く笑って、ゆっくりと歩き出す。僕はそんなひかりの背中を、黙って見つめる。

 細くて小さくて、僕なんかよりずっと弱い、女の子の背中を……。

「自分のこと、忘れられちゃうのって悲しいよね」

 夜風に乗って、ひかりの声が流れてきた。

「自分だけがいなくなって、みんなから忘れられちゃうのって……寂しいよね」

 ひかりが前を向いたまま、ひとり言のようにつぶやく。そして小さく息を吐くと、僕に振り向いて言った。

「ひなたの病気ね……あんまりよくないんだ」

 僕はただぼんやりと、その声を聞いていた。

「ここに越してきたのはね、ひなたの最後の願いを叶えてあげて、少しでもたくさんの思い出を作って欲しいと思ったから」

「最後のって……」

 ひかりが暗闇の中で僕を見た。ひかりは笑っていなかった。

「……ごめん」

 ひかりの指先が、僕のTシャツをつかむ。ぎゅっと握りしめたその手が、かすかに震えている。

「ごめん……ちょっとだけ」

「ひかり……」

 ひかりの頭が、僕の胸にぶつかった。Tシャツを握りしめたまま、ひかりは声を押し殺すようにして泣いていた。

 いつもうるさいほど明るくて、世話好きで偉そうで、誰の前でも笑顔を絶やさなかったひかりが……。

 頭の中に浮かんだ「泣くなよ」も「頑張れ」も、声に出すことはできなかった。

 だってひかりはいつだって、泣かずに頑張っていたことを、僕は知っていたから。

 言葉の代わりに、右手でひかりの背中をなでる。ひかりは鼻をすすりながら、もっと強く、頭を僕に押し付けてきた。

 神様――僕はひかりの背中に手を当てたまま、空を見上げる。

 どうして……どうしてこんなことになったんですか?

 ひかりも、ひなたも、こんなにお互いのことを想っているのに……どうしてこんなに苦しまなければならないんですか?

 夜空から視線を移した闇の中に、小さな光が動いた。

「蛍だ……」

 僕の声にひかりがゆっくりと顔をあげる。

 草むらから飛び立った蛍が、僕たちのそばにすうっと近寄る。そっと伸ばしたひかりの手を、かすめるように蛍はまた消えてゆく。

 ――蛍は……自分が短い命だってこと、知ってるのかな?

 いつか聞いたひなたの声が、静かに僕の耳を通り過ぎていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ