11 神様って信じる?
ばあちゃんちの物置から引っ張り出した小さな金魚鉢に、昨日すくった金魚を放した。朝の光を浴びた朱色の金魚は、すいすいと水の中を泳ぎ始める。
「あっれー? もう起きてる。今日は早いんだね」
朝顔の咲く垣根の向こうから、ひかりがひょいっと庭をのぞきこみ、ぐるりと回って中に入ってきた。
「めずらしい。いつもあたしに起こされなくちゃ、起きられなかった人が」
「ていうか、あんた、元気じゃん」
金魚鉢を持って立ち上がる。ひかりがえへへっといたずらっぽく笑う。
「おかげさまで、風邪はすっかりよくなりました」
「嘘つき。風邪なんかひいてないくせに」
金魚を縁側に置いて、ひかりを睨む。ひかりはもう一度、へへっと笑う。
「まぁ、いいじゃん。ひなたとデートできたんだし」
「そういう意味じゃないんだよ。だいたいあんたは……」
「おやおや? 金魚一匹ですか? ひなたは二匹すくってきたけど?」
うるさい、それを言うな。ていうか、話そらすな。だけどひかりは、素知らぬ顔で縁側に座り、金魚鉢をつついたりしている。
僕は小さくため息をつきながら、そんなひかりの隣に座った。
「ひなたは? 疲れて具合悪くなったりしなかった?」
「ん……」
ひかりが金魚を見つめたまま、つぶやく。
「ちょっとね。熱出して、寝てるんだ」
「えっ?」
「あのね、盆踊り行ったからだとか、そういうわけじゃないよ? あの子が熱出すのなんて、しょっちゅうなんだから」
「でも……」
なんだかものすごく嫌な予感が頭をうずまく。けれどひかりはそんな僕に笑いかけ、太陽に向かって大きく伸びをした。
「さてと……出かけてくるかなー」
「どこに?」
僕の言葉にひかりが振り向く。そして、いたずらっ子のような顔をしてこう言った。
「一緒に行く?」
ひかりの前で僕はうなずく。
どうしてだろう……もっとひかりのことを知りたい、なんて、どうしてそんなことを思うんだろう。
自転車に乗って、ひかりの後をついて行く。朝の空気は澄んでいて、今日も空は青かった。
しばらく走って、ひかりが自転車を止める。そこは昨日ひなたと来た、神社の石段の下だった。
ひかりは慣れた調子で石段を駆け上がる。僕は黙ってそんなひかりを追いかける。
昨夜の名残が残ったままの、やぐらの脇を通り過ぎ、拝殿の前まで進んで、ひかりが鈴を鳴らす。静まり返った木々の上から、一斉に鳥たちが飛び立っていく。
ひかりはお辞儀と拍手をしてから、静かに手を合わせて目を閉じた。
「歩は、神様って信じる?」
もう一度お辞儀をした後、ひかりは振り向いて僕に言う。
「……どうかな。あんまり考えたことなかったけど」
「あたしも。東京にいた頃は、そんなに意識してなかった」
ひかりが静かに微笑んだ。そして突っ立っている僕の脇を、ゆっくりと通り過ぎる。
「でもさ、ここに越してきて、この場所見つけてからは、なんとなく毎日来ちゃうんだよね」
知ってる。ここでひかりを見つけた日から、何度も石段の下で、ひかりの自転車を見かけたから。
「ひなたがね、こういう田舎に住んでみたいって言ったんだ。小さい頃見た、アニメに出てくるような、大きな木や小さな川がある場所」
「だったら、ぴったりかも」
「でしょ? お父さんもよくこんなへんぴな所、見つけてきたよなーなんて」
ひかりはいつものように明るく笑ったあと、すっと僕から目をそらす。
風が、僕たちの間を吹き抜ける。ひかりは僕に背を向けて、急に黙り込む。
「ひかり……?」
その時、僕のポケットで携帯が音を立てた。いつもの癖でポケットには入れてあったけど、ばあちゃんちはいつも圏外だったから、その音を聞いたのは久しぶりだった。
「鳴ってるよ?」
ひかりがちらりと僕を見る。
「ん……」
もそもそと取り出して開くと、液晶画面に並ぶ知らない番号。一瞬戸惑った後、僕の胸に「もしかして」という気持ちが沸き起こり、かすかに震える指で耳に当てる。
「……もしもし?」
「あ、歩? あたし……理紗」
電話の向こうから聞こえてきたのは、懐かしい理紗の声だった。