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『私の作品を返して ~その契約、本当に大丈夫?~』

作者: 宗章
掲載日:2026/06/18




現在、個人の書き手に対し、海外Web小説プラットフォームからの勧誘が届く例が見られます。

本作は、契約内容を十分に確認しないまま投稿・同意してしまう危険性を、フィクションとして描いた注意喚起です。





 そのメッセージが届いたとき、私はベッドの上でスマホを取り落としそうになった。


『はじめましてミナさん! あなたの作品、拝見しました。すごく才能を感じます。ぜひ、うちのプラットフォームで世界に届けませんか? あなたの物語、もっと多くの人に読まれるべきです』


 ミナ、葉山ミナ、二十五歳。ペンネームは本名を使っている。会社員のかたわら、趣味で小説を書いては、投稿サイトに上げている。


 そんな、投稿作家の一人だ。


 PVが何百万もあるわけじゃない。それなのに、海外のWeb小説プラットフォーム「スターリット」の編集さんから、直々のスカウト。


 才能がある、世界に届ける――もっと多くの人に読まれる。


 執筆中に頭の片隅にいつも浮かぶ三つの願望が、花火みたいに弾けた。胸のドキドキが止まらない。だって、私の子どもみたいに大事に書いてきた物語が、ついに認められたんだから。


『ありがとうございます! ぜひお願いします!』


 反射的に返事を書いていた。


 スターリットからの返信も、早かった。


『嬉しいです! では、まずは会員登録をお願いします。そのあと、最初の数話を投稿していただければ、すぐに有料連載の手続きに進めます!』


 まず登録して。まず数話を投稿して。


 早く世界中の人に読んでほしいのに、思ったよりも手順がかかるらしい。


 登録ボタン。長い長い『利用規約』のチェックボックス。


 アプリを始めるときの、あの読まない長い文章。スワイプを四回して、「同意する」を押す。


 ストックしていた作品の数話の原稿を、アップロード。


 ――いま思えば、軽率だったと思う。


 私はこの時点で、規約をちゃんと確認しないまま、自分の物語を相手に「あずけて」しまっていた。






 連載は順調だったと思う。


 読者がついて、たまにランキングにも顔を出した。忙しいのか、似たような文面も多かったけど、編集さんは毎週「すごいです!」と送ってくれた。


 それから数日後、とうとう管理画面に待っていた通知が届いた。


『有料連載・収益化のご契約です。契約書をスクロールして、一番下に表示される「同意」ボタンを押してください』


 画面には、契約書が二つ並んでいた。英語版と、日本語版。


 二つのうち、日本語版の方を読んだ。


-収益の50%をクリエイターにお支払いします-


-あなたの著作権は、あなたに残ります-


 著作権は私のままで、収益は半分。少し警戒していたけど、良心的な内容。


 専属契約はさらにランキングに応じてボーナスがあることも書かれている。


 心が揺らいだが、友人の『独占契約はやめた方がいいよ』の言葉を思い出した。


 他のサイトに載せられなくなったり、自由が利かないことが多くなる。そんなアドバイスをくれた。


 ボーナスは魅力的だったけど、友人のアドバイスはもっともだったから、「非独占契約」を選んでから「同意」のボタンを押した。


-本契約は、英語版を正文とする。日本語版との間に相違がある場合、英語版が優先する-


 日本語版のずっと下、後ろから二条ほど上の項目に、そんな一文があったことには気づかなかった。


 契約は、成立した。






 一年ほどたったころには、収益は数万円近くにのぼっていた。


 実際に、何度か振り込みもあった。大きな金額ではなかったけれど、自分の書いたものが誰かに読まれ、お金になる。その事実だけで、私は嬉しかった。


 好調だった。


 そんなある日、さらに驚くできごとが訪れた。


 差出人は、日本の出版社。


『はじめまして。御作を書籍化、あわせてコミカライズのお話をさせていただけませんか』


 スターリットと並行して投稿している日本のサイト。そこにアップされた作品を見て、声をかけてきてくれた。


 非独占契約だから、ほかのサイトに載せても大丈夫。担当者さんも、そう言っていた。


 書籍化にコミカライズ。


 本屋さんに、私の作品が二つの形で並ぶ。


 特大の花火だ。


 私は「ぜひ!」と返信を書きかけ――それから、ふと、思い出した。


 ……スターリットの契約、大丈夫だよね?


 著作権は私に残っているし、独占じゃないし。たぶん、ひとこと言って掲載を下げてもらえば済む話だ。


 私はスターリットに、「日本の出版社さんから書籍化のお話をいただいたので、作品の掲載を取り下げたい」と送った。


 返事は、すぐに来た。びっくりするくらい早かった。


『おめでとうございます! とても素晴らしいことです。では、その出版社の方に、当方の連絡先をお伝えください。あとはこちらで進めますので、ご安心ください』


 ……あれ? 取り下げの話は、どこへ行ったんだろう。


 私はもう一度、取り下げの件はどうなるのかと送り直した。


『書籍化およびコミカライズについては、問題ございません。ミナさんご自身で出版社様とお話しいただいて大丈夫です。契約解除の必要もございません』


 私は、少しだけほっとした。


 書籍化はできる。コミカライズもできる。


 なら、やっぱり大丈夫だったんだ。


 そう思いかけたところで、次の文章が目に入った。


『ただし、契約上、翻訳、音声化、映像化、アニメ化、ゲーム化、配信、その他の二次利用および派生的利用に関する権利は、当社に許諾されています。これらの展開については、当社の窓口で対応いたします』


『さらにミナさんは、当社で有料連載中の作品を、日本の無料投稿サイトにも掲載されています。非独占契約であっても、他サイトでの公開方法には契約上の条件がございますので、この点についても確認が必要です』


 指が止まった。


 アニメ化。ゲーム化。映像化。


 そんなもの、自分には関係ないと思っていた。


 けれど、書籍化やコミカライズの先に、もし何かが広がったら。そのとき、私の物語は、私と出版社だけでは動かせない。


 非独占なら大丈夫だと思っていた。無料で読める場所に置いておけば、日本の読者にも届くと思っていた。


 でも、それも、私が勝手にそう思っていただけだった。


 喧嘩はしたくなかったけど、著作権が私にあることを強く訴えて、もう一度取り下げを主張した。


 帰ってきた返事は、思いもよらないものだった。


『著作権はミナさんに帰属しています。ただし、著作権と使用許諾は別物です』


 別物。


 持ち主は私。でも、使える権利の大半は、私だけのものではなかった。


『非独占契約のため、書籍化およびコミカライズについては他社様と進めていただけます。しかし、契約で当社に許諾された二次利用権は、契約期間中、引き続き有効です。掲載の取り下げをご希望の場合も、契約解除の手続きが必要となります』


 私はスターリットに、契約を解除したい、とはっきり伝えた。


 返事は、相変わらず事務的で、そして淡々と、とんでもないことが書いてあった。


『解除のお申し出、承りました。つきましては、解除に伴う返金についてご案内します。これまでにお支払いした金額の全額に加え、お客様の収入額に応じて、収益の二十倍を返金いただく必要がございます』


 二十倍。


 収益は、数万円。その、二十倍。すでに振り込まれ、少しずつ使ってしまったお金も含めた、収益の二十倍。


 目の前が、すっと暗くなった。


 でも、それでも――あの子を、本にしてあげたかった。


 私は、母に相談した。


 みっともない話だと思った。いい歳をして、趣味で書いた小説のために、頭を下げてお金を借りる。それでも母は、最後まで聞いて、ためらいながらも工面してくれた。「あなたがそこまで言うなら」と。


 お金は、できた。これで払える。これで、あの子をお迎えに行ける。


 私はもう一度、スターリットに連絡した。返金には応じます、と。だから、解除させてください、と。


 返ってきたのは、また、淡々とした一文だった。


『ご意向は承りました。ただし本契約は、契約締結日から三十六か月の経過後でなければ、解除のお申し込みをお受けできません。お客様は現在、契約締結日から十二か月が経過した段階です。期間経過後、サイトの専用フォームよりお申し込みください』


 三十六か月。契約して、まだ十二か月。


 ……あと、二年。


 お金は、用意できたのに。母にまで、頭を下げたのに。





 もう自分の手には負えなかった。


 私は、印刷した契約書を持って、弁護士の先生のところへ行った。


「これ、日本語版ですよね。英語の契約書は、お持ちじゃないですか」


「英語……ですか?」


 言われて、思い出した。


 スマホを取り出して、スターリットのサイトにログインする。契約のページを開くと、確かにあった。日本語版の隣に、ずっと長い、英語の文章。


 弁護士の先生は、しばらく英語版を読んでいた。やがて、静かに眼鏡を外した。


「葉山さん。正直に言いますね」


 嫌な予感がした。


「まず、日本語版は、参考でしかありません。あなたが読んで納得したのは日本語版だと思いますが、法的に意味を持つのは英語版です」


 先生は、もう一度英語版に目を落とした。


「それから、無料投稿サイトへの掲載については、相手から契約違反だと主張される可能性があります。非独占というのは、無料でどこにでも載せていい、という意味ではありません」


 私は、何も言えなかった。


「結論から言いますと、二年待って解除するしかないと思います。裁判という方法もありますが、契約書には相手の会社がある場所で争うと書かれていて、あなたはそれに同意してしまっている。二年以上の時間と、お話に合った違約金のさらに何十倍ものお金をかけて、外国で裁判するのは、現実的ではないと思います」






 私は、日本の出版社さんに、正直に打ち明けた。


 海外のプラットフォームと契約していること。いますぐは動けないこと。書籍化やコミカライズ自体は問題ないと言われていること。でも、電子版や海外版、翻訳、アニメ化やゲーム化などの権利は向こうに許諾されていること。日本の無料投稿サイトへの掲載も、契約違反と主張されるかもしれないこと。


 返事は、丁寧で、そして、はっきりしていた。


「事情は、よく分かりました。ただ――海外のサイトと、そういう契約が結ばれている作品は、弊社では、お預かりするのが難しいんです」


 担当さんは、言葉を選びながら続けた。


「書籍化やコミカライズ自体は問題ない、というスターリットさんのご説明は分かりました。ただ、出版は紙の本と漫画だけで終わるとは限りません。電子版、海外版、翻訳、宣伝展開、将来的な映像化やゲーム化。そういう権利の一部が外国の会社に残っている。そうなると、いざ本にしたあとで、向こうが何を言ってくるか分からない。あとからその権利を主張されたら、出した弊社のほうが、トラブルを抱えることになります。……正直に申し上げると、弊社にとっても、リスクが大きすぎるんです」


 結局、その作品は、日本の出版社からは出せなかった。


 出版社の人は「残念です」と言ってくれたけど、書籍化も、コミカライズも、立ち消えになった。






 それでも、書くことだけは、やめられなかった。


 私は、まったく新しい作品を書いた。


 書き上げて、私はその原稿を、声をかけてくれた出版社に持ち込んだ。


 担当さんは、読んで、面白いと言ってくれた。


 原稿を預け、二週間たって連絡が来た。


「申し訳ありません。法務から、葉山さんの作品を弊社で出版するのは、見送るようにと回答がありました」


「この、作品ではなく……私の……作品?」


 意味が分からなかった。


 担当さんは、言いにくそうに、言葉を選んだ。


「弊社の法務は、葉山さんの利用されていたプラットフォームを把握していました。同じようなケースが、何件もあるようです。それで、そういったプラットフォームと契約している作家さんの作品は、当面、お取り扱いをすべて控えるように、と」


「でも、これは別の作品です。設定も、登場人物も、ぜんぶ変えました。なんで、これまで――!」


 声が、上ずった。


「契約の期間中は、あなたが新しく書いた作品にも、向こうが優先的な権利を主張できる、と読める条項があります。しかも、それだけじゃない。設定や内容が、前の作品と少しでも関連していると見なされれば、それも危ない。……正直に言えば、向こうが、葉山さんの作品である限り、“関連している”とこじつけてくる可能性があります」


 こじつけ。


「まったく別の物語だと、葉山さんが思っていても、です。あとから『これはあの作品の派生だ』『シリーズの一部だ』と主張されたら――それを外国の契約のもとで争うことになる。出した弊社が、その訴訟リスクを丸ごと抱えることになるんです。だから、法務は……あなたの作品は、当面いっさい、と」


 それからあと、どのようにして話が終わったのかは覚えていない。


 母から「本はいつ出るの?」という連絡があった。私は、泣きながら事情を説明した。


 その晩、父から電話があった。


「契約書、とりわけ海外との契約書は、企業でもかなり気を遣うものなんだよ。専門の部署があって、弁護士までついて、それでも難しい。どこの国の法律で、どこの裁判所で争うか。たいてい、相手の都合のいいことが書いてある」


 電話の向こうで、父は、ゆっくりと言葉を続けた。


「しかも、こういう契約には、権利を別の会社に譲り渡していい、と書いてあることが多い。お前の作品の権利が、ある日まったく別の国の、別の会社に移っているかもしれない。そうなったら、誰を相手に、どこで争えばいいのか、それすら分からなくなる」


「ごめんなさい……」


「あやまることはないよ。今回は残念だったけど、お前の書くものは、プロに認められた。誇っていいんだ」


 父は、優しく頭をなでるように言った。


「これからも、――応援してるよ」






※本作はフィクションです。登場する人物・団体・プラットフォーム(スターリット)はすべて架空のものであり、実在のいかなる企業・個人・サービスとも関係ありません。特定の事業者の違法性や悪意を主張するものではなく、契約は内容をよく確認してから判断することの大切さを物語の形で伝えるために書かれたものです。実際の契約・トラブルに際しては、必ず最新の契約原文をご自身で確認し、弁護士などの専門家にご相談ください。




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― 新着の感想 ―
めっちゃ見覚えのあるお話しでした笑
ホラー映画みたいですね。結末が読めなかったです。
明日は我が身……と言ってしまうと、なんだか書籍化できそうなすごい作家のようですが。 でも書き手さんには、誰しも起こりうる話ですよね。 『契約』ですから、気をつけなければなりません。
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