7.Unluck!猛毒
肩に食い込むずっしりとした重み。それこそが、俺がこの三ヶ月間、血と汗を流して求めてきた力の証だった。都市・イラミジャの東門を抜けると、街道の両脇には見渡す限りの草原と、その先にある連峰が朝日に輝いていた。俺とクロエの次なる目的地は、東の果てにある港町・エンナビンだ。
「…ねえ、マシロ。本当にそれ、ずっと担いで歩くつもり?馬車を雇う余裕くらいはあるんだから、荷台に積めばいいじゃない」
隣を歩くクロエが、俺の背中の相棒を見上げて溜息をつく。
「バカ言え、クロエ。これは修行の一環だ。一歩歩くごとに、俺の広背筋と大腿筋が喜んでるのがわかる。重力こそが最高のトレーナーなんだよ」
「出たわね、筋肉至上主義。…まあ、いいわ。その重荷のせいで魔物に遅れを取らないならね」
クロエが予言したかのように、街道の先、木々の影から低いうなり声が漏れた。現れたのは、この付近を縄張りとする『フォレストラプター』の群れだ。鋭い爪と、素早い動きを誇る恐竜型の魔物。五体。普通の冒険者パーティーなら、前衛が盾を固め、後衛が魔法で足を止めるのが定石だが…。
「ちょうどいい。こいつの試し斬りだ!」
俺は背中の柄に手をかけ、一気に引き抜いた。空気を切り裂くような重低音が響き、黒い刀身が陽光を飲み込む。ラプターの一体が、その巨体に見合わぬ速度で跳躍し、俺の喉元を狙って爪を突き出してきた。
「遅ぇ!」
俺は回避しなかった。いや、回避する必要すら感じなかった。両手で握った大剣を、下から上へと、ただ力任せに振り抜く。ガシュッ!衝撃波を伴った一撃は、ラプターの強靭な骨格を紙細工のように粉砕し、その巨体を空高くへと打ち上げた。
「な…っ!?」
クロエが驚愕に目を見開く。大剣の重みを利用した遠心力は、俺の想像をも超えていた。一体を葬った勢いのまま、俺は独楽こまのように体を反転させ、残りの四体をまとめて薙ぎ払う。ただの横なぎが、暴風となって周囲の草木を煽り、みしみしと音を立てる。ラプターたちは何が起きたのか理解する暇もなく、その肉体を鉄塊によって斬殺され、物言わぬ肉塊へと変わった。
「…すっげぇ。片手剣の時とは、威力の桁が違う…!」
「…今の、魔法じゃないわよね!?ただの、素振りよね!?」
杖を構える暇もなかったクロエが、呆然と立ち尽くしている。
「ああ。遠心力と広背筋のコラボレーションだ。…よし、いける。この剣なら、冥王の軍勢だってまとめて消し飛ばせるぜ!」
返り血を浴びた大剣を布で拭い、無造作に担ぎ直した俺は再び歩き出した。その背中は、もはや一介の白魔術師のものではない。戦場を支配する破壊者のそれだった。
街道を進むこと数日。鼻をくすぐる空気の匂いが、土の香りから塩辛い潮の香りへと変わっていった。丘を越えた先に見えたのは、鮮やかな青い海と、無数の漁船が停泊する港町・エンナビンだった。
「わあ…! 潮風が気持ちいい!マシロ、見て!あの活気!」
クロエが少女らしい声を上げて駆け出す。イラミジャの質実剛健な雰囲気とは違い、ここは開放的で、街全体が市場のような熱気に包まれていた。
「最高だな。っと、その前に」
俺は街の入り口にあるギルドの出張所で依頼完了の手続きを済ませ、ついでに数日分の報酬を受け取った。今の俺たちには、少し贅沢をするくらいの貯えはある。
「クロエ、今日は奮発しようぜ。エンナビンといえば魚介が有名なんだろ?」
「いいわね! 私、大きな海老が食べたかったの!」
俺たちは港沿いにある、地元でも評判の食堂へと入り込んだ。運ばれてきたのは、まさに海の宝石箱だった。真っ赤に茹で上がった巨大なカニ、透き通るような白身魚の刺身、今にもとろけて零れ落ちそうな貝、そしてクロエが熱望していた、殻ごと網焼きにされた大きな『ヴォルテックスシュリンプ』。
「…っ、旨い!!」
プリプリとした身を噛みしめると、磯の香りと濃厚な旨味が口いっぱいに広がる。
「この身、最高だわ。マシロ、あなたのいた世界にこんなに美味しいもの、あった?」
「…いや、これは負けた。この新鮮さは、コンビニのシーフードヌードルじゃ逆立ちしても勝てねぇよ」
俺たちは夢中で食べた。明日のこと、修行のこと、冥王のこと。そんな重苦しいことは一度忘れ、ただ目の前の美食に溺れた。それが、この後に訪れる「地獄」への入り口だとも知らずに。
その日の夜。宿屋のベッドで深い眠りに落ちていた俺は、突然、腹の底をナイフで抉られるような激痛で目が覚めた。
「…っ!?ぐ、あ…っ!」
冷や汗が滝のように流れ、全身が震える。なんだ?刺客か?いや、違う。この痛みは内側からだ。胃袋が雑巾のように絞り上げられ、腸がのたうち回っている感覚。間違いない。…「当たり」だ。あの時食べた、貝。そういえばクロエは「貝類は怖いから私は遠慮するわ」と言い貝を避けていた。せっかく来たのにもったいないと、心配するクロエを揶揄いながら暴食していた自分を恨む。普段、どんなダメージを負っても「治るからノーカン」と笑っていた俺だったが、この内側からくる不快感と猛烈な腹痛には、流石に意識が飛びそうになった。
(くそっ…!そうだ『回復』だ…!)
俺は震える手を腹に当て、いつもの紋章を思い浮かべた。聖なる光が腹部を包む。だが…。
「…治ら、ねぇ…!?」
おかしい。外傷や骨折なら一瞬で塞がるはずの魔術が、この腹痛には全く効かない。痛みは和らぐどころか、増していく。胃がひっくり返りそうな吐き気がせり上がってくる。
(待て…。落ち着け。…『回復』は欠損した肉体を元に戻す術だ。今俺を苦しめているのは、肉体の欠損じゃない。体内に入り込んだ異物だ…!)
意識が混濁する中、俺は必死に脳内の深層へアクセスした。かつて空から落ちた時、そしてクロエを助けた時と同じ感覚。すると、いつもの『回復』や『自動再生』の紋章とは異なる、複雑な幾何学模様が浮かび上がった。
(これだ…!)
俺はその新しい紋章を、全身全霊をかけて強く、強くイメージした。イメージするのは、血液の中に混じった黒い澱みを、純白の光が浄化していく映像。
「…っ、ぬ、ぅああああああっ!!」
次の瞬間、俺の体から、これまでの『回復』とは比べ物にならないほど冷たく、透き通った光が溢れ出した。光は胃から腸、そして全身の血管へと駆け巡り、毒素を一つ残らず中和していく。一秒、二秒…。猛烈だった腹痛が、潮が引くように消えていった。額の汗がスッと引き、荒れていた呼吸が整う。
「…ふぅ、ハァ…ハァ…。…助かった…」
俺はそのままベッドに倒れ込んだ。痛みから解放された安堵感と、魔力を一気に使った倦怠感。だが、その心は不思議と高揚していた。
翌朝。宿の食堂に降りていくと、既に朝食を待っているクロエがいた。
「おはよう、マシロ。…あら、なんだか顔色が白いわね? 昨日の食べ過ぎ?」
「…いや、食べ過ぎってレベルじゃなかった。夜中に死ぬかと思ったぜ」
俺は昨夜の出来事をかいつまんで話した。貝に当たったこと。『回復』が効かなかったこと。そして、新しい紋章が浮かんで、痛みを消し去ったこと。クロエは食事の手を止め、驚いたように俺を見つめた。
「それ、『解毒』の魔術よ」
「『解毒』?」
「ええ。白魔術師の中でも、ある程度経験を積んだ人が覚える中級の魔術。毒素や病魔を浄化する力よ。まさか、食中毒で発現させるなんて…」
クロエは呆れたように肩をすくめたが、その目は笑っていた。
「でも、おめでとう、マシロ。これであなたは傷だけじゃなく、病や毒からも自由になったわけね。ますます化け物じみてきたわ」
「ハハッ、言ってくれるぜ。でも、これで確信したよ。俺の体が限界を迎えれば迎えるほど、新しい魔術が目覚める。…だったら、やることは一つだ」
「…嫌な予感がするわね」
「もっと追い込む。もっと、死の淵まで筋肉をいじめる! 毒が怖くねぇなら、腐った沼地での特訓だって可能だろ?」
「やっぱりそっちに行くのね…」
俺は元気よくパンを頬張った。新しく手に入れた大剣。そして、内側を浄化する『解毒』の光。冥王ネクロムはアンデッドを操り、死の病を振りまくと聞く。今の俺なら、その絶望にすら立ち向かえる気がした。
「よし、クロエ!食ったらギルドに行くぞ!エンナビンの周辺で一番ヤバい依頼を受けようぜ!」
「…はいはい。でもその前に、しっかりとお腹を休めておきなさいよね、狂戦士さん」
港町の朝。潮騒の音と共に、俺たちの旅はさらに深く、激しく加速していく。




