6.Get!相棒
「…九百九十八、九百九十九…千っ!!」
広場に、裂帛の気合いと共に汗が飛び散った。マシロの背筋が、岩肌のようにうねり、浮き上がる。異世界に放り出されてから三ヶ月。その月日は、一人の青年を劇的に作り変えていた。最初は片手剣を振るだけで息を切らし、魔術無しには痛みを感じていた腕。それが今や、丸太のような太さを持ち、肌の下には鋼鉄のバネを仕込んだかのような密度が宿っている。魔術師特有の筋力がつきにくいという呪い。それを、マシロは一日数千回の限界突破と、その直後の『回復』による強制超回復という、人道から外れたドーピング的特訓で完膚なきまでに破壊した。
「…ふぅ。よし、完璧だ」
マシロは立ち上がり、大きく伸びをした。関節がパキパキと鳴り、全身を漲る力が指先にまで行き渡る。
「マシロ、顔が怖いわよ。…また筋肉と会話してたでしょ」
呆れ顔で近寄ってきたのは、もはやお馴染みとなったパートナー、クロエだ。彼女はこの三ヶ月、マシロの異常な変貌を一番近くで見てきた。
「会話なんてしてねぇよ。ただ、確信しただけだ。…今日なら、あいつを迎えに行ける」
「…あの大剣のこと?正直、まだ無謀だと思うけど…今のあなたなら、あるいはね」
クロエは少しだけ期待を込めたような、それでいて心配そうな眼差しを向けた。
二人が旅人ギルドの扉を潜ると、瞬時にその場の空気が変わった。
「よお、不死身のマシロ!今日も一暴れか?」
「『血まみれの聖職者』のお出ましだぜ!昨日のボアの群れ、一人で壊滅させたんだってな!」
冒険者たちが、口々に声をかける。三ヶ月前、不審な目で見られていたひ弱そうな白魔術師は、今やこの町で知らない者はいない有名人となっていた。
「おいマシロ! うちのパーティーに来いよ。前衛が一人足りねぇんだ、お前がいれば回復役と盾役が一人で済む!」
「バカ言え、マシロはうちの専属だ! 報酬は山分けでいい、頼む!」
次々と飛んでくる勧誘の声。白魔術師という希少性に加え、タフさと前衛としての突破力を併せ持つマシロは、どのパーティーにとっても喉から手が出るほど欲しい逸材だった。だが、マシロはそれらを白い歯を見せて笑い飛ばす。
「悪ぃなみんな!俺の目標は冥王討伐だ!クロエと二人でネクロムの首を獲るって決めてんだよ。中途半端な依頼に付き合ってる暇はねぇんだ!」
「相変わらず、言うことがデカすぎて笑っちまうぜ」
冒険者たちは呆れながらも、その無謀な自信にどこか当てられ、楽しそうに酒を煽った。
マシロはそのまま受付を通り過ぎ、地下の備品庫へと向かった。案内したのは、かつて新規登録を担当した例の女性職員だ。彼女はどこか神妙な面持ちで、備品庫の最奥、埃を被った区画へとマシロを導いた。
「…マシロ様。実は、あなたがずっと狙っていたその大剣について、お伝えしなければならないことがあります」
彼女が指し示した先。三ヶ月前、マシロがビクともさせられなかったあの鉄塊が、変わらぬ威容でそこに横たわっていた。
「これは、ただのギルドの貸出品ではありません。…かつてこのギルドに在籍し、大陸中にその名を轟かせた白金級の冒険者が、突然の引退と共に置いていった代物なのです」
「白金級…。冒険者の最高峰か」
「はい。その御仁は、ある日突然『もうこれを振るう理由はなくなった』と言い残し、姿を消しました。以来、この剣を扱える者は一人も現れず…あまりの重さと呪いじみた存在感に、ギルドでも持て余していたのです」
職員は、マシロの目を真っ直ぐに見つめた。
「もしあなたがこれを使いこなせるというのなら、ギルドはこの大剣をあなたに無償で譲渡いたします。地下で錆びつかせるよりは、その異常な情熱を持つ方に託したい。…それがギルドマスターの判断です」
「俺にくれるってのか…。最高じゃねぇか」
マシロは一歩、大剣に歩み寄った。三ヶ月前は絶望を感じたその重量感が、今は挑戦として心地よく脳を刺激する。マシロは両手で柄を握りしめた。指の節々に力が籠もる。広背筋が、大腿筋が、三ヶ月かけて練り上げた筋肉のすべてが、一斉に同調を開始する。
「ぬ、ううううううっ…!」
咆哮と共に、大剣が床から離れた。ズズッ、という石畳を擦る重低音が響き、ゆっくりと、しかし確実に、鉄の巨躯が宙に浮く。
「…持ち、上げた…」
職員が息を呑む。マシロは、自分の背丈ほどもあるその大剣を、両手できっちりと構えてみせた。腕が震える。だが、それは拒絶の震えではない。強大な力と対話する歓喜の震えだ。
「ハッ…ハハハ!重い…!最高の重さだ…!」
マシロはそのまま大剣をゆっくりと下ろし、肩に担いだ。その光景は、もはや白魔術師のそれではない。死地から戻った覇王のような、圧倒的な威圧感を放っていた。
備品庫から這い上がってきたマシロの姿を見て、ギルド内は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
「おい…嘘だろ、あの大剣を持ち出したのか!?」
「あの鉄塊を!?狂ってる…あの重さは人間の扱える範疇じゃねぇぞ!」
マシロは驚愕と称賛が入り混じる喧騒の中を、悠然と歩いた。一歩踏み出すごとに、石畳がミシリと鳴るような錯覚を覚える。
「…待たせたな、クロエ。これが、俺の新しい相棒だ」
冗談めかして笑うマシロに、クロエは呆れを通り越して、感心したように溜息をついた。
「…まさか、本当にやってのけるとはね…。…でも、今のあなたにはお似合いね」
クロエは立ち上がり、マシロの傍らに並んだ。
「さて、マシロ。最高の装備も手に入ったことだし…そろそろ、この町の周辺だけじゃ物足りなくなってきたでしょ?」
「ああ。冥王の首まではまだ遠いが、まずはその第一歩だ。もっと強い奴、もっとヤバい奴をなぎ倒しに行こうぜ」
マシロは大剣の柄をぎゅっと握り直した。かつて白金級の冒険者が置いていった、過去の遺物。それが今、一人の脳筋白魔術師の手によって、再び歴史の表舞台に引きずり出された。
「よし、行くぞ。…次は、魔王軍の幹部くらいは引っ張り出さないとな!」
「ちょっと、いきなり飛ばしすぎよ!まずはランクアップの依頼からでしょ!」
二人の掛け合いは、いつものように騒がしく、そして希望に満ちていた。夕日に照らされたギルドの扉が開く。背中に巨大な鉄の絶望を背負い、手には聖なる再生の光を宿した男。世界で最も不釣り合いで、最も強引な救世主の旅が、真の意味でここから加速していく。マシロ・ホサカ。彼の真っ白な戦歴に、今、最初の伝説が刻まれようとしていた。




