5.Attack!戦闘
「よし…。一、二…っ、三…!」
朝靄が立ち込める広場で、俺は上半身裸になり、自分の限界を刻んでいた。あの日から一週間。俺の生活は極めてシンプルだった。朝起きて筋トレ、昼はギルドの依頼、夜はまた筋トレ。そして、限界を迎えるたびに『回復』で筋繊維を強制結合させる。クロエが言った「魔術師は筋力がつきにくい」という呪いのような摂理。確かに、普通にトレーニングをしていたら、俺の体はただ細くなるだけだっただろう。だが、俺の『超回復ショートカット』はその理屈を力業でねじ伏せた。水たまりに映る自分の体を見ると、あどけなかった肩のラインが、鎧を内側に仕込んだように盛り上がり始めている。
「…よし。今日はいける気がする」
俺は傍らに置いていた、例の平凡な片手剣を手に取った。初日はあんなに重く、鉛の塊のように感じた鉄の棒が、今は驚くほど手に馴染む。手首を軽く返すと、ヒュンと鋭い風切り音が鳴った。
「…マシロ。また朝からそんなバカげたことしてるの?」
欠伸をしながら、杖を携えたクロエがやってきた。
「バカげたことじゃない。成果だ。見てろ」
俺は片手で剣を握り、そのまま横に一閃した。ブレのない、鋭い一太刀。
「えっ…。あなた、それ、片手でそんなに軽く…」
クロエが目を見開く。彼女の常識では、白魔術師が鉄の剣を片手で自在に操るなど、魔法で身体強化を施さない限りあり得ないのだ。
「言ったろ。治るんなら、無限に鍛えられる。才能がないなら、回数で殴る。…さあ、クロエ。今日の依頼に行こうぜ。そろそろ、この剣を実戦で試したい」
今日の依頼は、町外れの草原に現れた『エルダーボア』の討伐だ。猪を二回りほど大きくし、全身を針のような硬い毛と苔で覆った魔物。銅級の冒険者にとっては、最初の壁と言われる相手だった。
「いい、マシロ。私は後ろから牽制するわ。あなたは…まあ、好きにしなさい。危なくなったら魔法を…」
「いや、俺が突っ込む。お前はトドメを刺す準備だけしてろ」
俺は言い放つと、草をかき分けて前方へ飛び出した。
「グルルル…ッ!」
三体のエルダーボアが俺に気づき、地面を蹴った。凄まじい突進。普通なら、盾を構えて耐えるか、回避行動をとる場面だ。だが、俺の足は止まらない。
「はあああああっ!」
最前列の一体に肉薄し、片手剣を振り下ろす。ズシャッ、という鈍い音が腕に伝わってきた。
「…っ!?」
剣がボアの首筋に食い込み、熱い液体が俺の頬に飛び散る。生き物の肉を切り裂く、粘り気のある感触。骨に刃が当たるゴリリという振動。それは、コンビニのつまみを選ぶような日常とは、あまりにかけ離れた死の生々しさだった。
(…これが、殺すってことか…)
一瞬、思考が真っ白になり、足が止まった。その隙を逃さず、別のボアが横から俺の脇腹に牙を突き立てた。
「がはっ…!」
衝撃と共に、脇腹が熱くなる。視線を落とすと、白いシャツが瞬く間に赤く染まっていく。
「マシロ! 下がって!」
クロエの叫びが聞こえる。だが、その声が俺の意識を現実へと引き戻した。
(何やってんだ、俺は…!怖いか?気持ち悪いか?…そんなわけねぇだろ!)
俺は脇腹を貫く激痛を、無理やり脳内で快感に変換した。
「ハッ…ハハハ!痛てぇなぁ…!でも、治るんなら、そんなのノーカンだろ!」
俺は左手を自分の脇腹に添え、叫んだ。
「『回復』!」
傷口から溢れ出す聖なる光。引き裂かれた肉が、突き抜けた穴を埋めるように蠢き、一瞬で塞がる。痛みはまだ残っている。だが、動ける。俺はそのまま、自分を突き刺していたボアの角を左手で掴み、強引に地面へねじ伏せた。
「次は、俺の番だ!」
右手の剣を、逆手に持ち替えてボアの脳天に突き立てる。今度は迷わなかった。感触を味わう余裕すらあった。
「…ねえ、あれ」
「ああ。俺も見間違いかと思ったが…」
草原の近くで別の依頼をこなしていた冒険者たちが、戦いの手を止めてこちらを凝視していた。彼らの目に映っているのは、まさに地獄絵図、あるいは喜劇だった。返り血で所々赤く染まった白いローブを纏った男が、剣を振り回して魔物の群れに突っ込んでいる。盾も持たず、回避も最小限。牙に噛まれれば、そのまま自分ごと剣を突き刺し、骨を折られても、自ら魔法で治し、再び立ち上がる。
「…ありえねぇ。あいつ、白魔術師だろ?」
「普通、白魔術師ってのは一番後ろで『痛いの飛んでけ』って祈ってる奴らじゃないのか?」
「あいつ…笑ってやがる。噛まれてるのに、笑いながら剣を振り回してやがるぞ…!」
マシロの戦い方は、洗練された剣士のそれではない。「自分が治る」ことを前提とした、捨て身の特攻。ダメージレースを挑み、自分だけが回復して一方的に勝つという、魔物側からすればたまったものではない戦術だ。
「マシロ!後ろ!『火炎弾』行くわよ!」
クロエが杖を掲げ、炎の弾幕を放つ。俺はそれを避けるどころか、火の粉を浴びながら最後の一体を真っ二つにした。
「ふぅ。お疲れ、クロエ」
俺は血と煤にまみれた顔で笑いかけた。
「…お疲れ、じゃないわよ!あなた、自分が白魔術師だって自覚、少しでもでもあるの!? 服はボロボロだし、見てるこっちの寿命が縮むわ!」
「でも、効率的だろ? 俺が全部引き付ければ、お前は安全に魔法を撃てる。白魔術師としての『回復能力』と、前衛としての『筋肉』。この二つを合わせれば、俺は最強のタンクになれるんだ」
「はぁ…、とんだ狂戦士ね…」
クロエはため息をつきながらも、俺の腕に残った汚れを水魔法で洗い流してくれた。
その日の夕方。俺たちがギルドに戻り、エルダーボアの素材を提出したとき、酒場の中は妙な静寂に包まれた。
「おい、あいつだ…」
「『不死身の白魔術師』…」
「いや、『血まみれの聖職者』だろ…」
いつの間にか、俺に変な二つ名が付き始めていた。受付の女性職員も、提出された素材の量を見て目を丸くしている。
「マシロ様…この短期間でこれほどの討伐数、そしてこの装備の傷み具合…。一体どのような戦い方をされたのですか?」
「ああ、ちょっと筋トレの成果を試しただけですよ。装備、また借りていいですか?」
俺が爽やかに笑うと、背後の冒険者たちが一斉に顔を引きつらせた。彼らの常識において、白魔術師は守るべき宝だ。しかし、目の前にいるこの男は、自分を肉壁として使い潰し、魔法を戦い続けるための燃料としか思っていない。俺はギルドの掲示板の前で、次なる獲物を探していた。手には、少しだけ重さを感じなくなった片手剣。そして脳裏には、あの地下備品庫で眠っている大剣の姿があった。
「マシロ、今日はもう休むわよ。お金も稼げたし、美味しいもの食べましょ」
「ああ。でも、食事の前に…」
「…また筋トレ?」
「当たり前だろ。あともう少し、大胸筋を厚くしたいんだ!」
俺はクロエを連れて、再び広場へと向かった。夕日に照らされた俺の影は、昨日よりもほんの少し、逞しく伸びていた。




