「……」
五月になった。
ぼくがかよう中学は全学年10組まであって、生徒の数が多い。
そのため朝の登校時は、流し台にためた水が排水口に流れこむかのごとく、校門に向かって生徒がどんどん吸いこまれていく。
そんな景色の中、ただ一人、地面にしゃがみこんでいる生徒がいた。
「ほら、こっちだこっちだ」
なにやら楽しそうな背中だった。
手に細い木の棒を持っていて、それを左右にサッサッとうごかしている。
それを追うように動いているのは、猫。
「ルキ。おはよう」
声をかけると、座ったままふりかえってニコッと笑った。
朝日をななめに受けて、こいつの明るい髪の色が、さらに明るくかがやいて見えた。
(あっ。これ……まずくないか?)
校門の前に立っているのは先生。
しかもあれは、きびしい指導で有名な先生だ。
「おーっす、アッちゃん」木の棒を茂みにポイっと投げて、猫の頭をなでる。「じゃまたな」にゃあと返事するようになき、猫はとことこ歩いて行ってしまった。
「ルキ。その頭、大丈夫か?」
「なにが?」
「校門にいるの、あれ、ゆるしてくれるタイプの先生じゃないぞ」
「へー。おれのこと心配してんの?」
「ぼくの体がもっと大きかったら、ルキをかくしていけたかもしれないけど……」
言うと、胸のところをグーでタッチされた。
さーっと風がふく。
ルキのショートの髪がゆれた。
「いい幼なじみをもったよ。アッちゃん。おまえは巻きこみたくねーから、先にいってくれ」
そのまま背中をおされ、ぼくは一人で校門をくぐった。
うしろをついてきたあいつは、やっぱり先生に止められたようだった。
そのそばを、ノーヘルのヤンキーっぽい男子が自転車でスーッと通りすぎる。先生は気づいてない。
もう少しタイミングをずらせば、逆にルキがつかまらずにすんでいたか?
朝礼がはじまるギリギリになって、やっとあいつは教室にはいってきた。
一見、けろっとしているように見える。とりあえず安心かな。
(『おとなしい子』かー……)
放課後。
ぼくはあてもなく図書室に足をはこんだ。
(なんとなく、こういうトコにいる女子はそんな感じだと思うけど)
きょろきょろして棚の間を行ったり来たり。
しばらくそうしていると、
「さがしものは何?」
と女子の声。
腕を組んで仁王立ちしてこちらをにらんでいた。
「え? いや、その」
「さがしものなど最初からなかった―――そうね?」
すべてお見とおしよ、と言わんばかりの断言。
あきらめて、ぼくはうなずいた。
すると、フンフン、となっとくしたようにうなずいて、その女の子は行ってしまった。
セーラー服のえりに二本、ツイストドーナツみたいな三つ編みの髪がゆれている。
(なんだったんだ今の……ただぼくに質問しただけ?)
一瞬、運命というか直感的なモノがあったが、
さすがにあの子は〈おとなしい〉とはいえない、そんな第一印象だった。
(ま。せっかくきたんだ)
ぼくは棚から本をとって、席についた。
近くの柱には夏目漱石の絵に「携帯の使用はいかんよ!」のフキダシがついたポスター。
(あ)
しまった。
座るときに席をよく確認してなかった。
けっこう空いてるのに、
だれか知らない女子の真隣にすわってしまったようだ。
はっきり顔は見ていないけど、さっきの三つ編みの子ではない。
(……)
(……)
おたがいに、前を向いたまま視野の外に集中してる感じ。
気まずい。
しかし、このままあわてて席をたつのもさらに気まずい。
(ええいっ!)
ぼくはかまわず本をひらいた。
そして何食わぬ顔で読書、読書、読書。
(……)
ときおり、チラチラとこっちをみられている。
だがなんとなく、「どっか行けよ」という攻撃的なものではないように思える。
図書室は静かだ。
この時期はエアコンもつけてないから、芯から無音。
柱時計がさすのは五時十五分。
まわりは席につく生徒がだんだん少なくなっていた。
少なくなればなるほど、となりあってすわっている男女のぼくたちが際立つ。
が、こうなればもうチキンレースだった。
先に立った方が負け。
(ところで彼女は何を読んでるんだ……?)
えらくごつい本だ。
有名な作家のなんとか全集みたいなそんな見た目。
根っからの本好き、そんな人なのかな。
(あ)
目が合った。
目元には細いフレームのメガネ。
前髪は眉毛にかかるぐらい、うしろの髪はゴムできちんと結ぶ、といったちゃんと校則をまもった髪型だ。
(あー……)
ぷいっ、と顔をそむけてそのまま立ち上がる。
小脇に大きな本をかかえて小走り。
なんか―――やっぱりさっさと席をかえたほうが良かったかな。
相手はきっと、ぼくをへんなヤツだと思っただろう。
翌日。五月二日。
今日一日がんばれば、明日から長い連休。
本来、うれしいイベントなんだけど、ぼくにとっては困りものでもある。
利用規約。
今月中に告白を同意してもらわないといけないのに、
またその相手すらみつかっていないなんて―――――はっ!
(……)
(……)
やってしまった。
考えごとしながらの着席はダメだって、きのうちゃんと反省したはずなのに。
(うわー)
これはミスった。
となりの彼女も、さすがに今日は席を移動するはずだ。
こんなのあきらかにスナイプだもんな。
放課後の図書室。
ぼくは昨日と同じ本をえらんでいた。
で、昨日のつづきから読み進める。
チキンレースになれた、とはいえないが、今日はけっこう集中できた。
一段落して顔をあげると、いつのまにか一時間もたっていた。
「あの……それ…………」
(えっ!!??)
一瞬、耳をうたがった。
おとなりさんからの(ぼくがムリヤリそうしたんだが)ささやくような声。
「むずかしそうな、本……だね」
それは、友だちに話しかけるような親しさはない、ほどほどによそよそしい言い方だった。
声変わりをすませた男子にはだせない、ひじょうに女の子っぽいやさしい声。
「あ、これは、プログラムの本だけど」
「プログラム? あの、授業でやったパソコンとかの?」
「そう」
「もう表紙の字から読めない……」
「これ? これはシープラスプラスって読むんだ」
と、そこでまわりの視線を感じた。
声をかけられたうれしさもあって、つい声が大きくなってしまった。
図書室は私語厳禁。
近くの柱にはられた太宰治の絵のフキダシにも、赤字でそう書かれている。
「おう。ここにいたのかよ、アッちゃん!」
いきなりうしろから肩に手がおかれた。
いっさい図書室なのを気にしていない声だ。
むかしから、こいつはこういうヤツだけど。
「いっしょに帰ろうぜ」
「え? ああ……」
そんな感じで、せっかく彼女と仲良くなれそうだったのに、ぼくは幼なじみのルキと下校することになった。
連休が明けた。
昼休み。
二階の廊下をあるいていると、
(あれ?)
一階のテラスにルキがいた。こっちに背中を向けているけど、髪の色であいつ本人なのがわかる。
「よぉ、おまえおれとつきあえよ」
「やだ。私、好きなやつがいるから」
下におりて、足音を消してそっちに近寄ってきこえてきた会話。
ぼくは大きめの花壇のうしろで姿勢を低くして、身をかくしている。
「私を呼び出したの、それが理由? もういっていいか?」
「まてよ」
ルキが二の腕をつかまれた。
体格のいい男子。
あれはたしか三年のヤンキーだ。
「好きなやつってだれよ。そいつとタイマンさせろよ。そんでおれ勝ったら、おまえはおれのもんな」
「……」
「いいだろ? おれのツレなら仲間内ででけー顔できんぞ」
「……」
「なんだよその目」
「カンちがいすんな。私はこういう髪してるけどな、アンタらと同じグループに入るつもりはねーよ」
「は!?」
おい、という怒鳴り声を無視してルキは立ち去る。
両手を頭のうしろに回した、平然としたポーズで。
ぼくはドキドキしていた。
これはあいつを心配したっていうより、あの三年のヤンキーとタイマンっていうのを想像してのものだ。
ぼくは一方的にやられるだろう。
(……)
いやな気持ちだった。きっと自己嫌悪ってやつだ。
結局、ルキの身よりも自分がかわいいっていうか、そういう……小さい男だった、ぼくは。
こんなやつに彼女をつくれる資格があるとは思えない。
(……告白、か)
ぼくはいったいなんでこんなことに巻き込まれ――――はっ! ……いや今日は大丈夫だ。問題ない。
放課後の図書室。
まわりにだれもいない席にぼくはすわった。
少し向こうに、今日もあの子はいる。小柄なうしろ姿。ときおりページをめくる手がうごいている。
近くの柱にはられた芥川龍之介の絵のフキダシには「少年老いやすく学なりがたし」。
そうだよな。
今のうちからしっかり勉強しとかないと、ぼくはゲームをつくれない。
ぼくの夢はゲームづくりだから。
しかし、どうにかこの利用規約に同意っていうゲームを攻略しないと、夢どころじゃな……
(ん?)
前のほうの席にいるあの子がふり向いた。
ぼくは反射的に小さく頭をさげる。
いやよく考えたら、まだそこまででもない、ほとんど赤の他人なんじゃないかぼくらは。
知り合いですらない―――えっ!!!
(……)
(……)
スススと静かな動作で、
本とスクバを手にもって、
彼女は席を移動してきた。
無言で、ぼくの席のとなりに。




