【影に呑まれし黎明】
神聖連合・縛鎖部隊、ネザリア目前。
鬨の声も上がらぬまま、数百名の兵士たちは戦列を組み、警戒を高めていた。
だが次の瞬間――
「……なっ……何が……!」
空間が、ねじれた。
黒い霧のような魔力が全方位に広がり、瞬時に各部隊を包み込む。
「動け――ぐ、が、体が……っ!」
「魔力の流れが……封じられてる!? こんな制圧――ッ!」
まるで意思を持つように滑る“影”が兵士たちの足元を這い、縛り上げていく。
無数の《影縛拘糸》が肉体と魔術回路を同時に拘束し、呼吸すらままならぬ空間を作り出した。
「ッ……何だこれは!?」
「全軍、散開して抵抗――がぁっ!」
叫ぶ前に、兵士たちの視界が暗転する。
リィナの刃が、音もなく喉元をかすめ――血ではなく、“意識”だけを断ち切っていく。
「ふふっ、ねぇねぇ。これって“寝た”ってことでいいの? それとも“捕まった”ってやつ〜?」
楽しげな声が響く。
その後方ではじゅぴが、手のひらで魔導盤を展開しながら軽やかに跳ねていた。
「起きてる子だけ、特別に追加拘束しとくっす♡ あ、無駄な魔法は禁止で~す♡」
《魔導阻害封界》が空間全体に展開され、兵たちは術も剣も抜けぬまま、次々に倒れていく。
「……ッ、まだ終わってはいない!」
指揮官格が叫び、手にしていた魔具を高く掲げた――その瞬間。
「そこまでだ」
重低音のように響く声。
黒い外套を翻しながら、せつなが“戦場の中心”へ転移して現れた。
「漆黒の……王ッ!」
数名の兵が、せつな目がけて魔法と武器を放つ。
だが――
『無駄だ』
その一言とともに、空気が爆ぜた。
飛来した魔術は触れる前に拡散し、武器は一切近づけずに弾かれる。
『我を捕縛しようとしたな?』
冷たい視線が敵兵をなぞる。
『――その企ては、すでに敗れている』
その言葉を最後に、襲いかかった者たちの視界が闇に包まれ、膝から崩れ落ちた。
「な……に、これが、“戦争”だというのか……!」
縛鎖部隊の一部は完全に包囲され、あっという間に“無力化”された。
残された数部隊――指揮系統の生き残りが判断を下す。
「……撤退だ! 全隊、魔導転位陣を使え、すぐに下がれ!」
転移陣が急速に展開され、いくつかの小隊が姿を消す。
撤退の選択だけが、せめてもの判断だった。
せつなはその様子を見つめながら、呟く。
『……逃げ場などない』
その後方で、じゅぴとリィナが並んで現れる。
「ふっふ〜、やっぱりせつなの出番は一瞬っすね〜♡」
「つまんない〜。もっと暴れたかったのにぃ」
「次は“本陣”じゃないっすかねぇ?」
せつなは静かに振り返る。
『……なら、準備を始めよう。我らが“進む”番だ』
影は、なお深く広がっていく。
次なる狩り場は、神聖連合そのもの――その心臓部へ。
神聖連合・中央支部前線軍、ネザリアへの一斉侵攻が開始された――その報せが、アールフェンに届いたのは午前十時過ぎ。
アールフェン冒険者ギルド・第七支部――
騒然とする空気の中、ギルド内では冒険者たちが次々と武具を手に集まり始めていた。
「神聖連合が……本当に、戦争を仕掛けたってのか!?」
「ネザリアに向かったって情報だ! 次はここが巻き込まれるかもしれねぇ!」
「ふざけるな……黙って潰されるのを待てってのかよ!?」
ギルドの中で、怒りと焦りが渦巻いていた。
そんな中、セリナが小さく眉をひそめながら、ゆっくりと皆の前に立つ。
「――待ってください」
その声に、場の空気が一瞬だけ静まる。
「……戦う必要は、ありません。ここは戦場にならない。少なくとも、そう“ならないように”動いてくれている人たちが、います」
「……は? セリナ、何言って……!」
「聞いてください。あのネザリアは、確かに強大な存在。でも、無差別に街を潰すような相手ではありません」
「そんなの信じられるかよ! 王国を一晩で滅ぼしたような連中だぞ……!」
「……その王国の末端にいた者たちが、今ここにいます。グレンさんたちが、どんな態度でこの街に接しているか、見てきたでしょう?」
誰かが息を呑んだ。 セリナは深く一礼する。
「お願いです。武器を取る前に、ほんの少しだけでいい……信じてみてください。この街は、“戦場”になんてさせません」
冒険者たちの間に、微妙な沈黙が流れる。
「……俺は、セリナを信じる」
グレンが、前へ出る。
「俺たちは、この街に救われた。戦火から逃れ、ここで命を繋いだ。だからこそ、ここを巻き込みたくはない。セリナの言葉は、“守る者の言葉”だ」
続いて、部下たちも次々と武器を下ろし始める。
「俺も……」
「自分の剣を、誰に向けるべきか、考えたい」
「……セリナちゃん。俺ら……どうすりゃいい?」
「……何もしないでください。どうか、そのまま。今は、それが“守る”ことになるから」
誰かが息を吐いた。 その波は、じわじわと広がっていく。 セリナは静かに、胸の内で祈った。
(……お願い。せつな様。あなたが言ったとおり、私は“この街”を、守ります)
ネザリア城・迎撃観測室
スクリーンに映る戦場は、まさに一瞬の出来事だった。
進軍してきた神聖連合の部隊は、各拠点で展開したネザリアの迎撃部隊によって、すべて“無力化”された。
決して殺さず、逃さず。すべて捕獲。 それは、“意思”を持った迎撃――ネザリアがこの戦いを“支配している”証明だった。
「……ふふっ」
声をもらしたのは、巫女――
その背後で控えるのは、彼女専属のメイド。 深い藍色の髪を結い上げ、黒を基調とした凛とした制服に身を包んだ、礼儀正しい女性だった。
「何か、お気づきで?」
「ええ……。この人たち、やっぱり普通じゃないわ。怖いのに、なぜか……少し、笑ってしまうの」
「恐れを抱きながらも、笑える――それは、真に強い者だけが持つ矛盾です。……今のあなたは、そういう状態なのでしょう」
巫女はその言葉に、ふっと目を伏せた。
「“何も感じない”って思ってたのに。変ね……」
メイドは微笑み、そっと一礼した。
「……お食事の準備が整っております。どうか、体をお休めくださいませ」
静かに扉が閉じる。
巫女の心には、かつてなかった感情が、ゆっくりと芽吹いていた。
そして彼女は、スクリーンの向こうにいる“彼ら”を見つめながら、静かに呟いた。
「……やっぱり、知りたい。この人たちのことを」
微かな興味。 それは、まだ戦いが終わらぬ証拠でもあった。




