【神なき神殿】
【神なき神殿】
ネザリア城・特別居住区
漆黒の回廊を抜けた先――
静謐に整えられた一室。調度は上質で、豪奢でありながらもどこか“穏やか”な印象を与えていた。
窓辺に立ち、外を眺める白銀の少女。
それは、神聖連合の“巫女”――今は、名を隠され、この城に迎え入れられた存在。
「本当に……この場所、奇妙ですね。戦場の中心なのに、こんなに静かで」
背後から、ふわりと声がした。
「はい。ここは、せつな様の“手の中”ですから」
声の主は、彼女の身の回りを世話するよう命じられたメイド――
漆黒のドレスに身を包んだ、目元まで隠した少女だった。
「ご不便はありませんか? 水や食事、調整の魔導器類に異常があれば、すぐに――」
「いいえ、大丈夫。……ただ、少し、不思議な気持ちです」
「……と、申しますと?」
「“囚われている”のではなく、“保たれている”ような感覚。
彼のもとに来たのは私の意思なのに、こうして扱われると……戸惑ってしまうのです」
「……それが、せつな様の“やり方”なのです。
敵であれ、味方であれ――必要と判断した者には、最高のもてなしを」
窓の外、漆黒の庭園に影たちが静かに巡回していた。
「……不思議ですね。彼は“この世界を制する者”として名を轟かせているのに……
その存在は、私の見た未来とは、どこか違って見える」
少女の瞳が、遠くを見つめていた。
神聖連合・上層評議室――
「……再確認する。前線部隊は“全滅”、巫女は“失踪”状態――だが、“戦闘の痕跡”が残っていたと?」
「はい。戦闘痕、魔力焼痕、部隊の残骸……完全な“襲撃”と見なすべきです」
報告官の言葉に、会議室の空気がさらに冷え込む。
「……ネザリアか」
「その可能性は高いと思われます。巫女が立ち去る前、最後に確認された場所には、彼らの影らしき痕跡が……」
「だが、なぜ抵抗の痕跡がほとんど残っていない……? 巫女は――戦ったのか?」
「それが……。あれだけの戦闘状況の中で、“巫女個人による攻撃の形跡”だけが極端に薄いのです。
まるで――自ら、攻撃を受け入れたかのように……」
「……まさか、協力したとでも?」
神聖庁の神官の一人が、半ば震えるように吐き捨てる。
「“神喚の巫女”が、異端の王に……?」
会議卓の空気が一変する。
「……民衆への情報は統制する必要がある。
“戦闘によって攫われた”という方向で、処理しろ。仮に彼女が自ら従ったとしても――公には絶対に出すな」
「だが、本当に“従った”のだとすれば……」
「……それは、“神が試練を与えている”という解釈にすり替えるのだ。神の正義は崩せん」
一同が押し黙る中――
「……次なる手段を取る必要があります」
低く、冷静な声が響いた。
「“神喚の巫女”を失った今、我らが取るべきは――異端の正体を明らかにし、“対処”すること」
「……具体的には?」
「“封じられていた部隊”の起動を検討します。
……“浄滅の鎖部隊”。あの“眠りの縛鎖”が、未だ有効ならば――」
重い沈黙が落ちた。
だが、確かにこの瞬間、神聖連合という巨大な宗教国家は――
“異端を滅ぼす”という最後の一手に向け、静かに舵を切り始めていた。
ネザリア城・白の間――
かすかに薫る香草と、磨き抜かれた黒の調度。その中央に用意された白亜のソファに、巫女はそっと腰を下ろしていた。
その目はうっすらと閉じられ――
「……また、“夢”を見ました」
控えめな声が、部屋に落ちる。
じゅぴが、隣のテーブルで紅茶を注ぎながら、眉をひそめた。
「夢っすか? また予知っす?」
「はい。……動きます。“縛鎖部隊”が」
「“眠りの縛鎖”、ねぇ……」
リィナが気怠げにソファの背に寝転びながら、爪を見つめたまま呟いた。
巫女はその名を口にし、少しだけ肩を強張らせる。
「……あの部隊は、かつての神聖戦役でも“最後の手段”とされた存在です。
ただ戦うだけでなく、精神干渉・封印・神聖拘束術式……。
それを神聖連合は――動かそうとしている」
リィナがやっと顔を上げ、鼻を鳴らした。
「ふーん。それで?」
巫女の視線が一瞬揺れる。
「……その前に、対処を……せつな様に伝えないと。遅れれば、こちらが……」
その時――
「聞こえたっすか〜? おつかれ♡」
じゅぴが笑顔で扉のほうを向いた。
そして――
『……聞いていた』
漆黒の王・せつなが、静かに姿を現す。
赤い瞳が、巫女をまっすぐに見据えた。
『神聖連合が、最後の札を切る。いい流れだ』
「えっ……?」
巫女が思わず声を漏らす。
『兵を割く必要もなく、彼らの“全容”が、我の前に姿を現す。
それに、影を封じる部隊ならば……逆に“強度の測定”にも使えるだろう』
「うっわぁ〜、わくわくするっすね〜♡」
「ねぇ、じゅぴ。ねえじゅぴ、殺していい?いいよね?」
「だから、だーめっすって♡! 巫女ちゃん生きてる間は、“生け捕り方針”継続中っすから!」
「えー。でもー。切りた〜い」
「リィナは“切る病”を治してから出直してきてほしいっす!」
「じゅぴのほうが病気っぽいけどねー、頭が」
「はぁ〜!? 今言ったっすか!?」
わちゃわちゃと騒ぐふたりを、巫女はぽかんと見つめた。
(……この人たち、ほんとうに、世界の“敵”なの?)
少しだけ、頬が緩んだ。
気づけば、微笑んでいた。
「なに笑ってるっすか?」
「……いいえ。ただ……少し、楽になっただけです」
(見えない未来が怖かった。でも――)
(この人たちの隣にいるなら、それも悪くないと思ってしまった自分が、少しだけ可笑しかった)
赤き瞳の王は、静かに言った。
『……備えを整えておけ。いずれ、迎えることになる』
そう――
ネザリアは“守り”も“待ち”もしない。
“来るなら来い”が、彼らの流儀。
そして、巫女は静かに思う。
――この者たちは、“神の予見”をも超える異端なのだと。




