【静寂の檻と揺らぐ影】
神聖連合・聖域最深部――
空気が張り詰めていた。
聖堂の奥深く、普段は結界によって封じられた一室が、静かに開かれていく。 その中心に、横たわる少女――いや、“巫女”がいた。
純白の寝衣。微かな呼吸。瞼は閉じたまま、まるで眠り姫のように安らかに見える。
だが、祈祷官たちの顔はひとつとして安らかではなかった。
「この時代に現れた異端は、あまりに強大で、あまりに不可解だ。ゆえにこそ――正面からぶつかる前に、“その全容”を知る必要がある」
長髪の老神官が言うと、他の者たちは息を飲んだ。
「異端に対抗するためには、“神の声”を聞く必要がある。我らに許される最後の“救い”を探るのだ」
老神官が結界符を掲げる。 その瞬間、光が収束し、巫女の周囲に満ちていた封印の力が静かに解けた。
次の瞬間――
「……見えました。あの瞳……灰と黒の間……」
少女の瞼が、微かに開かれる。
(また、あの夢……同じ顔。同じ、声……)
セリナの姿を、再び夢で見た巫女は、静かに目を開けた。
「……“彼女”は、此方に近づいています」
「彼女?」
「――旅人の名を借りた影。まだ正体は掴めませんが……ただの“観光者”では、ありません」
巫女の視線は空を仰ぐ。 その姿は、神に問うというよりも――自らに、問いかけていた。
(次、彼女に会う時……私の役目が、決まる)
その言葉を、老神官は逃さなかった。
「付き添いをつけよう。“観察対象”として、記録も開始する」
「……いえ。私自身で、判断します。……それが“神の意志”と信じて」
その声には、抗えない響きがあった。
神聖連合領・交易都市アールフェン・夜
一方その頃、セリナは神殿の裏区画にある聖具庫前に立っていた。
日中の探索では見えなかった“気配”を辿り、裏口から静かに侵入する。
(……巡礼者の動線には含まれていない通路。 けれど、昼に巫女が視線を外した“その瞬間”だけ、この方向をちらりと見たわ)
扉の前、簡易的な魔法封印。 《幻響連絡》で受け取ったじゅぴからの補助呪式を手元で再構築しながら、そっと結界を解除する。
(やっぱり……簡易だけど、“見られたくない”場所)
奥にあったのは、記録の保管庫。そして、予言に使われた“残滓”の痕跡。
「……これは……」
灰色の繭のような結界の痕。 夢を視た者の精神と記憶が、ここに記録として“留まる”仕組み。
(この巫女……本当に、“未来”を断片的に見ている?)
“見えていた”のだとすれば、セリナが接触した時の反応にも、納得がいく。
(厄介ね……でも、逆に言えば、“未来を信じて動く”というのは、利用価値がある)
(信じさせる未来を“見せる”ことができれば、操ることすら――)
視線を落としたまま、セリナの目が細くなる。
仮面の下、冷たい知性と計算が動く一方で――ふと、昼の“柔らかい声”が思い出される。
「セリナさん……ふふ。変わった目を、していますね」
(……なに、それ)
仮面の内側で、小さく眉が動いた。
目に浮かぶものが“未来”であるなら――彼女はもう、“セリナ”を知っている。
けれど、セリナは――彼女の未来を、まだ知らない。
(次は、“もっと踏み込む”)
気配を消しながら、彼女は闇に溶けた。
次なる接触は、遠くない。
そして、“巫女”もまた――同じように、それを待っていた。
神聖連合領・交易都市アールフェン
アールフェン冒険者ギルド・第七支部
「……やれやれ、ここの椅子は随分と座り心地がいいな」
グレン=ロウバルトは、木目の深い椅子に腰掛けながら、周囲の様子をさりげなく観察していた。
この街に流れ着いた“王国残党”という設定のもと、彼と数名の部下はギルドから仮の身分を与えられ、最低限の生活と情報の提供を条件に滞在を許されていた。
だが、それはあくまでも表向きの話。 本当の目的は――このギルド、ひいてはセリナが築いた“人間関係”が、守るに値するかを見極めることだった。
「へぇ……あんたたち、王都から来たってのはホントだったんだな」
声をかけてきたのは、見覚えのある青年、ルカ=フェイルだった。 セリナの仲間として報告書に記されていた人物の一人。信頼度は高いとされている。
「俺はルカ。この支部じゃ古株のほうだな。今は新人の面倒をよく見てる」
「……グレン。避難兵のまとめ役みたいなもんだ」
握手を交わす手は強く、粗野さはない。表情には警戒があるものの、敵意は感じられなかった。
「無理に馴染もうとしなくていい。……ただ、あんたたちが“俺たちのルール”を守ってくれりゃ、それでいい」
「……心得ている」
他愛ない会話の中にも、ギルド特有の“空気”があった。 無闇に詮索せず、それでいて排他的でもない。冒険者としての信頼は“共に仕事をする中で得るもの”という風潮が、確かに根付いている。
(……この空気。悪くない)
グレンは、隊の他の者たちにも観察を促していた。
一人は鍛冶場の老人と話し、一人は受付嬢に雑用を頼まれていた。 どの顔にも、恐怖も嫌悪もない。むしろ、同じ苦労をしてきた仲間として、どこか近い距離で見てくれているような――そんな視線。
(セリナが……この人たちと“情”を交わした理由、わかる気がする)
この都市の冒険者たちは、確かに“戦力”ではない。 だが、命をかけて生きている。誇りを持って歩いている。 それだけで、守るに足る理由には十分だった。
「隊長……」
耳元でささやいた副官の声も、どこか和らいでいた。
「この街……悪くないと思います」
「……ああ。俺も同感だ」
(せつな殿は、ただ情で判断したわけじゃない。“価値”を見たんだ、セリナの見ているこの光景に)
その日の夕刻。 グレンは報告書の最後に、こう書き記した。
――《対象:アールフェン冒険者ギルド・第七支部》
《保護対象として、十分に信頼に足る人物群である》
《……この街は、守るに値する》
仮面の裏で、静かに誓う。
彼女が背負った“感情”に応えるために。
そして、影として歩む者としての誇りのために。
影が、守る意思を得た――その瞬間だった。




