【影からの報告】
神聖連合領・交易都市アールフェン
市街地・小路の裏――夕刻
雑踏から外れた薄暗い路地。
レンガの壁に背を預けながら、セリナは深く息を吐いた。
(……この空気なら、魔力探知に引っかかる心配も少ないわ)
薄く目を閉じる。
精神伝達魔法《幻響連絡》起動。
空間に波紋のような揺らぎが生じ、やがて――
(……セリナより報告。現地での観測により、“神託の巫女”と呼ばれる存在の言動が、都市にまで影響を及ぼし始めたことを確認)
(夢による予知、霊的兆候の解釈、神聖連合側での“対ネザリア精神戦線”の形成が懸念されます)
(既に民間にもその噂は拡散中。冒険者ギルド内でも信仰系の者を中心に軽度の動揺が見られます)
(以上。情報、整理し次第追加報告します。せつな様)
連絡を切ると、セリナはそっと壁から背を離し、何もなかったように人混みに紛れていった。
ネザリア城・応接室
「ふーん、巫女、ねぇ……」
じゅぴは天井を見上げながら、小さく舌を打つ。
「予知とか、神託とか。要するに“偶然見ちゃった夢を神の声ってことにして話をでっちあげる”ってやつっすよね〜?」
「……巫女ってのは、時々“真実”を拾ってくるから厄介なんだよ」
リィナが壁にもたれて答えた。
その目は笑っていたが、声には冷めた警戒があった。
「偶然であれ、嘘であれ……“本物の真似事”が、民衆には一番効くんだよねぇ」
「神の名で集団を動かす。昔からのお決まりパターンっす♡」
じゅぴが指をくるくると回す。
その時、せつなが静かに口を開いた。
『……その巫女。個人としての強さは、我に及ばぬ。だが』
『“旗印”としては、機能する』
「つまり、“ネザリアに抗う希望”として祭り上げられてるわけっすね」
『セリナを引き上げる必要は、まだない。
彼女の観察と判断が、この“巫女”の性質を見極める手がかりになる』
リィナがくつくつと笑う。
「ま、いざとなったら潰せばいいんでしょ? ねぇ、せつな?」
『判断は後でいい。まずは……この“揺らぎ”が本物か、見極めることだ』
漆黒の王の眼差しは、静かに遠くの地を見つめていた。
神の名を掲げる者と、影に生きる者。
両者の間に、まだ姿を見せぬ“対決の種”が、ゆっくりと芽吹こうとしていた。
アールフェン冒険者ギルド・第七支部
朝のギルドは、いつもと同じ喧騒に包まれていた……はずだった。
けれどセリナの目には、その“喧騒”がどこか、ほんの少しだけ違って見えていた。
(……違和感。昨日よりも、確かに強くなってる)
受付嬢のミラがいつもより口数少なく、笑顔の持続が短い。
古参冒険者の一人は、妙にギルド内を見回してから祈りの印を結び、依頼掲示板に向かっていた。
(信仰系の動き……“内命”か、あるいは“布告”かしら?)
ほんのわずかな“染まり”が、街に、ギルドに入り込み始めている。
表面上は平穏でも、何かが動いている確信だけが、静かに増していった。
そして、カウンターの向こう、談話スペースの片隅。
セリナは水を汲むふりをしながら、一人の男へと歩み寄った。
「……今日も、見かけない顔が多いですね。」
それは、何気ない雑談のように始まった。
「“流れてきた者”には、覚悟がある。なら……何か一つでも、返していくつもりだ」
淡々と返すその声音に、かすかな懐かしさが混ざっていた。
セリナはカップに水を注ぎながら、目線を逸らす。
「……でも、それを理解してくれるとは限らない。何も知らない人たちには、きっと不安しか与えられない」
「……だろうな」
「だから、あなたたちがここにいることが、誰かの“負担”にならないように……私が、動いておきます」
それは、情報収集を担う者としての宣言だった。
同時に――
護るための、ひとつの“了承”でもあった。
「……あんた、今でも“仮面”を被ってるのか」
「ええ。……でも、少し息苦しくなる時も、あります」
ふと目が合う。
誰にも気づかれない、ごく短い“目線の会話”。
それだけで、互いに伝わるものがあった。
「……助かる」
「私は、命令に従っているだけですから」
口調は丁寧に。笑みは控えめに。
けれど、グレンの背中に刻まれていた“気配”は、確かにセリナの胸をわずかに揺らした。
(……ああ、また)
“情”を持ち込むことは、破滅を招く。
それはよくわかっているのに――
どこか、胸の奥がざわつくようだった。
数時間後。
セリナは、街の信仰関係の小教会や薬草店などをめぐりながら、細かな会話の端々を拾っていた。
「……中央から“声”が届いたらしいな。巡礼団の動きが増えるとか」
「“聖女の兆し”だっけ? ほら、“光の巫女”とか、そんな……」
「俺らの仕事には関係ないけどよ、ギルドの連中も微妙に神経尖らせてんぞ。上の指示かもな」
断片的だが、“中央の動き”が着実に波紋を広げている。
(“巫女”。……この世界で、それは神聖連合の“最大の象徴”)
(存在が“動く”ということは、何かの“始まり”を意味する)
歩きながら、セリナは静かに通信を開く準備を始めていた。
この揺らぎを――せつな様に、報告しなければならない。




