【揺れる兆し、動かぬ玉座】
ネザリア城・玉座の間――
深々と沈黙を湛えるその空間に、漆黒の光がわずかに揺れた。
玉座の上で瞳を閉じていたせつなは、ゆるやかに目を開く。
その赤い眼が、すでに何かを“視た”かのように、わずかに光を帯びていた。
「……ふん」
ただ短く、吐息のように声を漏らす。
その背後から、ひょこりとじゅぴが姿を現した。
黒基調のドレスをひらりと揺らし、ぴょんと一段、玉座の下まで跳ね上がる。
「せつな、セリナから来たんすね〜? 通信、受け終わった感じっす?」
「……ああ。予定より早かったが、想定内だ」
「ほほ〜ん……ってことは、やっぱ動いたんすね、“神聖連合”」
じゅぴは指を顎に当て、くるりとその場で一回転する。
「対話の使者を出すとか、街じゃ噂になってるらしいっすけどぉ〜……本音は“先制の準備”と見ていいっすよねぇ♡」
言葉とは裏腹に、その瞳は冷えていた。
「上っ面の交渉なんて、お決まりの時間稼ぎっす。“神”を祀ってる奴らのやり口って、ほんと性質悪いっすよね〜」
玉座の右手、音もなくリィナが現れる。
「……要するに、戦争はまだ終わらないってことだね。次は“正義の使者”の顔した信徒たちの番」
じゅぴが振り返る。
「うわぁ、来たっすね影の代表〜。……ってかリィナちゃん、またどこで血まみれになってたんすか?」
「消し残し。遊んでたやつ、見つけたから処理してきただけ。……すぐ済んだよ?」
「ふふふっ♡ この子だけはマジで平常運転っすね〜」
言葉を交わしながらも、両者の視線はすでにせつなに向けられていた。
その主は、今も変わらず、玉座の上から世界を見下ろしている。
「……せつな、どうするっす?」
じゅぴが問いかける。
「使者、来るなら迎えてやる? それとも――」
せつなは、赤い瞳をゆっくりと閉じた。
沈黙。
数秒の間を置いて、静かに口を開く。
「……まずは見よう。どの程度の器を持っているか。どれだけ偽っているか」
「セリナには引き続き街を監視させる。神聖連合がこちらの規模を把握していない限り……奴らは“対話”を装い、探ってくる」
「……それに、愚かな上層部に従う兵たちがまた踏み込んでくる可能性もある。今はそれに備えさせろ」
リィナが、スッと背筋を正して応じる。
「命令、了解。影部隊、各層に再配置しておくよ。……もちろん、“足音も気配も残さず”ね」
「じゅぴ」
「はいは〜い♡ じゃあ結界再調整して、転移対応と迎撃陣の微調整しとくっす!」
「“対話”を望む者には、“言葉”を。“踏み込む”者には、“絶望”を与えろ」
赤い瞳がゆっくりと開かれ、玉座の間に満ちる支配の気配が膨れ上がる。
「それが我の“応対”だ。――異論はあるか?」
「ないっす♡」
「……ない」
ぴたりと揃う二人の声が、静かに玉座へと届いた。
それは、疑いようのない忠誠の返答。
城は動き出していた。
次なる“敵”の足音に備え、誰よりも静かに、そして確実に。
ネザリアの黒は――再び世界に、影を伸ばし始める。
神聖連合領・聖都ルヴァリエ
神聖議堂・外縁の庭園
陽光を湛える白壁の回廊を、軽やかな足音が駆け抜ける。
「……選ばれたのは、“あの”ラヴェル殿らしい」
「まさか“主の声を受けた者”が、あの漆黒の城へ……!」
静かに交わされる囁き声が、神聖議堂の石造りの回廊を満たしていた。
議決の末、神聖連合が選出したのは――
【ラヴェル=アストライア】。聖典の継承者であり、“主の声を聴く者”とされる祝福者の一人。
若くして清廉な容姿と強い信仰心で知られ、聖都の民からも信望の厚い使徒だった。
白金の装飾をあしらった法衣に身を包み、金糸で織られた紋章入りのフードを深くかぶる。
「……では、行ってまいります」
彼は聖堂の正面でひざまずき、祈りの仕草を一つ。
背後に控える随行者たち――神官三名と、聖堂騎士二名もまた、言葉少なに頷いた。
「使者団、出立」
聖騎士が淡々と告げる。
陽光の下、整えられた石畳をゆっくりと歩き始める一行。
彼らを見送る神聖議会の面々の表情には、期待と不安、そして――打算が滲んでいた。
「……“対話”の使者、という名の探り。万一通じるなら、儲けもの。通じなければ……捨て駒」
「ラヴェル殿は、感情を顔に出さぬ。任務には適任だろう」
「だが……あの“王国”が滅んだ。交渉など、本当に通じると?」
「通じなくていい。“何が通じないのか”を知るための使者だ」
交わされる声は静かだったが、どれも“真実の対話”など望んではいなかった。
だが、そのすべてを知りながら――
ラヴェルは一言も口にせず、静かに歩みを進めていた。
(……漆黒の城。その存在は、私たちの聖典にも記録がない)
(神の名のもとに滅ぼされた王国。噂では、“一瞬”で全てを屠ったという)
(だが――)
(……私は、対話を試みるつもりだ。例えそれが、誰の意志にも沿わぬ道であったとしても)
(もしその者が“話す意思”を持つならば、それが例え“神の否定”であろうとも――)
白き使徒の目が、わずかに伏せられる。
その胸の奥には、聖堂育ちの者とは思えぬほどの“異端な願い”が、静かに燃えていた。
旅路は数日を要する。
神聖連合とネザリアの間には、確かに境界線がある。
だがそれは、言葉や文書ではなく――“理解と拒絶”という、深く厚い隔たりだ。
ラヴェルはそれを越えようとしていた。
自分でも気づかぬほど、真っ直ぐな意志を持って。
数日後、
彼は、黒の結界の縁――漆黒の王の“影”が届く場所へと、足を踏み入れることになる。
そこには、ただ静かに、迎えの“眼差し”が待っているとも知らずに。




