【仮面の微笑、影の足音】
【仮面の微笑、影の足音】
神聖連合領・交易都市アールフェン
市街地・中央広場周辺
人々の声が行き交う市場。
香辛料と果実の香りが混じる通りを、セリナは静かに歩いていた。
(……さて、まずは“日常”の中にある歪みを拾わなきゃ)
外套を軽くたたみ、ギルドバッジを見せながら笑みを浮かべる。
今は“人当たりのいい冒険者”の仮面。誰の記憶にも深くは残らない、けれど声をかければ安心するような少女。
「おはようございます。あの、この地図……最新版はこちらでしょうか?」
地図屋の店主が愛想よく答える。
「お嬢ちゃん、王国方面のは今もう出してなくてねぇ。最近そっちの馬車路が全部止まってんのよ」
(……情報遮断は想定通りね。流通も封鎖されてる。王国から出てくる“何か”を完全に断っているってこと)
次に立ち寄ったのは、路地裏の鍛冶屋。
客の冒険者たちが、鉄の手入れをしながら噂話に花を咲かせている。
「なぁ……王国騎士団、全滅したって聞いたか?」「いや、王都ごと消えたとか……」
(ふふ。どこまでが本当で、どこからが尾ひれなのかしら。……でも、“消えた”って言葉が自然と出てくるあたり、民衆の感覚って鋭いのよね)
表情は変えずに、静かに紅茶を啜りながら店を出る。
最後に立ち寄ったのは、神殿近くの茶屋。
聖職者らしき男たちが、神聖連合の動きについてぼそぼそと語っていた。
「聞いたか? 連合上層が“対話の使者”を送るらしいぞ」
「馬鹿な。相手がどんな存在かもわからないのに……」
(“対話”なんて、できると思ってるのかしら。……ほんと、お人好しというか、甘いわね)
セリナはそっと席を立ち、広場を見渡す。
(それにしても――やっぱり、揺れてるわ。この街全体が。王国が崩壊した“空白”に、みんなが怯えてる)
(さて……せつな様に報告するべき情報は、もう十分かしら)
静かに、仮面を整えるように口元に手を当て、微笑をひとつ。
「……それでは、任務を再開します。次の影に、進みましょうか」
南街の宿・屋上
昼の喧騒が遠く霞む高所の風の中、
宿の屋上、瓦の上にしゃがみこんだセリナは、深く静かに目を閉じた。
精神伝達魔法《幻響連絡》起動。
意識の深層へと繋がる極秘の波長が開かれていく。
(――こちらセリナ。報告いたします、せつな様)
(フィルデラへの潜入は完了しました。街の表層は平穏を装っていますが、内部には明らかな動揺が広がっております)
(特に“王国消滅”の件。一般市民には“消えた”という不確かな情報しか届いておらず、正確な理解には至っておりません)
(……民は、未だ“何が起きたのか”を認識できていないようです)
わずかな静寂の後――
脳内に、主の声が重く、静かに響く。
『……よくやった、セリナ』
(ありがとうございます、せつな様)
『神聖連合は動くか?』
(はい。街中では、“対話の使者”を送るという情報が出回っております。ただ、その一方で神殿関係者と思われる者たちは、警戒態勢を強めているようです)
(表面上は平和的な交渉姿勢を見せつつ、裏では“戦”を見据えた対応を取り始めている可能性が高いです)
せつな様の声が、一度だけ沈黙した。
そして――
『……ならば、迎える準備をしておけ。動きを見極めてから、我も応じる』
(かしこまりました。)
『今後も街の空気と連合の動向を観察し、異変があれば即時、報告を』
(承知しております、せつな様)
通信終了。
目を開いたセリナは、静かに立ち上がる。
瓦の上から広がる街を見渡しながら、風の中にひとつ、微笑を落とした。
(……せつな様が“何を見ているのか”、私も知っていたいわ)
(だから、任務も仮面も全部……捨てない。最後まで)
彼女は軽やかに屋根から降り、再び雑踏の中に紛れ込んでいく。
“仮面の少女”は、誰にも知られず、誰よりも深く――この都市を歩いていた。




