【影に通された道/黒き玉座の呼び声】
【影に通された道】
赤星亭――夜の静けさが深まる頃
扉が閉じられた後も、ルーガはその場を動かなかった。
グレン=ロウバルトの背を見送り、手元の空いたグラスに視線を落とす。
静かに、右手の指先が空中に描くように動き――
淡く揺れる魔力の紋が浮かぶ。
精神伝達魔法《幻響連絡》、起動。
せつなとの間にのみ繋がる、極秘の精神波長チャネルが開かれる。
(――こちらルーガ。目標との接触、完了しました。
グレン=ロウバルト、揺らぎ明確。明日、単独で城へ向かう決断を確認。現在、離脱済み)
数秒の沈黙。
やがて、空気を震わせるように、主の声が返ってくる。
『……よくやった。揺らぎを見極めた判断も正しい。
迎えを寄こす。……“影路”を通せ。案内はリィナに任せる』
(了解、せつな様。認識区分は?)
『――“影を渡る者”。あくまで客人として扱え。
……ただし、選別は終わっていない。決して油断するな』
(承知しました。魔力タグを城側へも送信済み。侵入処理、問題なし)
『ならば、動け』
通信が途絶える。
魔力の揺らぎが空気に溶け、再び宿は元の静寂へと戻る。
ルーガはゆっくりと指を下ろし、グラスを回しながら、誰にともなく呟いた。
「……さて。ここから先は、王の目の届く場所だ」
琥珀色の酒が、ゆらゆらと波打つ。
「生きて戻るも、沈むも――すべて、あの玉座が決める」
影はすでに、王国の内側へと伸びていた。
そして一人の男が、その影の中に足を踏み入れようとしている。
その先に待つものが、救いか、裁きか――それを知る者は、まだいなかった。
【黒き玉座の呼び声】
王都・東門――戦争三日前/夜明け前
夜の帳がまだ空に残る頃。
グレン=ロウバルトは、一枚の外出申請書だけを持って王都を出た。
“城外視察”。それは、ただの偽装。
彼の向かう先は、国家にとって最大の禁域――ネザリア城。
(……たとえ、どんな結末が待っていようと、自分の意志で確かめる)
東門を抜けた先に、見覚えのある男が立っていた。
「来たな、隊長」
ルーガが壁にもたれ、ゆるく片手を挙げる。
「……待っていたのか?」
「うん。“予定変更”ってやつだよ。お前を迎えに来た“客人扱い”の使者がいる」
「……使者?」
そのとき、気配が現れる。
森の影から、一人の少女がすっと歩み出る。
黒と銀を基調とした戦闘服のようなメイド装束。
手には武器の気配すら感じさせないが、気配は剣以上に冷たい。
「――迎えにきてあげたよ、隊長さん。ふふ、緊張してる?」
現れたのは、リィナ=シュヴァルツ。
「案内役はぼく。“せつなの影”って呼ばれてるんだよねぇ。
あ、でも安心して。今日は刺したりしないから」
無表情なまま、甘ったるい口調でそう告げる。
グレンは思わず息をのんだ。
その存在感は、少女というにはあまりに異質すぎた。
「……本気で、“王”の側近が……」
「うん。せつなが“影路”を通せって命令してきたからねぇ。
だからぼくが、“ちゃんと見張りながら”お迎えに来たんだよ」
「見張る……?」
「だって、まだ“選別”終わってないもんねぇ?
ぼくが案内するけど、道中で“間違った動き”したら……ふふ、わかるよね?」
小さな笑み。だがその奥にあるのは、紛れもない“殺気”。
ルーガが苦笑して肩をすくめる。
「安心していいよ、隊長。何もしなけりゃ、リィナは基本的に“従順なメイド”だからさ。……たぶんね」
「…………」
返す言葉を探す前に、リィナがふわりと手を上げる。
「じゃ、いこうか。隊長さん。“せつな”が待ってるからねぇ」
足元に影が広がる。
黒く揺れる魔方陣が、空間そのものを包み込んでいく。
「ここから先は、ネザリア。“支配者の城”への直通ルートだよ。
選ばれなきゃ通れない。……つまり、今のあんたは、“ちょっとだけ特別”ってことだねぇ」
影が広がり、三人の姿を飲み込んでいく。
ネザリア城・謁見の間――
荘厳な闇と沈黙に包まれた広間。
漆黒の玉座が、言葉なくすべてを見下ろしていた。
リィナが前に出て、くるりと振り返る。
「ここでお別れだよ、隊長さん。……せつなの前では、ちゃんと礼儀正しくしてね?
さもないと、“お掃除対象”になっちゃうかもしれないから」
無邪気なようで、脅しのような声。
ルーガも距離を取り、玉座の先へ目をやる。
グレン=ロウバルトは、一人、玉座の前に立った。
「……グレン=ロウバルト。王国軍第七調査隊、隊長。
命を賭して、“話をしに来させて頂いた”」
静寂。だが確かに、その場の空気がわずかに動いた。
支配者は、そこに在る。
謁見は、いま始まろうとしていた。
敵と味方の線引きが曖昧な中で、今回登場したグレンは「王国」という巨大な体制と、「玉座の支配者」に挟まれた最前線の人間。
そんな彼が自分の意志で玉座に歩み寄る姿は、これまでの命令に従う兵士とはまったく異なる「新たな道」を示してくれました。
次回はいよいよ、支配者と対話をする者としてのグレンの謁見。




