【傍観の限界/届いた慈悲】
【傍観の限界】
王国軍・第七調査隊詰所――戦争決定より七日後(残り三日)
机の上には、作戦計画書の束。
刻々と変わる部隊配置図に、補給経路の更新通知。
命令は次から次へと下りてくる。
――戦争は止まらない。
グレン=ロウバルトは書類に目を通しながら、無意識にペンを止めていた。
(あと三日……)
満月の夜。
王国は“漆黒の城”に総攻撃を仕掛ける。
もはや、それは誰にも止められない既定事項となっていた。
だが。
(……それで、本当に終わるのか?)
脳裏に浮かぶのは、あの玉座。
名も知らぬ、あの支配者の存在感。
そして――あの夜の、ルーガの言葉。
『この戦争が始まる前に終わるとしたら――』
信じられる話ではなかった。
だが、“ただの妄言”と片付けるには、あの男の目は澄みすぎていた。
(俺たちの誰よりも、現実を知っていた。……そんな気がした)
扉がノックされる。
副官が報告を携えて入ってきたが、グレンは手で制した。
「……俺は外す。しばらく、外の空気を吸ってくる」
「隊長……?」
「命令の範囲内で動くだけが、軍人じゃない」
そう言い残し、グレンは詰所を出た。
赤星亭――
日もすっかり沈み、王都の空に浮かぶ月は、かすかに膨らみ始めていた。
満月まで、あと三日。
木の看板に揺れる赤い星。
その下で、グレンはしばらく足を止める。
(まだ間に合うのか? それとも、もう遅いのか――)
扉を開けると、馴染みになりつつある小さな酒場の空気が出迎える。
奥の席。
変わらず、ルーガがそこにいた。
「……来たか、隊長」
「来るつもりはなかった。……だが、もう黙ってはいられない」
ルーガはグラスを持ち上げ、少しだけ笑った。
「なら、そろそろ本題に入ろうか。時間は――あまり残されてない」
グレンは黙って隣に座り、グラスを受け取る。
この夜、彼はついに“決断への道”に足を踏み入れた。
【届いた慈悲】
赤星亭――その片隅
ルーガは一呼吸だけ間を置いて、ぽつりと呟いた。
「……覚えておけよ、隊長」
グラスをそっと置いた彼の声には、静かに沈んだ重さがあった。
「“あの王”――漆黒の王はな。攻めてきた敵には、必ず最後まで応える。徹底的に、容赦なく、滅びるまでやる」
グレンは黙って頷いた。
あの玉座に立ったときの感覚。
言葉など必要なかった。“生”そのものが支配された、あの瞬間――
「降伏や懇願は通じない。“国家の正義”なんて掲げたところで、ただの燃えかすになる。
……あいつは、そういう“境界”を、もう踏み越えてる」
その言葉には、どこか哀しみすら滲んでいた。
グレンは、低く、押し殺した声で言った。
「……なら、なぜ俺に話す?」
ルーガはグレンの目を見て、はっきりと答えた。
「それが今回、俺に下された“指示”だからさ」
グレンの瞳が、かすかに細められる。
グラスを握る指先に、力がこもる。
「……やはり、あちら側の者だったか」
疑いはあった。
だがそれが、確信に変わった瞬間だった。
ルーガは肩をすくめて笑う。
「お前も、気づいてたんだろ? ただ確かめたかっただけだ。……自分がどこまで踏み込んでるか」
「……漆黒の王の手の内か。だが、それでも――」
グレンは深く息を吐き、ルーガに真正面から向き直った。
「それでも、あの玉座に“意味”があるなら、知る価値はある」
ルーガは頷き、そして再び口を開いた。
「王国を滅ぼす――それは、もう決まってる。
だが、あの王は言った。“多少まともだった者には、慈悲を与えてもいい”と」
「……慈悲?」
「そう。選別のあとの、最後の機会。
ネザリアから“帰された”のも偶然じゃない。
お前は、“判断を委ねられた”んだよ」
グレンは、少しだけ視線を逸らし、空になったグラスを見つめた。
「……それが“慈悲”か。選ばれて、生き延びた理由」
「そして、今ここでこうして話してるのも――あの王が、お前にもう一度“選ばせている”ってことさ」
「選ばせる、か。滅ぶ側に立つか、それとも……」
「“見逃される側”になるか。あるいは、“共に在る側”になるか」
その一言が、グレンの胸に深く沈んだ。
信念と忠誠、過去と未来、そのすべてが天秤にかけられる静かな夜。
そして、選ぶ者は――彼自身だった。
戦争という回避不能の現実のなかで、グレンは静かに揺れ動いています。
今回は、“玉座に帰された者”として、王国とネザリアの間で最も大きな「選択」を強いられる男が、ついに一歩を踏み出す話でした。
ルーガの正体が明かされ、せつなの「慈悲」という裁定も少しずつ輪郭を見せはじめました。
果たして、グレンは“誰の味方”として、満月の夜を迎えるのか。




