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大鴉 (1)


外は、阿鼻叫喚に満ちていた。


わたしがようやっと五号館の校舎から脱出した時、そこでは男女が悲鳴を上げて行き交い、逃げ惑うばかりであった。

人々は、わたしが昨日自宅から出た時に見かけたようなそれとは天と地ほども違って、明確な怯えと恐れのもとに逃げていた。さながら、つい先程化け物に襲われた、このわたしのように。

それだけでも現状を推理するためには十分な手がかりであったけれど、残念ながら推理の必要すら無く。

「うそーん……」

こめかみに冷や汗を垂らしながら、わたしは茶化すように呟いてみるが、それも甲斐無し。

現況の元凶は、普通に目視できる位置にいたのだ。

しかしそれは、距離がわたしから近かったからという訳ではない。

その化け物が…その(からす)が。

途轍(とてつ)もなく途方もなく、巨大だったからだ。

馬鹿でかい。いやもう馬鹿だ。あんな生物が存在するなどと主張する人間がいるとしたら、そいつは馬鹿だ。

しかし今、わたしの目にそれが映っているという事実は、どう足掻いても覆せない。

目測で、体長およそ15m。

もう一度言おう。体長15mの鴉である。

しかもそれは単独ではなく、どうやら同じような鴉が他に3体もいるようなのだ。そしてそれら計4体の鴉どもは、四方から大学に入り込んで、すぐ近くにいた人間から襲っては、やはり捕食していた。

入り込んできたというより、これではまるで……そう、『侵攻してきた』という風だ。こうも足並みを揃えて、四方から挟み撃ちするように、連携している。化け物どもが、集団行動をしているのだ。

四方から進撃する、山の如き漆黒の鳥獣。


これこそ幻覚か?やはりわたしは…いや、他にもあれが見えている人達がいるのならば、みんなが幻覚を見ているのか?

食われているあの人は、幻なのか?わたしが脳内で勝手に構築しただけの虚像なのか?

ならば、わたしは?わたしは実存なのか?

わたしは幻ではないのか?その保証はあるのか?

……馬鹿な事だ。馬鹿な事を考えている。

わたしはどれだけ馬鹿な事を考えれば気が済むんだ。わたしはどれだけ馬鹿な事を考えなければならないんだ。

立ち止まらず、逃げながら考えているのがせめてもの救いか。立ち止まったら追いつかれて食われてしまうからな。

わたしが、実在するのならば。

「……はは、なんたる戯言」

考えても仕方のないことは、考えないべきだ。

答を出す意味も、答そのものも無い問題は、解こうとしないほうが良い。

と、頭では理解しているつもりなんだけどな……

わたしという人間が、恐らく生涯かけて悩み続ける問題はこれなのだろう。どうにも、取り敢えず考えようとする癖が抜けない。例え、まともに物を考えられる状態ではないとしても、だ。


自分の悩みはさておき、わたしは構内の内側へ内側へと、つまり中央へと向かうようにして、全ての大鴉から遠ざかるように素早く移動した。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



さて、わたしが構内の中央に向かって移動する間に、何人死んだのだろうか。

わたしは、他者を身代わりにして自分だけ逃げようとするような卑しい逃げ方を、果たしてしなかったと言い切れるだろうか。

はあ、これも考えても仕方ないことか。


閑話休題だ……、構内中央には工学部の四号館が(たたず)んでお…佇んでいて、その中に逃げ込んだ形になる。ここはもう既に見て回ったから、例によって立体迷路のような構造ではあるものの、迷う心配はそう要らないだろう。


しかし、こうやって中央に逃げて来たのも、あまり得策とは言えないのかも知れない。

あれら超巨大な鴉どもは、四方から構内の中央に向けて、ジリジリと少しずつ歩を進めて来ているらしいのだ。それはさながら追い込み漁のようで、自分の横から抜け出して逃げようとする人間ばかりを積極的に攻撃する様子をわたしは目撃した。

つまり最終的にあれらは、ここ四号館を完全に包囲するつもりなのだろう。あの化け物どもにそんな知性があるというのも嫌な話だが、何せ知能に定評のある鴉、スズメ目スズメ亜目カラス上科カラス科の彼奴(きやつ)らのことだ。ましてやあのサイズの鴉ともなれば、脳容積は相当大きいのだろう。何より、知性を持つ化け物なら、これの一つ前の場面でも遭遇したし。

とにかく、こうしている間にも奴らは迫ってきている。奴ら同士の距離は短くなり、逃げ道が狭くなっていく。

別に、20体や30体に囲まれている訳でもなし、包囲の間を縫うようにして逃亡を試みたほうが良かったのかも知れない……しくじったか。


他にもそこそこの人数が四号館に逃げ込んで来ていた(ともすると、わたしにつられて来たのかも知れない)のだが、わたしは偏屈な(ひね)くれ者として…もとい、愚策による死を回避しようと、その大衆の動きから逸脱して逆方向に走り出した。

完全に囲まれて逃げ道が無くなるよりも前に、囲もうとしてきている四体の間を縫って脱走しようと考えたのだ。皆して中央に集まって、怯えながらカラスの侵攻を待つだけというのは、問題の先送りでしかないだろう。

わたしの背後では、大勢の人々が四号館に這入っていくのが見えるが……ここは勇気を出すところだと判断した。空気を読まずに大衆の流れと違うことをするのは、得意だ。


ただ、やはりこの選択もリスクは大きい。

もしも脱走しようとしているのが鴉どもにバレてしまったら、まず先に死ぬのはわたしだ。

こそこそと隠れながら移動するのが不得手だとは言わないけれど、下衆(げす)ながら、やはりこのような場面では他者を囮にしたいものである。

まあ、しないけどさ。

そういう風に他者を一方的に利用して捨て駒にするようなことはしないと、祖父に誓っているから。


「…っ」


おっと、危ない……

わたしが四号館から60m程離れた辺りで、早くも見つかりそうになった。

うまく遮蔽物(しゃへいぶつ)を利用して見つからないように移動しようと心がけていても、やはり限界はあるらしい。

何せあの巨体のこと、流石に視点の位置が高すぎる。

少しでも気を抜いたら、バレてしまう。

何というか、親に隠れてこそこそと悪い事をしていた幼少時代さながらの気分であるが、この場合はスリリングなどと言っていられる程に楽しくも面白くもない。悪夢のように、ただ恐怖と不安があるだけだ。


ところであの鳥ども、飛行する事はできるのだろうか。いや、できないと信じたいし、多分できないのだろう。あんな巨体で飛べる訳が無い。

マスメディアか何かで聞いたことがあるのだが、動物が翼で飛ぶ場合、身体が大きくなればなる程、例え翼が全身に占める体積の割合が一定であっても、飛行が困難になるという法則性があるらしい。

理由を簡単に説明すると、翼は空気抵抗を受けるための『平面』であるのに対して、体重を作り出している身体は『立体』だからだ。

飛行するというのはつまるところ、体重によって身体が落下しようとする力に、翼にかかる空気抵抗の力が勝るということ。

身体が大きくなると、翼は大きくなるから空気抵抗の力も増えるし、身体全体が大きくなるから体重も増えるのだが、しかし、そのそれぞれの増え方が違うのだ。

面積の単位がm^2(メートルの二乗)で表され、体積の単位がm^3(メートルの三乗)で表されるように、例えば体長が1増えれば、翼の面積は2増えるが、身体の体積は3増えるという風な、イメージとしては概ね、そんな理屈である。筈。

翼の面積は、空気抵抗の力に。身体の体積は、体重つまりは落下の力に。それぞれ置き換えて考えると、つまりはそういうことだ。

浅学菲才(せんがくひさい)につき、おざなりな解説で申し訳ない。


「……おや?」


何故だろう。

頭上から、翼の羽ばたくような音が聴こえてくるのだが……


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