私立金足大学 (2)
幸運にもこの避難所、私立金足大学は、わたしが避難してきてから翌朝になるまでの間、怪物の襲撃を受けなかった。
昨晩はあまりぐっすりと眠れたものではなかったが、細かいところに幸せを見出すポジティブシンキングこそがこのような非常時においては大切なのだろう。
喜ぼう、わたしは幸運だ。
…なんて疑いも持たずにそう言い切れる程に、わたしは根っからして前向きな性格でもないのだが。
昨日は色々あったが、結局構内の屋内外にテントなどの簡易的な寝床が多数設けられ、わたしもその親切な計らいに甘えることにして、やがて眠りに落ちた。
今は、テントの中で目を覚ましたところである。
「ふぁ…あ…」
こんな状況下で欠伸をすることができるというのがわたしの図太さであり、強みである。こればかりは自信を持って、疑いも持たず言い切ろう。
さて、ふと横に目を遣ると女性が二人、わたしのそばですーすーと寝息を立てて眠っている。あまり会話をしなかったので、名前は知らない。
流石にこの緊急事態だと、一人につき一つのテントが与えられるなんて贅沢なことにはならず、名前も知らない人達と同じテントの中で寝る羽目になったという訳であり、これがあまり眠れなかった理由の一つである。現に、わたしにしては珍しく、早起きをしてしまっている訳だし。
そうそう、緊急事態と言えば、内閣から公式に緊急事態宣言が発令されたようだ。全国各地であんな化け物どもが出没しているのだから当然である。
とはいえ、本格的にやばい事態になったんだなあと、流石のわたしも実感するよ。前に『国が壊滅するかも』なんて絵空事を考えたが、それが現実味を帯びてきてしまったなー。
さて、わたしはすぐに寝床から這い出た。いつもならば目が覚めてもそのまま1時間ほど惰眠を貪るように微睡み続けるのだが、この非常事態ではそうはいくまい。寝ている間に怪物が襲撃してくる可能性を考えれば、なるべく無駄に寝たくはない。わたしは自分の身の安全のためなら真面目になる人間なのだ。
という訳でテントから出ると、外では何人かの男女が、何やら別々に忙しなく歩き回っては周りの人達に話しかけていた。誰かの名前を叫んでいる人もいるので、少なくともその人には探している人がいるのだろうけれども。
何だ、こんな朝っぱらから。
まあ、わたしには関係ないことだ。何せこの状況で誰かと逸れたとしても、少なくとも学校の敷地内にはいる筈だろう。敷地外に出て行くような自殺行為をする者がそうそういるとは思えない。
と思っていたのだが、それら男女のうち、一人の男の人がわたしに話しかけてきた。しかもその男性は昨日、わたしに訳のわからない声かけをしてきた男性であった。名前は確か…三沢さんだっけ。
「すいません、ああ、あなた昨日会った…」
「あ、はい。何ですか?」
着替えなど持っていないであろう故に当たり前と言えばそうだが、彼の服装は昨日と同じく、Tシャツに青いジャケット、そしてジーパンだ。
「それなら話が早い。昨日、僕と一緒にあなたに話しかけた、もう一人の男がいましたよね。実はそいつが行方不明なんですけど、どこかでそいつを見かけませんでしたか?」
鎌田さんのことか。
「いや、わたしは今起きたばかりなので見てませんけれど……、学校の敷地内のどこかにいるんじゃないですか?」
「僕もそう思ったけどね、探してもいなくて……というか、何か変なんですよ。行方不明になった人は他にも結構いるらしくて、これはもう何だか、君が悪いよ……」
わたしのせいにされても困るよ……
「じゃなくて、えーとそう、気味が悪いよ……」
「へーそうなんですね、怖いですね」
適当なのがバレない程度の適当さで、わたしは相槌を打つ。
三沢さんによると、昨日わたしに話しかけてきた鎌田さんを始めとして、複数の人物が一晩のうちに失踪したそうだ。
この状況で人攫いだろうか?攫ってどうしようというのか?いやまあ、もしそういう重犯罪行為であれば、それをやる人間の気など知れたものではなく、想像するだけ無駄なので、そこは考えないことにするけれども。
「とにかく、何か変です。あなたも気を付けるに越したことは無いですよ」
そう言い遺して、三沢さんは鎌田さんを探すために去って行った。
気を付けると言っても、何をどう…などという至極真っ当な疑問をぶつけることはできず、わたしはただその場に立ち尽くす。
ただならぬ状況であることは分かるけれども、かと言って『こんな危険な場所にいられっか!俺は一人でここから出て行くぜ!』とお決まりの台詞を言う訳にもいかない。さて、どうしたものか。
ちょっと考えた末、わたしは状況が大きく動くまで、今日は一日中特に何もせずテントの中に籠って、スマホでもいじりながら様子を見ることにした。
スマホは充電できないので、使い過ぎないよう気を付けよう…などとやはり、わたしは呑気なことを考えたがる性分なのである。それ自体は悪いことではないのだが、よりによって緊急事態であればある程その傾向が大きく出るのだから、考えものだ。
スマホでできる事と言っても、インターネットで情報収集くらいしか無いけれど……じゃあ、あの怪物共のことからは一旦離れて、サバイバル術なんかを軽く調べておこう。
ふむ…新聞紙、ポリ袋、アルミ缶、段ボール、キッチンペーパー、ラップ。
こういう非常時に使えるとされている道具の殆どが、今は持ち合わせていない物であった。やはりこういうのは普段から準備する必要があるのだということを学んだ。それを学べただけでも、次に活かせると考えて良しとしよう……次があればの話だが。
一応、(例のビルの売店から拝借した)水と食糧は持って来ている。わたし一人で消費する分にはある程度保つだろう。
そんな風にこの日は一日、情報収集でもしながら様子を見ようとした……が。
眠ってしまった。
ついうっかり眠ってしまった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
不貞寝である。テントの中とはいえ、わたしと一緒に寝ていた二人の女性は出ていったために独りだったからか、朝なのにリラックスしてしまってうとうとと眠りこけてしまった。繰り返して言うと、朝なのだが……眠ってしまったのだ。
ちょっと待て、無駄に眠るなよ!いや、寝るだけじゃなくて眠っているから、無駄ではないんだろうけども!
何をしてんだわたしは!?
昼夜問わず気分次第で眠れるというのは、わたしの特技だが長所ではないのだろう。現に今、午後にこうして目を覚まして目を醒ますまで、周りの様子を見るという当初の目的が達成できていなかったのだから。
「呑気もここまでくると…ね」
独り言を言いながらテントの外を覗く。主人公として仕方ない性質ではあるが、しかしまあわたしも、独り言の多い人間である。
外を確認すると、流石に夕方にはなっていなかったが、気温が高めだった。恐らくは午後二時頃だろうか。いや、流石にそこまで寝てはいないだろうから、午後一時だろうか?
スマホで確認すると、午後三時だった。いやまじか。
何故こんなに眠ってしまうのだろう?先程も言った通り、それは眠りたい気分だったからだが……
では何故、眠りたい気分になった?
ん……ああ、そうか。
自覚は無いけれど、わたし、やっぱり疲れてるんだ。
そりゃそうだ。自分でも騙されるくらい気丈に振る舞ってはいるし、繰り返して言うと自覚もないが、しかし事実としてあんな事があったのだ。
家族を失ったのだ。
たった一人、此岸に残っていた家族を。
…なるべく考えないようにしたほうが良いな。今はとにかく生き延びることだけを考えなければならない。これ以上余計なことを考えて、水分と塩分を無駄に消費するのも嫌だしな。
ただ、何も考えないというのはしようと思うだけでできることではない。即ち、他のことをする必要がある。この辺りが人間の難儀な所であるが、わたしには今、他にすることなど特に無い。
情報収集は今まさに現在進行形でしているけれど、すぐに終わるだろう。スマホゲームはバッテリー節約のためにするべきではないし、ならばまたテントの外に出て、他の人と呑気に雑談でもしようか?
しかし、読者の皆さんは忘れているかも知れないが、わたしは他人との雑談があまり好きではない。まあまあまあまあ、半畳を投げ入れるのはちょっと待っていただこう。先程の場面において紫野梨乃ちゃんと雑談していたのはちょっとした例外だったんだよ。ああいう風に淡々と論理的に話を進めていくような、所謂『議論』や『対話』は嫌いじゃない。
しかしだ。嫌いじゃなくとも疲れるものは疲れるし、嫌いなことである場合ならば尚のこと、神経を使うのだ。
今はなるべく体力を節約しておくべきだろう。疲れるようなことを無闇に行うべきではない。
「あ〜暇だ〜」
などと呟いてはみたが、実際には暇というよりも、何かしなくてはならないのに何をすれば良いのか分からないという切実な苦境なのである。
「あそうだ。ちょっと校舎の中を見て回ろう」
結局、気分転換の意味も込めて思い付いたのがそれだった。何せこの金足大学、敷地の周りを石垣で囲むような奇天烈な建物だ。構内を見て回るのも、ある程度の刺激を受けられることだろう。
「そうと決まればすぐに出発だ。善は死に急げって言うしね」
はて、そんな言葉はあっただろうかと自分で疑問を抱きながら、わたしはテントを出た。
様子を見るんじゃないのかって?不貞寝しておいて偉そうに言わせてもらうのも恐縮だけれども、いやいや今の今まで何も起こっていないということは、少なくともこのテントがあるグラウンドから観測する限りにおいては、何ら異常事態は起こっていないという訳である。
結局、事実上『俺は一人で行動するぜ』系の展開になってしまったのは残念ではあるし、それについて指摘する読者の皆さまが目に浮かぶようだけれども、その、なんだ、黙…まあ見ていて欲しい。
そう、わたしだって考え無しに行動する訳ではない。
人々の失踪。もしこの大学の中でただならぬ異変が起こっているのだとしたら、積極的に構内を見回って散策と調査をするほうが、何もせず待っているうちに見えない所で事態が取り返しのつかないところまで悪化するよりかは、まだマシだという理屈である。
という訳で、
「さあ、行くか!」
と、わたしは勢いよく立ち上がり、再びテントの外に出たのであった。
しかしまあ……そうは言ってもこの時点でのわたしには、やはり自覚が足りていなかった。
確信が、覚悟が、足りていなかった。
結果論かも知れないが、この非常事態…非常事態中の非常事態であるところのこの状況で、生憎にもわたしは相変わらず呑気な気持ちで、軽率な感覚で校舎に足を踏み入れてしまったのだから。