惨劇(1)
「うわあ、大変だこりゃ」
辺り一面、瓦礫と廃車と血痕。
死体こそ無いものの、世も末だな。
あ、やっぱり死体あるわ。わたしってばうっかり屋さんだなあ。ははは。
おっと、いかんいかん。わたしは語り部として、これまでのいきさつを話さねばならない。
遺憾にもこんな状況下でこんな感想しか出て来ないような己の性格を、如何とするかはさておき。
わたしの名前は篠守久凪。長野県在住の女子高校生。
他人に素足を晒す趣味は無いので、スカートを着用するなら夏でもストッキングを穿くし、そうでなければ長ズボンを穿いて外出する。
灰色がかった赤紫色の髪は、わたしの暗くて陰湿な性格によく似合っているだろう。
ファッションに興味は無いものとする。興味が無いだけなんだから!どうでも良いわよファッションなんて!馬鹿にしないでよね!
…ん゛っんん。
友達はまあ…いることにしよう。語り部たるわたしが語らなければ、読者にはわたしの友達の有無を確認する術は無い。存在証明は簡単でも、不在証明は困難だというアレだ。友達が誰なのか、どのような人物なのかという事を、わたしは何も語るまい。
自己紹介はこれくらいにして、さて、本題だ。
話は今朝に遡る。
今日は休日だったので、家で漫画を読むなり勉強するなり書籍鑑賞をするなり読書をするなり、とにかく家でゆっくりと過ごしていた。
しかし、何やら外が騒がしいのだ。
わたしは我関せずと漫画を読み続けていたけれども、何となく嫌な予感がしたかと思えば、突然我が家に男の人が訪ねてきた。
どうしたことか、インターホンを使うより先に、ドンドンドンと手でドアを叩いてこう叫ぶのだ。
「早く逃げてー!避難してー!」
わたしは初め、なんて原始的な訪問方法なのだろうと困惑したが、どうやら相当慌てているらしい。
それでもわたしは面倒なので、やはり我関せずと漫画を読み続け、ちょうど家にいたわたしのお母さんが対応した。
避難?さあ、何のことやら。わたしには関係な
「久凪、急いで避難するよ」
…ですよね。
愛しの母に言われてしまったら仕方ない。
そんな訳で、読書を良いところで中断させられた名残惜しさと、わたしの穏やかで楽しい休日をこんな風に脅かすのはどこのどいつだという苛立ちを胸に、わたしは渋々と外に出た。
外で待っていた男は、半袖Tシャツに長ズボンという普通の格好をした、30代くらいのおじ…お兄さんだった。
因みにかく言うわたし自身の服装は、Tシャツの上にパーカーを羽織って、ジャージのズボンを穿いているだけである。なお、わたしはファッションに興味が無いものとする。
「で、どこに避難するんですか?」
「んー、えー…と、とりあえずあっちの小学校!」
…ん?歯切れが悪いぞ?
何だこいつ、もといこの男性、まさか避難する先も知らずに他人の娯楽を妨げたのか?それとも、避難しなきゃいけないというのは嘘で、本当はわたし達を騙して拉致誘拐しようという腹づもりなのか?
ん…いや、それはないか。
わたし達以外にも、大勢が避難しているようだ。どこへ向かっているのか、何から逃げているのかは、当の本人たちも分かっていないような足取りで。
ただ、どうやらこの男は近所に避難を呼びかけて回っていたらしく、この男の呼びかけで訳もわからず避難しているだけの人もいるのだろうから、まだ油断はできない。
因みにわたしの家が最後だったらしく、この男性はわたし達と一緒に避難することにしたようだ。よって、わたし・わたしのお母さん・このおじ…お兄さんの三人での避難行動となる訳だ。
父はいない。前に死んだ。
兄弟姉妹はいない。初めから。
まあいい、それで…なんだ。うまく答えられないというのなら、質問の仕方を変えるしか無いね。
質問のしかたかえるしかしかたないね。
「何があったんですか?」
普通の質問だろう。何の捻りも加えていないぞ。
おや?然るにこの男、口を噤んで返答に困っているように見えるのだが…?
「……猛獣が、出たんだ」
話の内容的に当然と言えば当然なのか、しかしどうにも異様に、空気が重々しくなるのを感じる。
言葉を選んだような、それは辿々しい口ぶりだった。
「ん?猛獣?そんなの家の中に隠れていれば大丈夫じゃないんですか?」
「違う!そんなレベルじゃない!そこらの猛獣とは比較にならないくらい大きくて力も強くてデカくて、もうヒグマなんか目じゃないくらいの化け物なんだ!家なんか壊されて、簡単に中に入って来るぞ…!」
何それ、ちょっと気になるな。そこらの猛獣…あたかもこの住宅街で日常的に猛獣が見られるかのような言い方は多めに見るとして…とにかくそんじょそこらの、つまり一般的な普通の猛獣よりも巨大で、規格外の化け物だと言うのか。
陸上型シロナガスクジラかな?魚類が両生類になったように、とうとう鯨が陸へ進出してきたのかな?
「とにかく近くの小学校に避難しよう!僕もよく分からないけど、多分何とか…いや、警察署の方が…でも遠い!やっぱり学校だ!」
…まあその、なんだ。
読者の方々は、わたしがこの非常事態にも関わらず呑気なことを考えていると思っているかも知れないが、流石にこんなわたしでも内心では察するものだ。
目の前の男は、この春先の涼しい時期にあって尚、斯様に汗をかきながら息を切らしているのだから…
本当に、緊急事態なのだろう。
とはいえ、まだこの目で観ていなければ実感も湧かないものだ。わたしのような人間には特にね。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
そうして、わたし・お母さん・謎の男の三人は近所の小学校に到着した。
謎の男(以後、仮にSとする)は、ここが県立の大きな小学校であることから、避難場所として不足は無いと考えたのだろう。
「とんでもない化け物が出たから避難してきたんです!この後どうすれば…!」
先客がいたようだ。来客用窓口で教職員に訴えかける男女が数人。わたし達と同様、何となく取り敢えずの避難場所として学校を選んだのだろう。
「化け物と言われましても、具体的に何なのか…」
「とにかく大きくて…うまく説明できないけど、目撃者は他にもいるでしょ!?嘘をついてる訳じゃないですよ!」
「しかし、他の目撃者の方々が言う内容もその…現実離れしすぎていて、ちょっと信憑性が…」
「だったらあなたが見て来てよ!あっちの方に1kmくらい行けばそこにいるから!」
…うん。
教職員の人も大変だよね。突然学校に押しかけられて、訳のわからない事を言われるんだから。
因みに、その人が『あっちの方』と言って指差していたのは…わたしから見て左側、北の方角か。
あれ?妙だな。わたしが元いた家はここから南の方角にある。つまり、わたし達は家から学校まで、北上する形で移動してきた訳だが……北の方で猛獣が発生したのなら、こっちには来ない方が良かったのでは?
「結構揉めてますね」
「そうだね、でも、早く避難しないと奴らが…」
「一旦落ち着きましょうよ」
そう言って、わたしはSから話を聞き出そうと試みる。
Sが何を見たのか知らないが、流石にこんな平和そうな場所でも落ち着きが無さすぎるので、少し雑談と洒落込もうではないか。わたしの母はあんまり喋らない人だし、ここはわたしが積極的に。
いや本当のところ、わたしは雑談とか嫌いなんだけど。ていうか、わたしもあんまり喋らない人なんだけど。
「あなたは何ていう名前なんですか?」
「今はそんなこと言ってる場合じゃ…」
へへ、堅いこと言うなよ兄ちゃん。
「少なくともここにはその猛獣とやらはいませんよね?名前くらい教えてくれても良いじゃないですか」
わたしの問いかけに、少しの躊躇いの後、Sは渋々といった態度で答えた。
「僕は有坂だけど…君は先に名乗らないんだね」
「まぁ、はい。まだ、あなたが嘘をついてわたし達を誘拐しようとしている悪人だという可能性が残っていますので」
「…」
ははは。嫌な目だ。
わたしは慣れているから大丈夫だけど、他の人にそんな虫ケラを見るような目を向けちゃダメだぞぅ?
そんな礼儀のなってない目を向けてきた罰として、こっちの名前は教えてあげないよーだ。
「娘が失礼致しました。篠守と申します」
…沈黙で応じようとしたわたしをよそに、お母さんが答えた。まあ、わたしの母親ならそんなこったろうとは思っていたよ。そりゃそうよね。わたしなんかとは全然違って、お母さんは善い人なんだから。まあそれは良いよ。
それはそうと、しくじった。
Sという仮称の出番を早々に無くしてしまうとは。謎の人物でStrangerの意だったのに。いやーうっかりうっかり。あーあ。
……さて、今にして思えば。
結果論ではあるが、この状況でそんなことを考えていた時点で、やはりわたしは呑気だったのだろう。
「……えっ?」
「うっ!来た!来たぞ!逃げろぉ!」
すぐそこまで危険が迫っている、この状況でね。
突如、学校から西の方角、わたしから見て背後の方角に80m程離れた位置にあった民家が、轟音を立てて崩壊した。
そしてわたしの脳は一瞬、フリーズしてしまった。
それは、民家が何の前触れも無く崩壊した事だけが原因ではない。一軒だけというのはともかく、民家の崩壊については地震大国である日本で育ったがために目にしたことがある。
わたしがフリーズした原因は、崩壊した民家から這い出てきた生き物…いや、化け物だった。
「嘘…でしょ」
それは、目測で体長7m程の、巨大な虎であった。
7m!?え、700cm!?
自分で言っておきながら信じられない。
更には、その虎が口に咥えていたモノは、男性の上半身であった。恐らくは、崩壊した民家の住人だった男性の上半身だろう。
それをパクパクと咀嚼したかと思えば、突然それを止めて、80m程離れた位置にいるわたし達を鋭く見据てくる。
さて、これは参ったぞ。その眼光には見覚えがあるのだ。ドキュメンタリー番組で見たことがある。
それは、獲物を発見した時の捕食者の眼であった。
「逃げるよ!」
言って、わたしの手を引くお母さん。
そりゃそうだ。呆気に取られてしまったが、もうあんなもん逃げるしかない。成る程、確かに家なんて簡単に壊される訳だ。
猛獣なんて生優しいものではない。あれは怪物だ。
学校の中に避難?どうだろう、考えてみれば悪くないかも知れないが、しかしこの時のわたしには、学校の校舎すらもあの怪物の前には薄弱な障壁も良いところであるように感ぜられたのだ。
わたしはお母さんに続くように振り返り、全力で走った。運動会の徒競走でも全力で走らないわたしが、柄にもなく全速力で駆けた。
「はぁはぁ、なんだあのでっかいの…僕が見たのと違うぞ…!」
え?
おいおい、ちょっと待ちなよ有坂さん。他にもあんな化け物がいるみたいな言い方はやめてよね。あんな天然記念物みたいなのがゴロゴロいたら堪らないよ。
「きゃあああああー!」
悲鳴が聴こえてきた。
それはそうだろうあんな化け物がいたら…と考える訳にはいかない。悲鳴が聴こえてきた方向は、前方だったからだ。
「なんっ!?」
「…まじか」
前方に現れたのは、巨大なオオグソクムシだった。
オオグソクムシとは、なんかワラジムシを大きくしたような節足動物だが…これは大きすぎる。
体長は目測で、9mくらいか。
"オオグソクムシ"どころではない。
"オオオオオオオオグソクムシ"である。
待ってやばいキモい。
「くそ、何なんだ、まだいるのかよっ…」
また有坂さんが不穏な台詞を吐くのをよそに、わたしは進行方向を90°変えて、オオオオオオオオグソクムシからも逃げた。
もはやこの際、有坂さんやお母さんを気にしていられない。まずは自分が生き延びることを優先する。自分が生き延びてナンボである。
そうだ。そうである筈だ。
例えばそのせいで母親が死んだとして、『あの時わたしが見捨てなければ』などと後悔することも、つまり母親を大切に想い続けることも、生きていてこそできることなのだから。
とにかく逃げるべし。振り返らず、わたしはただ走る。
…普通に、お母さんと有坂さんも追い付いてきた。
ま、そらそうだわな。よかったわ!
「あそこだ!あそこのビルに逃げ込もう!」
そこそこの距離を走って行った先で、わたし達の行く手に、低めのビルが見えた。
窓が少なくて、中々頑丈そうである。ここならば、あれら怪物共とて容易には破壊できないだろう。そもそも見つからない可能性だって十分だ。
従って、わたし達はそのビルの中に駆け込んだ。
ガラス製の自動ドアが開くまでの僅かな時間を、待ち遠しく感じて足踏みする。
ここは何かの会社だろうか?判らないが、とにかく私達は、建物の中の広場のような場所まで入ってきた。
ロビーのような場所である。