エピローグ
「いやあ、まだVIP扱いには実感が湧かないのだけれど」
防衛省が管轄する特別保護区域の一画で、わたしはやや豪勢な炊き出しを口にしながら、独り言のように言ってみた。
「まあ、仕方ないですよ。篠守さんが今まで食べてきた物とは…いえ、何でもありません」
今明らかに失礼を言いかけて踏み止まった梨乃ちゃんだったが、それについて追求するとわたしが傷付きそうなので、わたしは反応せず、黙ってご飯を口に運ぶ。
あの後、金足大学に残った一般人の生存者は、残念ながら特別保護区域には来れなかったのだが、別に用意された避難区域に移動したらしい。それは、この特別保護区域の外周を囲うようにして設えられた、第二の公式避難区域である。
自衛隊は武力や衣食住が揃った安全なこの場所から、徐々に周囲に向かって安全地帯を広げているそうだ。
そうして周囲に新たに生まれた安全地帯、ここ程ではないがそれなりに安全な周辺地帯が、第二の安全地帯・『一般避難区域』とやらに指定されたという訳である。
金足大学にいた大勢の避難民を含む、極めて多数の民間人が、そこに避難してきているらしい。
話は変わるが、わたしがあの大学の構内における医学部の五号館で遭遇した、鎌田と名乗ったあの化け物は、一体何だったのだろう。化け物というか、公式には『貪食獣』という呼び方に統一されたそうだが。英語だと、『devourer』だったかな?公式にそう統一されるまでの期間がやけに短い気がするが……まあいい。
あれから、鎌田と名乗るあの人型の化け物に誰かが襲われたという情報は聞かないが……
情報が無いだけで、実際にはあの後も、あの化け物は多少の捕食を繰り返したのだろうか?
いやひょっとすると、あの化け物も五号館の迷路のような構造に迷ってしまって、出られずにいる間に人間が全て避難して行ってしまって、今頃は飢え死にしていたりするのかも知れない。そんな面白可笑しいオチだったら、非常に助かる。
それにしてもだ。あの鎌田は人に似た姿形をしているだけあって、言葉を喋ることができていたし、最後に遭遇した時こそ問答無用で襲いかかってきたけれども、最初に出会った時は普通に会話をすることができていた。
あれは、本当に意思の疎通ができていたのだろうか?だとするとあの化け物は、世界で同時多発的に発生した化け物やら怪物やらの魑魅魍魎の正体について、手がかりを聞き出すための重要な存在だったのではないだろうか?もし話し合うことができていたら、何か判明したのではなかろうか?
……ま、過ぎたことを悔いても仕方ないか。
「ごちそうさまでした」
食事を済ませた後、梨乃ちゃんと別れて各自のテントに戻ったわたしは、安心して寝そべることができる有り難みを噛みしめつつ、くつろいだ。政治家なのか何なのか、とにかくもっと社会的地位が上のお偉いさんとかは、テントなどという貧相なものではなく、キャンピングカーのような車両の中で寝ているらしいけれども。
こうやってゴロゴロするのも、やけに久しぶりに感じるな。
スマホの充電もさせてもらえたので、一応ゲームとかをする余裕も生まれた訳だが、今はそういう気分でもないので、電子書籍の漫画を読むことにした。
ああ、そうそう。
これはまあ、そんなに重要な話ではないので言い忘れていたのだが、主人公たるわたしの話だし、語り部としてちゃんと言っておこう。聞き流してくれて構わない。
わたしは……
……おっと。
外から誰かが近寄ってくる足音が聴こえる。誰か来たようだ。わたしのテントの位置は割と隅の位置だから、これは間違いなく、わたしに用があるのだろう(『おっと』と『誰か来たようだ』を繋げて言う程に、わたしはフラグ建設士ではない)。
ダラダラと寝そべっているところを見られるのも体裁が宜しくないと思って、わたしは素早く起き上がり、そのままテントの外に出て行ってみると、そこには年配の自衛官・木吉さんがいた。
「やあ、篠守さん」
「ああどうも、お久しぶりです」
「うん、久しぶりって言うか、3日ぶりだけどね……色々あったもんね。その後、体調はどうだい?回復した?」
「はい。体調に関しては、割とすぐ良くなりましたね。木吉さんの方は、任務とか無いんですか?」
「あるよ。そりゃあるとも。今はたまたまここに来たっていうだけだよ。まあそのぉ…あれだ、都合が合ったから会いに来たってやつかな。あぁでも、別にプライベートで会いに来たっていう訳じゃないんだ。これも仕事でね」
そう前置きして、木吉さんは例によって真面目で堅苦しい態度に切り替え、話を続けた。この人は真面目なんだか不真面目なんだか、判然としない。
「前にも言ったが、君にはこれから、あれら怪物たち…『貪食獣』って言ったか、そいつらと戦ってもらうことになる。もう少し具体的に言うとね、防衛省が運営する、あれら貪食獣を討伐することに特化した、主に抵抗者から構成される特別な部隊に所属してもらうことになる。自衛隊の一部なんだけどね、部隊の名前は、対貪食獣戦闘部隊。英語だと、何だったかな……なんとかっていう言葉を略して、ADFっていうらしい。ああそうそう、Anti-Devourer Forceだったかな。私は別に、そこに配属される訳じゃないんだけども」
「そうですか」
わたしはただ、相槌を打つ。
「申し訳ないんだが、君には拒否権が無い。抵抗者は原則、ADFに全員参加すること。これは国家の方針なんだ。ごめんね…」
「その謝罪は見当違いというものです」
わたしは毅然とした態度で言った。
木吉さんはそれを受けて、わたしの意図がわからないというような反応だ。
「心配には及びません。命令されるまでもないですよ。戦う方法が変わっただけであって、戦うこと自体に関しては、わたしは既に決意していましたから」
そう言うと今度こそわたしの意志が伝わったようで、木吉さんは複雑そうな表情を浮かべかけたが、すぐに笑顔が戻ってきて、
「そっか」
とだけ言って立ち上がり、再び避難区域の中央辺りに戻って行った。
そう、言い忘れていた話についてだが、わたしは金足大学での諸々の経験を通して、それまでの人生とは大きく、何というか……気が変わったのだ。
わたしはこれまでの人生を、特にこれと言って目標も持たずに過ごしてきたものだが……
ここで一つ、やってみたい生き方が出来た。
コンセプトが出来た。
わたしは、戦おうと思う。
戦って生きようと思う。
ただしそれは、肉親を殺された憎しみから復讐に走ろうという訳ではない。さっきは木吉さんに誤解されてしまったかも知れないのだが、断じてそんな暗い話ではない。
あはは、まさかわたし如き小悪党風情がこんなことを言う日が来るとは夢にも思わなかったけれども……
わたしは、平穏な日常を取り戻すため。
わたしは、平和のために戦おう。
そういうコンセプトでの戦いを、あるいはそういう生き方を、ちょっと実現してみたいなと思ったのだ。
祖父がそうであったように。
ちょっくら、正義の真似事をしてみよう。
お誂え向きにも、わたしは無敵の五体を手に入れた。
誰もわたしを傷つけられない。
誰にもわたしを殺せない。
だから平和主義とか道徳とか、争わずに平穏と安寧を手にしようという絵空事の綺麗事を、ちょっとばかり信じてみようと思うのだ。
攻撃され、それに反撃することはあっても、相手の命を奪いに行くようなこまでとはせず。こちらからは進撃せず侵攻せず、争いに巻き込まれることはあっても争いを自ら生み出さない。
そういう生き方を、在り方を、やってみようかなと思うのだ。
そんな贅沢は、現状わたしにしかできないだろう。『敵は積極的に排除しなければならない』……それは、このわたしには通用しない観念だ。敵を敵だからという理由だけで攻撃しなければ生きていけない程に、今のわたしの肉体は弱くはないのだから。
ただ守ればいい。味方を、仲間を、大切な人を、敵に攻撃されてしまわないように、わたしはただ守るだけで良いのだ。
それが、わたしの戦い方。
そんなわたしならではの戦い方を、あるいは祖父ならではの在り方を、折角だからやってみようという、悪く言えばそういう風な、これは気まぐれなのである。
「しかし、なるほどなぁ……」
思えば、そういうことだったのか。
『久凪』という名は、わたしの祖父が付けてくれた名であるが、その祖父は、妙に先見の明がある男だった。ガチモンの占い師ばりに未来を予知しているかのような、悪く言えば気味の悪い男だった。
ともすると奴は…いや彼は、わたしのこの決意を予見して、わたしに名を付けたのかもしれない。あるいは、わたしがこの自分の名前に、考え方が無意識に引っ張られたりでもしたのか?だとすればただの呪縛だけれども、いずれにせよこれで、名が体を成した形になる訳だ。
平和主義というより、非攻撃主義と言うべきか。あるいは非侵攻主義、あるいは非進撃主義。
敵はわたしを攻撃する。しかし、それだけでは何も起こらない。
敵はわたしの仲間を攻撃する。しかし、わたしが守れば何も起こらない。
わたしは反撃する。しかし、敵が退いても攻勢には出ない。敵が逃げても追い討ちはしない。敵が望むならば、敵を生かそう。
わたしは壊れない。
わたしの仲間も壊れない。
敵すらも、不必要には壊さない。
基本的には、誰も死なせない。
従って、わたしは特に変わらず、わたしの仲間もこれと言って変わらず、わたしは徒に相手を変えようともしない。
どちらにとっても、何も起こらない。
どちら側に対しても、何も起こさない。
海にも陸にも、風は吹かない。
水面は揺れず、歪まない。
ならば。
「それじゃあ、戦いますか」
わたしの名前は篠守久凪。
永久の凪。
(始)




