四号館
「こちら篠守です。現在、構内の中央まであと50m程度のの距離まで来ました」
「中央の四号館はどうなってる?」
「ここから見える限りでは、周囲に鴉はいません」
わたしは案の定、偵察兵という危険な役割を担うことになってしまった。ただ、こそこそと這い回るのには慣れているし、こうして無線で状況を報告しながら行う偵察任務となってくると、何だか中学生に戻ったようなワクワクする気分を少しだけ味わっている部分も否めない。
ちなみに、『やはり女の子一人で行動させちゃ駄目だ』と言って、もう一人、若手の自衛官さんが一緒に偵察に来てくれることになった。名前は浅田さんと言うらしいが、いやぁ助かるなぁ。
「おかしいな、四号館の反対側から攻めているのだろうか?あんな図体で、隠れることなんてできまいし」
「ん…はい、確かに、遠くから建物が破壊されるような音が聴こえてきます」
うーん……それにしても変だ。
あれら大鴉は、四方から人間を相手に追い込み漁をする程度には、知能が高い。その大鴉が作り出しているこの状況は、一筋縄では突破できない筈だ。
しかし、これではまるで、四号館のこちら側からだったら簡単に逃げ出せるみたいではないか。
どういうことだ?何故、奴らは片側だけに集まっている?何故、片側に寄っているのだ?
もしかして、わたしが引き付けて自衛隊が射殺したあの一体の大鴉が、本来担当する筈だった場所を担当できず、ここにだけ大鴉がいないということなのだろうか?
だとすれば、これはチャンスだ……
「いないのなら都合が良い。行けそうだったら、そのまま四号館に入っちゃって」
「了解です」
わたしと浅田さんは意を決して物陰から出て、今度はなるべく足音を立てないよう、静かな走り方で四号館に向かった。
恐る恐る周りを見渡してみても、やはり近くに大鴉は見当たらない。何か、微妙に淀んだ嫌な空気を感じるのだが……、しかし周囲には何もいない。
とにかく、わたし達は無事、四号館に辿り着いた。
早速、中にいる人達を探し始めよう。恐らく大鴉の襲撃に怯えて、外からは中の様子が見えないような、窓の無い部屋とかに籠っているのだろう。
何というか、大鴉と同様にそれを探す立場に立ってみると、あたかもこのわたしが殺人鬼か何かであるかのような気分になってくるが、笑えない冗談だ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
避難民は、会議室に隠れていた。
「何だ、生きていたんですね、篠守さん」
外では未だ、大鴉がクチバシで校舎をつついて破壊しようとしている音が断続的に鳴り響いているが、それに怯むように怯えるように、会議室や準備室などの窓の無い部屋、且つ複数箇所の部屋に、大勢が隠れていた。
そしてその部屋のうちの一つ、わたしが最初にドアを開けた部屋には、変に懐かしいように思える顔があった。
「何だとは何だ、梨乃ちゃん……」
「死んだのかと思っていました」
彼女…紫野梨乃は、また悪気の無さそうな平然とした態度で、割と失礼なことを言ってくる。
しかし、わたしも彼女のことを死んだものと思っていた手前、文句を言うのも微妙にこう、ちょっと違うような気も……
「梨乃ちゃん、そんな失礼なこと言っちゃ駄目だよ」
やっぱり言いたかったから言ってやった。
「すみません、それで篠守さんは今までどこに?何やら、迷彩服を着た男の人と行動していましたが」
こいつ、流しやがった。
因みに浅田さんのことを言っているのだろうが、彼は今、隣の部屋に行っている。
「ああ、うふふ、どこだと思う?」
生意気だから、揶揄ってやるぜ。
「男子小学生を個室に連れ込んで、そのまま個室の中にいたのでしょうか?」
「なんで男子小学生を連れ込むっていう想定なの!?え、わたし、梨乃ちゃんの脳内で、どうしてそんないかがわしい奴になっているの…?」
「なっているというか……まあ、『なる』という動詞を英語に訳すと『be』ですから、あながち間違ってはいないのかも…?」
「学のないわたしになら、遠回しに言えばバレないとでも思ったかよ」
『なっている』どころか『実際そうである』だ、じゃねえんだよ。
それはさておき。
「まあ、一から説明しなきゃね。あー、すいません!皆さん、ちょっと聞いてもらっていいですか?今から大事な話をします!」
そうしてわたしは、これまでの経緯と状況を、避難してきた多数の民衆に対してかいつまんで説明した。
内容はこうだ。
現在、すぐそこで自衛隊のヘリが待機していて、機を窺ってあの大きな鴉を殲滅しようとしている。
そしてこのわたし・篠守久凪はそれに先駆けて、大学構内の偵察を任されている。避難民と大鴉の全ての位置をそれぞれ特定し、それを自衛隊の人に無線で報告すれば、それを受けて直ちに自衛隊が大鴉の殲滅を始める。
以上。
「それって、大鴉を殲滅してから、我々が避難するっていうことですか?先に避難させて欲しいんですけど」
という、聴衆のうちの一人の質問に、わたしは緊張しながらも受け答える。
「それも尤もですし、確かに避難経路として思い当たる経路はあります。ただ、その、何か妙だと思いまして。あの大鴉たちは高い知能を持っている筈なのに、そう簡単に逃げられるようにしておくとは思えないんです」
「しかし…自衛隊の人達も来てくれてるんでしょう?じゃあ、そのヘリから援護してくれれば逃げられるんじゃないですかね?」
「えーと、わたしも専門家ではないので、その辺についてはちょっとこちらで確認してみないと判断できません。少し待ってもらってもいいですか?」
「はい」
いやあ、不特定の人間との会話って本当に疲れる。
何でこんな役を引き受けてしまったんだ、わたしは。
心の中で愚痴を言いつつも、まず浅田さんに確認を取り、浅田さんでも断言はできないとのことであったため、わたしは聴衆から顔を逸らすようにして、無線を使用した。
「こちら木吉。篠守さん、どうだ?」
「はい、避難している人たちの位置は判明して、彼らに状況を説明したんですけれど、一部の人が、『大鴉の殲滅より先にまず自分達を避難させて欲しい』と言っているんです」
「なるほど……、避難している人たちの位置はどこだっけ?」
「会議室…えーと、二階の、わたしが入った出入り口からちょっと遠い辺りにある、窓の無い会議室です。できれば、やばくなったらの話ですけれど、自衛隊のヘリで援護してもらいながら避難したいところなんですが」
「了解。となると……避難経路としては、篠守さんが入って行く時に通った出入り口になるのか。あそこは未だに、付近に大鴉が見当たらないね。よし、じゃあその経路で、他の人達を避難させてくれるかな。少しずつ静かに、大鴉に見つからないようにね」
「わかりました」
わたしは無線を切った。
……今の通話、なんで浅田さんがやらないんだ?
ふと横を見ると、浅田さんは露骨に目を逸らしていた。
まさかあんた、職務怠慢か?
するとそこで、見計らったように梨乃ちゃんがすっとわたしのところへ近づいて、話しかけてきた。ただし、それは小声で耳打ちするような、内緒話の話し方で。
「篠守さん、どうして自衛隊に任せれば良いようなことをしているんですか?」
「え?んーと、実はわたし自衛官だったのよ」
「もっと上手い嘘を吐いてください」
くっ……
仕方あるまい、正直に言おう。
『皆には内緒だよ』ってやつだ。
「んーと、これ言っても良いのかな……、梨乃ちゃん、確認なんだけどさ、《抵抗者》って知ってる?」
「聞いたことはあります。何でも、不思議な異能を操る異能者で、昨日辺りから突然現れたんだとか」
「あー知ってるなら話が早いわ、実は…」
「なるほど、篠守さんは抵抗者だったんですね」
「……」
話が早すぎるんだよ。
「篠守さんはどんな異能を持っているんです?」
「え、えーと、身体がめっちゃ頑丈な能力…」
「なるほど」
いやもっと驚け。何なんだお前は。
「内心では驚いていますよ。やはり、人は見かけに依らないものですよね」
だったらわたしと出会った時に言ってきた偏見と決め付けを訂正しろよ。いや、内容は正しかったから、それに限っては別にいいけど……
「抵抗者というのは、それまで常人だったのが、昨日辺りから突然能力に目覚めた人達だと聞きます。誰が抵抗者なのか、例えばこの私も一般人なのか抵抗者なのか、中々判別できるものではないんですよね」
「そうね、わたしも死にそうになるまで気付かなかった。偶然わたしの能力が判明した所に自衛隊の人がいたから、それで自衛隊と関わることになったの」
「そういうことでしたか。抵抗者は、その情報が何故かこの短期間のうちに防衛省全体に広まったようで、これから防衛省によって保護され、あれら怪物たちと戦うことが義務付けられると聞きましたが、それで篠守さんも戦いに参加させられているのでしょうか?」
「いや、今回はわたしの希望で、わたしのわがままを通して参加させてもらったのよ」
……それも実は、微妙に違うかも知れないけれど。
「わかりました。質問はそれだけです。それで、自衛隊の方と連絡した結果はどうでしたか?」
「ああ、えーと……それは皆の前で話さなきゃね」
直後、わたしは各部屋を回って、これから行う避難の手順について民衆に説明することにした。
わたしがここに来るまでに通った道筋で避難するのは当然として、一度に大勢で移動すれば、外の大鴉に見つかる可能性が高くなる。かと言って時間をかけてもいられない。考えた結果、避難民を二つのグループに分けて、順番に避難しようという結論を出した。まあ、凡庸な頭脳しか持ち合わせていないわたしとしては、こんなところだろう。浅田さんからも異論は無い。
ああそれから、もう一つ大事な注意喚起というか、忠告をしていたんだった。『忘れないでください』と言っていたわたし自身が忘れてどうする。
「申し訳ありませんが、次にわたしか、もしくはわたしの代わりに誰かがここに戻ってくるまでは、後半グループの皆さんはここから動かないでください。それから……、これは冷酷なことかも知れませんが、もしも前半グループに何か良からぬことがあったようだと判断した場合には、間違っても前半グループを助けに来ないでください。その場合は、皆さんで勝手に逃げて下さい」
わたしも随分、利他的なことを言うようになったものだ。
因みに梨乃ちゃんは、後半のグループに志願した。
「では行きますよ。静かに、素早く」
わたしは、前半のグループを避難させた後にまた戻ってきて、後半のグループを避難させるという、一番大変な役割になってしまった訳だが……仕方なし。
わたしは声をひそめるように前半グループの人達に呼びかけて、先頭を忍び足の小走りで進み出した。




