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大鴉 (2)


頭上にいたのは、普通の鴉だった。


どこにでもいる、いつもその辺で見かける普通の鴉が、いつも通りにその辺からやって来ただけだった。もちろん、わたしに襲いかかってきたりなんてしない。

「小さければ可愛らしいのにね……」

呟いて、わたしは再び移動し始める。

この大学の構内は屋外だけならそこまで障害物で入り組んでいる訳ではないので、隠れながら移動するためのルートも限られてくる。

駐輪場の壁と屋根、太めの樹木、なんかよくわからない小屋…どうにも心許ない遮蔽物に身を隠しながら、隙を(うかが)っては次の遮蔽物の陰へと移る。その繰り返し。

今のわたしの行いは『危ない橋を渡っている』と表現できると思うのだが、『渡る』という言葉はまさにわたしのこの感覚と合致するなあと、そんなことをふと思い浮かべたところで、やっと構内の周りを囲むフェンスが見えてきた。

つまり、距離的にはあと少しで脱出できるという訳だが……それはあくまでも距離の話であって、出入り口が無ければ脱出はできない。

そしてその出入り口は、今わたしから見て50m程先に見えているのだが。

出入り口のバリケードが破壊されているのだ。

あの残骸はもう、ただの瓦礫の塊だ。普通に乗り越えようとすると時間がかかるし、急いで乗り越えて行こうとすれば大きな音が鳴ってしまうだろう。そうなれば、すぐに大鴉に気付かれてしまう。

恐らくこれも、大鴉どもの仕業か。だとすればいよいよ、本当に知能が高いと見える。

実際、まだ近くに大鴉が1匹だけいるし。


さて、どうしたものか。

ここらで暫く隠れて、奴らが構内中央付近まで移動するのを待てば良いだろうか?さしもの奴らも、人が密集している四号館のすぐそばまで行っておいて、今更逃げ出そうとする一人の人間を追いかけに戻って来るということはないだろう。

従って、この辺りでひたすら隠密にだけ徹して、奴らをやり過ごしてしまえば、わたしの勝ちだ。


……いや、それは。

成功したとして、それでどうなる?


わたしは、逃げ(おお)せられるだろう。

しかし構内中央にいる人達は、大勢死ぬだろう。

「………」

わたしは別に、正義の味方を気取るつもりは無い。むしろわたしは、どちらかと言えば悪党側の人間だ。小悪党だ。

ただ、もしわたしの祖父なら。

あの正義の味方ならば、こんな時どうするだろう?

……いや、違うか。『どうするだろう』なんて、そんなことは分かりきっている。

あの聖人ならば、自分を囮にして、自分以外の多数の人々を助けようとするに違いない。四号館を襲う化け物を1匹でも減らして、四号館に隠れている人達が1人でも多く助かるようにするに、決まっている。

では、もしわたしがここで独りで逃げたのならば、尚且つ、彼が今も存命であったのならば、逃げたわたしに対して彼は何を言うだろうか。

それも分かりきっている。

あの人なら、こう言うのだろう。

『久凪が生き延びただけでも、良かった』……と。


「……ムカつく」


つくづく、わたしの劣等感を掻き立てる男だ。


「…?ーーーーーー!!!!!!」

「こっちよ化け物!」

わたしは大声を上げて、出入り口のバリケードへ走り出した。当然のこと、大鴉のうち一羽?一匹?一体?がわたしに気付き、追ってくる。どすんどすんと、異常な足音が迫り来る。

もう既に後悔してる!何やってんだわたしは!

もう何とでもなれ!ヤケクソだ馬鹿野郎!

「はぁ、はぁ、くっ…」

もう、引き返せない。

ならば、とことんやるとも。

大鴉を一体だけでもわたしが(おび)き寄せれば、四号館に籠城(ろうじょう)している人達が一人でも多く助かる確率は上がる。

しかし、またか。また全力疾走か。

事が済んだら、もう暫くは歩かない!四六時中寝っ転がって、だらだらと漫画を読んでやる!


さあ、バリケードの残骸を跳び越えるぞ。

破壊されているのだから、元の状態ほど高さはない。

実際には全く足を触れずにとはいかないが、助走さえ付ければ、半ば瓦礫の上を走る感じで飛び越えることはできる筈だ。

「ーーーーー!!!!」

「ひぃ!」

流石に(やっこ)さんも空を飛べる訳ではないようだが、普通に走ってくるだけでもやはり速いようで、音を聴くだけならばすぐ後ろまで迫ってきているかのように感じられる程度には、わたしに肉薄しているらしい。

つまり、失敗は許されない。

瓦礫につまずいて転んだりしたら、それで終わりだ。

乾坤一擲と言えば聞こえは良いけどねぇ!失敗すれば死ぬ!しかし成功しても助かるとは限らない!

何という賭けだ!


「だらああああああ!!!」


わたしは気合十分に、踏み込んだーーー!


ーーーーー


ーーーそして、瓦礫の向こう側に着地した。

「よぉし!!!」

何だろう、キャラじゃないのだが、この時ばかりは体育会系熱血スポーツマンばりに声を荒げてしまった。

後から思い返してみると、ちょっと恥ずかしい。

さておき、まだだ。まだ終わりではない。

バリケードの残骸はわたしにとっては障害物だが、あの大鴉にとっては何ら意味を為さないだろう。引き続き、走り続けなければならない。

背後からドスンドスンと迫り来る足音に怯み、わたしは取り敢えず、正面へ駆け出した。


出入り口を出たすぐ正面には林があるが、この中に入り込んでしまえば容易には見つからないだろうか?

しかし、そもそも後ろから来ている鴉は、わたしを深追いしてくれるだろうか?いや、できれば深追いしないで欲しいのだけれど、でも深追いしてくれないと意味が無い。

うわーん、嫌な葛藤だ!こんなことやるんじゃなかった!二度とやらんわこんなん!祖父がおかしいんだ!あの男がイカれてるだけなんだ!

それに現実問題として、わたしがあの林に到達する前に追いつかれてしまうのではないかという問題のほうが極めて重大だ。

わたしを深追いしてきて結局わたしを捕まえられずに終わる場合とか、わたしを深追いしてこない場合とかよりも、まずわたしを普通に捕まえてしまう場合が考えられるのだ。それだけは何の得もしない。それだけは避けなければならない。


……あっ


「うぐっ…!」

転んでしまった。

何ということはない。地上にはみ出た木の根っこにつまずいて、あっさりと転んでしまっただけだ。

ただでさえわたしは普段、そんなに運動をしない。加えて先ほどなんかは校舎の中で全力で走り回って、立て続けに今度は出入り口までの50mを全力で走って、流石にわたしの脚は疲労が蓄積していたのだ。

あれだけ転んでは駄目だと念じておきながら、転ぶ時はこうもあっけなく転ぶものなのか。

わたしが転んだのは、林に入りかけた辺り。

わたしを追ってきていた鴉は、わたしが転ぶ直前には『林に入って行ってしまうな』と思っていたらしく、追うのをやめて校舎に戻りかけていたようだが、わたしが転んだのを見て、再び追いかけようか逡巡(しゅんじゅん)しているような素振りを見せている。

それを見ると、わたしのほうこそ逡巡してしまう。

このまま立ち上がって逃げれば、鴉はわたしを追うのをやめてしまうだろう。かと言って立ち上がらなければ、食われるだけだ。

いや、取り敢えずは立ち上がるだけ立ち上がるけれども、その上で、逃げようかどうか迷ってしまう。

生憎、中途半端に居着いて相手を誘ってから逃げるみたいな、鬼ごっこゲームの高等テクニックのようなことが咄嗟にできる程に、わたしは多様な経験を積んできてはいない。

「ーーーーーーー!!!!!」

「うおおっ!」

結局、わたしが迷っているうちに大鴉が再び迫ってきたのを見て、わたしも普通に逃げ出した。

結果的には、鬼ごっこゲームの高等テクニックを実践する形になったため、まあそれは良かったと考えよう。

ただ、ここでわたしの誤算が発覚した。

(普通に入ってくるんかい!)

大鴉は、林の中に入ってきた。

まあ、冷静に考えてみれば、そりゃそうか。わたしはてっきり、わたしが林の中に入ってしまえば鴉は諦めるだろうという特に根拠の無い期待を抱いていたのだが、何せ15m、1500cmの巨大な鳥獣である。

こんな林の木々など、低木も良いところだ。

まずい。わたしの持久力では、この展開はまずい。

深追いしてくれなければ意味が無いが、深追いされてもそれはそれでまずいのだ。

後悔している余裕すらも無い。

土台、わたし一人では無理な賭けだったのかも知れない。

これは参った……


と思った、その瞬間だった。


「ーーーー!!!ギャッ!」


斜め上から、殴り付けるような爆音とともに、銃声が響いた。


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