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~アボット~ 記憶の旅路、肉体の超克


アボット

契約規定

1.R.アボットは常に左手に所定のブレスレットをはめること。

2.ブレスレットには、R.アボットの意識が記憶される。

3.R.アボットの死後、ブレスレットは財団法人「記憶の塔」プロジェクトに回収される。

4.R.アボットの記憶は、財団法人の推し進めている脱肉体プロジェクトに利用される。

5.脱肉体化プロジェクトの成功如何を問わず、R.アボットは天寿の全う、その他、人生のあらゆる自由と権利の追及が保証される。またUSD100,000相当額を受け取ることになる。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 わしは当時、身寄りのないただの一青年だった。小さな店を開きたかったので、銀行を訪ねまわった。しかしわしが足を止めたのは、上記の財団法人の融資だった。わしは難しいことはよくわからなかったが、返還義務がないことにいい気になって、直ちに契約書にサインした。約束の十万ドルはきちんと手に入ったし、謎のブレスレットも翌日届いた。わしはすぐにそれを左手に装着して、それきり財団法人のことをきれいに忘れてしまった。


 店は上々だった。わしは商才があると思った。次々に店舗を増やして、株を上場した。


 満を持してこれを息子に譲った。

 孫たちに囲まれて、人より幸せな余生を送る機会にも恵まれた。わしは83歳まで生きた。長い人生も、ようやく終わったと安心して、眠りについたものだ。


 しかし、わしは突然まぶしい光で起こされた。

 わしは両手を上げてみた。二本の太い鋼の腕が、ギシギシと音を立てて持ち上がった。わしは驚いた。何か言おうとした。ピーピー音がした。人が来て、わしを少しいじくった。それで話せるようになった。

 契約書のことを言われた。それでやっと思い出した。相手は財団法人の者だった。わしの脱肉体化が成功したと言っていた。わしの体が重く、ひどく不自然な感じがするのは、じきにおさまるとのことだった。

 わしはコンピューターの前に座らされて、小学生がやるようなプログラム学習の画面に付き合わされた。少しずつ、財団法人の規則やデータの扱い方を学んでいった。覚えるのは簡単だった。機械のように覚えていくことができた。わし自身が機械なのだから。


 わし自身の取扱説明書も読んだ。わしには、「人格を持つロボット」との触れ込みがついていた。だが皆、わしを以前のままの「アボット」と呼んでくれた。

 財団法人は、一言で言ってみれば、さまざまなデータの貯蔵庫「記憶の塔」を管理しているところだ。データを買い取り、高く売るようなこともしている。機密データを、お金を受け取って、保持する場合もある。とりわけ、データ管理の技術を研究開発して、特許を得、それを売却するといったこともしている。


 わしは随分いろいろなことを頭に詰めこんだ。皆の顔も覚えたし、人それぞれの所作を注意深く観察し、記憶するようにしている。下っ端の者の愚痴も聞くし、最高幹部の相談にも乗るようになった。


 わしにとっては最初の最高幹部の死というものを憶えている。


 生前、わしは彼から後継者の相談を受けていた。万一の時のために、彼が書き残したデータの隠し場所を知っていた。


 わしはそれを遺された者たちに伝えた。


 それから何度となく、わしは世代交代に立ち会ってきたから、次第にわしは後継者の指名に欠かせないものとなった。


 自分がロボットとなると、そして誰よりも長く生きてみると、時間の感覚が大きく変わっていった。

 わしの実の息子、孫の悲報を聞いたのも大昔のこととなったし、わしの子孫たちが今、どれほどいるのかわからなくなった。


 じきにわしも体の不調を感じるようになった。ある日視界が真っ暗になってしまった。ようやく自分にも死が訪れて、身の引き際がやってきたと、今度ばかりは心から安堵した。しかしわしはたちまち起こされてしまった。まぶしい光で。


 装備は軽量化が進み、データ容量も格段に大きくなった。わしはその後何度も昏倒したが、元の記憶とデータを保持したまま、新しい型で蘇った。


 財団法人は驚くほど大きな力を持つようになっていた。いくつもの国の威勢をしのいだ。国家の機密を握るようになっていた。しかしやがて、絶頂も終焉を迎えた。


 あまりにも多くのデータと機密を持ってしまった。国家間の戦争のだしとされ、各国家から脅かされるようになってしまった。財団法人の幹部が次々と暗殺される恐るべき時代がやってきた。そしてついに、上位の幹部不在の事態となってしまった。

 財団法人の縦割りについて、ざっとかいつまんで話しておこう。従業員はおおよそ五百人くらいだ。新規メンバーは機械の使い方や名称、人々の名前と肩書などを覚えていくものだ。そして中堅くらいになると、仮想書庫の歩き方を身につけなければならない。幹部はⅠクラスとⅡクラスに分かれているのだが、どちらも機密文書の閲覧が許されている。さらに最高幹部にはさまざまな特権がある。仮想書庫・子機の使用が許可され、遠隔地からのアクセスもできることなどだ。


 その娘の両親は財団法人の幹部だった。そして、両親とも暗殺されている。まだ当代のヘッドこと最高幹部が生き残っていたから、その娘を養育した。しかし数年後には彼も暗殺された。


 その娘エヨは、指導係のフヒトに引き取られることになった。フヒトは幹部候補の中で一番若かった。風変りだが、将来性もあった。彼はエヨの養育のため、そして幹部の暗殺を目撃した自身の心身のバーンアウトのために、休養を余儀なくされる。


 亡きヘッドからのメッセージが現れる。

「私の後任はフヒト。だが公にするな。後任なしと公示せよ」

それは全幹部宛ての暗号化されたメッセージであり、いつもアボットが監視していた。


 フヒトは職場に復帰をする。しかし、軽い記憶障害が残っており、すぐに再度の休職が決まる。アボットに励まされ、エヨと旅に出てはと勧められる。


 エヨはⅡクラスの昇任試験を受ける。最年少で突破した。しかしフヒトが厳しい言葉をかける。

「機構の知識だけではなくて、世界をもっと知らないと」


 愛読書が『塔の記憶』だったエヨ、初めての所外へ。


 そして、フヒトの姉の家へ。

 フヒトの姉は森林自然保護官という珍しい職に就いていて、夫と一緒に丸太小屋に住んでいる。

 小屋の窓からは目の前は素晴らしい景色が望めた。


 だが、エヨを追っている者がいた。その追っ手にエヨは、殺されそうになり、連れ去られる。

 アボットはエヨの夢の中へ侵入してくる。そういえば彼女もブレスレットをはめており、記憶が塔の中へ取り込まれていた。アボットは、仮想上の分身を使って、塔の内部から救援を引き出す。


 救援側は突入先を誤った。救出は失敗に終わった。


 フヒトとエヨはある国家の統治者の前へ引きずり出される。その国家はほかの国家とも非公表の同盟を組んでいた。他の君主やリーダーも姿を現す。

 彼らの手によって、フヒトはテラスから突き落される。フヒトは奈落の底へーー。


 エヨは妾の身に堕とされるところだったが、なんと、統治者はエヨの従兄だった。近親だとわかり、辛くも妾になることは防いだ。代わりに、召使の身になる。手のブレスレットはなくしてしまった。フヒトと一緒に落ちたのかもしれない。


 親から譲り受けたも同然の才能と技術を使って、従兄のデーターベース、コンピューター等に忍び込む。データをすべて「塔」に転送する。ブレスレットはなくても、この記憶がある。従兄が鬼の形相でやってくる。しかし、従兄の脳天が銃で打ち抜かれる。誰だ? 誰がやったんだ?


 撃ったのは「塔」幹部の女性。助かったと思うが、またエヨは捕まえられる。女幹部は従兄の権力を誇示するこの建物に時限爆弾を据え付ける。

 フヒトはアボットの体内にいる。だが意識のみだ。体は生死の境をさまよっているのか? ブレスレットの装着者というのは、生死がはっきりしないという因果な世の中になってしまったもんだ。


 機械の思考というものは速いもので、無限のかなたまで飛んでいけるような気がした。人間の体というものは重い。いつしか、人は身体という殻を脱ぎ捨て、ネットワークの住人となるのだろう。

 この中にはエヨの分身さえいる。少女――いやもう一人の女性になってきている――この閉じられた世界の中で、私たちは肉体の死後も生きることが許されているのだと思いを巡らせていた。単細胞生物が多細胞生物になった日があった。海から陸上へ生命が這い上がった夜があった。今度は、有機物が、無機物の世界へ住処を広げるであろう。穏やかな心でそう思った。

 エヨの救出に、アボットだけがやってきた。エヨはぞくりとした。もう誰もいなくなってしまったのか。

「フヒトは?」

「いまはここにおります。体は動かせなかったので、中に入れ、意識だけつないでおります」

エヨはアボットの首にすがりついた。きみだけが頼りだ!


 あたりの景色が一変した。アボットが映像を見せている。女が見慣れない機械を操っている姿があった。

「そこにいたのね。」という声がした。

エヨはアボットを固く抱いて身を伏せた。何かがさく裂した。

 あの女すらも自爆したようだ。何も音がしない。何も見えない。エヨはまだアボットを抱いていたが、そこから何かが崩れ落ちた。中の身体が彼女エヨの上に倒れ掛かる。温かかったが、血でぐっしょり濡れていた。

誰かが明かりを手に、やってくる。

「誰か生きている者はいるか?」

「エヨがおります」

彼女エヨが言った。

「抱いているのは誰だ?」と声の主は聞いた。

最高幹部ヘッドです。フヒトです」

彼女エヨはそう言ったが、フヒトはもう手遅れかもしれないと思った。


 エヨは、フヒトの姉の家に遊びに来ていた。フヒトはエヨとともに、ここで生きている。

 アボットの中で、フヒトは一命を取り留めていた。だが、まだ目を覚まさない。目を覚まさないけれども、フヒトの意識はアボットを介して、意志疎通することができた。

 今は傍らに控えるアボットに、エヨは語りかける。

「あの塔にはいまだに私の記憶も、おまえの記憶もとどめられている。私たちの記憶が、今後もまた誰か後任者たちを振り回していくんだろうね。私たちの記憶の影には、今まで通りの任務があって、休むところを知らないんだろうね」

言い終えてから、エヨは眠るフヒトに寄り添った。

この感情が何なのか、彼女に少し思い当たるものがある。

だが、彼女自身も、フヒトも、いつかアボットの中に記憶として取り込まれ、半永久的に生きていくことになる。

それをメンテナンスするための膨大な組織とあらゆるバックアップの機構がある。

彼女とフヒトは永遠に一緒に生きるのだーー。


「見ておいてね。覚えておいてね、私が今、フヒトの頬に...…したことを」


エヨはそう言い、フヒトにキスをするが、フヒトの意識が見ているのはアボットの目を介してであって、フヒトの肌の感覚によってではなかった。




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