其の一 起床
終礼が終わるのを待ち遠しく思いながら、瑛太は窓の外を眺めていた。青空を雲がゆっくりと流れているのを見ると、瑛太は授業6限分の疲れで寝てしまいそうになる。思わず長い欠伸をして、目に涙を浮かばせた。
「きりーつ」
号令係のよく通る声に、瑛太の意識は教室に戻された。
「きをつけ、れーい」
「さよーならー」
生徒がガラガラと音を立てながら、次々と椅子から立ち上がる。しかし、誰よりも早く立ち上がり、教室から出たのは、クラスメイトに「帰宅部の王」なんて呼ばれている、眠川瑛太だった。
瑛太がなんの部活にも所属せず、誰よりも早く家に帰ろうとする理由はただ一つ。寝たいから。そのために瑛太は、雨にも負けず、風にも負けず家へ走るのだ。
何故そこまで寝たいのか?その質問に瑛太は明瞭に答えることは出来ない。気づいたら、寝ることが大好きで、放課後こうすることが彼のルーティンになっていたのだ。
「ただいま!」
「おかえりー!」
家の玄関を開けて、勢いよくあいさつすると、いつも通りに母親が返してくれた。
靴を脱ぐと、制服のボタンを外しながら、階段を上って自室に向かう。素早く制服を脱いで、下着だけになれば準備は完了だ。俺はベッドに寝転がった。
枕の洗濯された良い匂い、窓から差し込む暖かい陽光、掛け布団の温もり…。生きている中で一番幸せなひとときは?と聞かれたら迷わず今を答えるだろう。
「はあ…最高だ…。おやすみなさい。」
俺はゆっくりと目を閉じた。
外から聞こえる賑やかな声で、俺は目が覚めた。身体を起こして、その声の正体をつかもうとした時、混乱で身体が固まった。
「どこだ…ここ」
そこは自室ではなかった。見覚えのない木製の部屋で、ベッドと小さい棚が置いてあるだけだった。小窓が付いているのを見つけ、急いで外を見ると、そこは大きな通りになっていて、多くの店が立ち並び、多くの人で賑わっていた。全く見覚えがない風景に、俺は唖然とするだけだった。
「ほんとにどこだよここ…」
少し落ち着いて考えてみよう。
そう思ってベッドに座り込んだが、もうほとんど結論は頭の中で出されていた。
「これは夢だ。」
そもそも、寝て起きたらここにいたのである。そう考えるのが自然だろう。夢の中で夢だと自認するのは可笑しい気もするが、まあ、そういうこともあるんだろう。
「君は今、これは夢だなんて甘い考えを持っているかも知れないが、否。」
「どわっ!」
今まで何も居なかったところに突然男が出て来て、話しかけてきたので、変な声を出して驚いてしまった。
「失礼、驚かせてしまったかな。私の名はアカセドだ。よろしく」
「よ、よろしく…じゃなくて!何も状況を飲み込めないんだけど、夢じゃないってどういうことだよ」
「ああ、君は転生したんだ。この世界に」
男は今朝食べた朝ご飯を答えるような調子で答えた。あまりにあっさり言われたので、テンセイという言葉が転生だということに気付くのにラグが生じてしまった。
アニメやら漫画やらは好きな方だったので、転生という言葉にはある程度馴染みがある。
「どちらかというと、転生じゃなくて転移では…?」
「あ、そう?じゃあ君は転移したんだ」
適当だなぁ
「で?あなたは何者なんですか?」
「私か?私は案内人だ」
「…」
「何それって顔だな。まあいい。簡単に言うと私が君をこの世界に連れてきたという事だ」
またしても、あっさり言うので反応が遅れた。
「ええっ、あなたが?目的は何ですか!?」
「それは言えんな。ああ、そうそう。本来なら私がこの世界の事を何も知らない君に色々教えて、この世界で生きていけるようにするのだが…」
アカセドはバツが悪そう頭を掻いた。何だか嫌な予感がする。
「面倒くさいから一人で頑張ってくれるか?」
「はぁ…」
なんだかコイツの態度はムカつく。だが、何を言っても無駄なのだろうという事はなんとなく分かった。
「分かりましたよ…」
渋々了解すると、アカセドは肩の荷が降りたかのように顔を明るくして、「じゃ、頑張れ〜」とだけ言って部屋を出て行った。
何なんだアイツ…。こういう異世界系は魔王を滅ぼせとか明確な要求とか目標を提示されるもんじゃないのかよ…。
アカセドの言う事には応えていたが、正直転移なんてまだ信じていない。バカな夢でも見ているのだろうと思っている。
「どうせなら散策でもするか…」
俺は部屋から出て階段を降り、外に出た。自分のいた所はどうやら宿屋だったらしい。果たして自分は正当に部屋を借りている事になっているのか?
メモ
瑛太の自室の寝具は全て誕生日で買ってもらったもので、結構良いものを使っている。
枕はお気に入りを3個持っており、ローテーションで使っている。3日から5日ほど使うと、母親に洗ってもらっている。