2-6-1【原罪】
何故、楽園で蛇に唆されて「知恵の実」を食べたことが『人間の原罪』なのだろうか?
それは、本能で生きる動物ではなくなったからなのである。
動物の正義は「力」である。
力の強いものが生き残るのが「種の繁栄」に必要だからだ。
だが、人間は違う。
人間において「力」だけの存在は生存競争に生き残れない。
人間は「知恵」が正義なのである。
ところが「知恵」が最終的に人間に仇をなすから「原罪」なのである。
例えば「社会主義」や「共産主義」は、理屈の産物であるが、人間の善が無ければ成り立たない社会である。
だが、人間は隙さえあれば「楽」をしたがるから、「社会主義」は机上の空論でしか無い。
「社会主義」や「共産主義」は、理想に燃える中学生の正義感のようなもので実世界とはかけ離れていて、大量の貧民を生み出してしまった。
今でも「北朝鮮」は社会主義であるが、国民総生産は惨憺たるものだ。
この時代に餓死者がいることが、政治の失敗なのである。
だから、いち早く気づいたソビエトや中国は社会主義を修正して「競争原理」を導入したのだ。
働いても働か無くても、同じ給料なら、誰も一生懸命にならない。
それを、「人間は同胞愛に燃えて一生懸命働く」とした原理なのだから、「社会主義」や「共産主義」が破綻するのは当たり前である。
「浅知恵」は破綻しかもたらさないのだ。
ここで、人類の最大の危機は何か考えてみると「超高齢化社会」の到来である。
生産人口が減り高齢人口が増えれば、ありとあらゆる所に歪が出る。
年金の破綻や高齢医療の破綻がそれである。
昔は「人生50年」だったが、今や「人生80年」である。
それもこれも「移植医療」や「遺伝子医療」がもたらした結果である。
人間は「自然死」を拒否しだしたことが、原罪の「浅知恵」によるものなのである。
全ての生物は「寿命」があり、それを厳粛に受け入れなければならない。
「自然死」を拒否した結果、子孫たちに多大なる負担を強いるのである。
だが人間は、他の動物に対しては非情である。
人間を襲うからと狼を絶滅させた結果として、鹿の異常繁殖を生み、森林の崩壊や鹿に伴ってヒルが里山にまで降りてきてしまっている。
生態系のバランスを自ら崩して、そのツケを全て何の罪もない動物を処分することで精算しているのだ。
これが知恵の実を食べた「原罪」なのである。
この先待っているのは、「人造生物」の感染による「自滅」だろう。
これ以上生命操作をしようとすることは、危険以外の何ものでも無い。