2-16-3【正義】その3
本人が「正義」と思っているが全く反対なことに『餌やり』がある。
ニュースで良く聴くのは「野良猫」の餌やりと、「野良犬の大量飼育」である。
野良猫や野良犬に餌をやることで「騒音公害」や「糞害」が起きる。
周りは糞害に憤慨し(親父ギャグ)本人に止めるように申し入れるが、『餌が食べられなくて死にそうなのだからあげているのだ!あなたは可哀相だと思わないのか!』と逆ギレされてしまう。
本人は「博愛主義」を気取っているが、実は無責任な行為であり、ちっとも助けていないことに気付いていない。
要は本人だけの自己満足のためにやっているのだ。
私の所も里山が有り、イタチやタヌキが住んでいる。
(実にいい環境である)
去年、早朝の愛犬の散歩で半月の間に3匹も子ダヌキの轢死体を見つけた。
ほとんど同じ場所で3匹が轢かれていたのだから、偶然ではない。
いろいろ調べてみると、里山から通りを隔てた家で「餌付け」をしているらしい。
本人はタヌキが可愛くて苦労して餌を探さなくてもいいように「餌」をあげていたのだろう。
だが、結構交通量のある通りをタヌキは横切らなくてはならないので、夜中にライトに眼が眩んだかして轢かれてしまったのだろう。
野生動物は自力で生きていかなければならないし、人為的な行為が入ることで生態系のバランスを崩してしまう。
安易な同情は禁物なのだ。
その良い例が「沖縄のマングース」である。
ハブに噛まれる被害があると『ハブにはマングースだ』と短絡的に、日本に生存しない「マングース」を放してしまった。
しかし、ハブとマングースは活動時間帯が違うので出会うことは滅多に無いし、出会っても戦うことはない。
そんなことも調べないで、どこかの動物園か爬虫類園で見た「コブラとマングースの戦い」を見たか聴いたかして思いついたのだろう。
結局、天然記念物の「イリオモテヤマネコ」がマングースに襲われる事態となって、今、マングース駆除に躍起となっているのだ。
この様に、一時の感情や思いつきの「正義」で行動を起こしてはならない。
近視眼的な「正義」は、傍迷惑なだけなのである。
こういう輩を「街の正義漢」と言う。