2-16-1【正義】
動物は「力こそが正義」である。
これは、『自己保存』の本能に基づくもので、そのためには容赦の無い殺戮さえあるのだ。
例えば、ライオンは縄張り争いに勝てば、前の雄の子供を全て噛み殺してしまう。
人間から見れば、実に残酷なことだが「弱い遺伝子を残さない」という『種の保存』には理にかなっているのだ。
人間の「正義」は、動物の「掟」とは違う。
もし、「力こそが正義」なら、頭の良くても力の無い人間は皆淘汰されてしまい、ここまでの文明は築けなかっただろう。
人間の正義は『共存共栄』なのだが、このこと原因で数えきれないほどの「正義」を生んでしまうのだ。
常識が「時と場所」で異なるように、常識に基づく「正義」も同じように異なってしまう。
例えば「納豆に砂糖を入れて食べる」ことを小さい時からやっていれば、それが常識なのであり、他の地域の人から「何だそれ!そんなこと許せない!」と言われようと「理不尽だ!不当介入である!」と感じるだけである。
日本も五十年程前は『女性は家庭的な人間が理想』と言うのが常識だった。
だから職業婦人は白い目で見られ、肩身の狭い思いをしていたが、高度経済成長期で人手不足になり、その時の都合で逆に女性の社会進出が正義になったから、今はそんなことを言う人間は誰もいない。
1970年代に「中ピ連」が大活躍し、女性差別撤廃のために女性を虐げる男の会社に乗り込んでニュースになったが、あの人たちは今どうしているのだろうか。
「必殺仕置人」のようなイメージだったのを覚えているが、乗り込まれた人は堪らなかっただろうと思う。
「中絶」は日本では野放し状態だが、キリスト教ではレイプでできた子さえも中絶は許されない。
生命こそが「正義」であり、愛の結晶かどうかなどは論外なのである。
このことに関しては、共和党、民主党の大統領選挙の争点にもなっている。
また、イスラムの世界では「女性は家に籠って、子育てや家事に専念しなければならない」ことが正義なのだ。
だから、イスラムでは女性は職業に付けない。
これは、砂漠などの地理的条件で働き口が無かった頃の必然的な正義であり、そのために食べていけない女性のための「一夫多妻制」なのだ。
特に「ジハード(聖戦)」が許されているから、男は必然的に死亡する確率が高いので、一夫一婦制の下で職業に就けなければ、収入を断たれた寡婦は餓死するしかないのだ。
「一夫一婦制」の地域から見れば「一夫多妻制」を興味本位でしか見ないが、イスラムの世界では仕方の無い制度なのである。
極論すれば、常識は人それぞれだから、人と同じ数の正義があるのだ。