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3-11-1【幼児虐待】

また、幼児虐待が起きた。

意識不明の重体である。


なぜ、自分の子供を虐待するのだろうか?

それは、子供を「自分の所有物」と思い込んでいるからなのだ。


子供は生まれた時から別人格である。

ただ、成人までに社会性を教えて自立させる必要がある。

これが「躾け」と言うことなのである。


人間は、規制がなければ楽な方に行くに決まっている。


例えば「水」と「熱湯」を混ぜれば「ぬるま湯」になる。

「ぬるま湯」が、いつの間にか「お湯」と「水」に分かれることはない。


また、部屋は散らかるのが当たり前だ。

つまり、自然は楽な方に楽な方に流れるのだ。


本などが乱雑に散らかっているのを、整理整頓するためには、「仕事」をしなければならない。

これを「エントロピー増大の法則」といって、熱力学の第二法則になっている。


人間も放っておけば、楽を覚えて我慢のできないわがままな人間になる。

それを「躾け」で人間性を整えるのである。


しかし、子供なのだから経験が少なく、考えることができない。

つまり、思うようにはならないのが当たり前なのである。


ここが「幼児虐待」の分岐点なのだ。


解らないから「犬猫のように身体で教え込むタイプ」と「優しく解るまで言って聞かせるタイプ」に分かれる。

自分が小さいときに訳も解らず殴られて育てられると、親になった時に同じことをする。

自分が納得するまで教えられなかったから、子供に優しく教える術がないのである。


解りやすく教えることが一番なのだが、言っても分からない場合は『そんなことしたらお母さんは泣いちゃう』と言って、母親が嫌がっていることを伝えればいいだけなのである。


間違っても『ほら、おじちゃんが怒っているよ』と他人のせいにしてはいけない。

そうすると、一生他人の顔色を伺いながら生きる卑屈な人間になってしまう。


子供を躾けるのは大変なことなのだ。

だが、社会に出しても恥ずかしくない人間に育て上げた時の感慨は大きい。

高い山に登るほど頂上での景色も一入ひとしおなのである。


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