表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
67/110

1-10-4【弔い】その2

職員のご母堂が亡くなられたので、昨日は一日掛けて遠方の告別式に行って来た。


やはり、当たり前だが遺族の方々は悲しそうだ。

しかし、95歳にもなれば「天寿を全うした」のだと思う。


実際に老後の面倒を見ていたお嫁さんは、淡々としたもので『80歳半ばから認知症だったから』と正直ホッとしているようだった。


半世紀前の平均余命は70歳そこそこだったから、お嫁さんも50歳ぐらいで「介護」から開放されたが、今は100歳位まで生きる事も可能である。


老後が元気で、自分で何でもできれば良いが、「介護」が必要になると世話をする人間にとっては生地獄である。

世話をしない親戚は気楽に「病気でもいいから生きていて欲しい」と言うが、なら自分で「介護」すべきだと思う。


傍から「やいのやいの」と言うべきではない!


良く雪国に行って『雪国はいいですね』とか宣う輩がいるが、たまに来るからであり、そこに住んでいる人間にとって雪は魔物でしか無いのだ。


雪が資源として利用できればいいのだが、今は除雪に無駄な費用が掛かるだけのただの邪魔者である。

本当に税金を「水に流している」だけなのだ。


今は若者が都会に出て行ってしまい、年寄りだけが残されて「雪掻き」をしている。

敏捷性やバランス感覚が衰えているから、転落や雪に埋まって死ぬ老人が絶えない。


本当の苦労は「当事者」でしか解らない。

「寝たきり老人」の延命処置や薬漬けの老後が、本当に必要なのだろうか。

全ては「自然死」を拒否していることの歪なのである。


他人ならば「仕方ない」と思えるのに、肉親なら「何をしても生かし続けたい」と思うのは,人間最大の煩悩なのである。


肉親も他人も同じ生命である。

肉親が他人よりも尊い命ならば、廻りまわって、結局全ての命は平等と言うことになる。


天寿とは「自然死」を受け入れることなのだ。

自然死を拒否し生を貪ってしまっては、野辺の送りを済ませても、極楽どころか人間界にも転生することは出来ないだろう。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ