1-16-1【安らぎ】
「安らぎ」とは何かを考えると、結構難しい。
何でもない時に「安らぎ」を感じる時もあれば、何不自由なくとも「焦燥感」に襲われる時もあるからである。
とすれば、『安らぎが無い』とは、自分の追い求めている「幸福」が高過ぎて「満足感」を得ることができないことなのではないか。
ある程度の地位に就くと、さらなる高みに就きたくなるらしい。
ある程度、小金を貯め込むと、ますます金が欲しくなるらしい。
自分が、そんな立場になったことが無いから、あくまで伝聞でしかないが、ニュースを見聞きしていると「汚職」やら「詐欺」の種が尽きないところを見ると、あながち間違いではなさそうだ。
人間、皆「どんぐりの背比べ」だから、人と一線を画すためには「人と違ったこと」をしなければならない。
実は、ここが問題なのである。
明らかに抜きん出ていれば、黙っていても「差」は付くが、みな「どんぐりの背比べ」なのだから、権謀術策を弄しなければ「差」を付けることはできない。
ここに、「安らぎ」から遠ざかる原因があるのだ。
ある程度の地位や収入で満足すれば、簡単に「安らぎ」は手に入る。
しかし、目標を高く掲げたのでは、そこに到達するまで「安らぎ」を得ることはできない。
世の中は、これを「向上心」と言うらしいが、本当の「向上心」とは精神的な高みを目指すことを言うのであって、「地位」とか「利益」などの俗物根性を言うのではない。
このような俗物はいつまでたっても「安らぎ」を得ることはできず、最終的にはヒルズ族の某のように「犯罪者」として裁かれるか、裏切りの報酬としての孤独死が待っているだけなのである。
これでは、真の「安らぎ」とはベクトルの向きが正反対なのである。
「安らぎ」は「幸福感」から生まれてくるものだし、その「幸福」は「満足」することで生まれる。
だから、「知足=足ることを知る」ということが重要なのだ。
金持ちになっても、金儲けのために忙しくて、子供に愛情を注げず、子供が「覚せい剤」に手を染めて、三度も逮捕されてしまった女優がいる。
この子には、「お金」よりも「愛情」の方が必要だったのだ。
『忙しくて会えない分、お金で穴埋めをしていた』と女優は語っていたが、これは「金」が全てであると思い違いをした、「成金」の典型である。
親も不幸だが、こんな風にされてしまった子供はもっと不幸である。
「地位」や「金」で幸せは買うことはできない。
「安らぎ」を得て「幸福」になることが、人生の最終目標ならば、「地位」や「金」といった道具に引っ張り廻されているのでは、本末転倒である。
「人生、死ななきゃ、それで良い」と思えれば、今からでも「安らぎ」を得ることができるのだ。
人間は、世間の評価のために生きているのではなく、自分自身のために生きているのである。