1-11-4【心眼】
落語に「心眼」という演目があったが、差別用語が入っているので、今は誰もやらない。
粗筋は以下の通り。
『横浜から顔色を変えて、按摩の梅喜が帰ってきた。ただ、「俺は死にたい」と言うばかりなのを、女房のお竹が訳を聴くと、弟から「メクラの穀潰し」と何回も言われたという。
それが悔しくて、当てつけに弟の店の前で首を吊ろうというのだ。
お竹が説得して、翌日から茅場町の薬師如来様へ「目が明きます様に」と、三七、二十一日間、願掛けに通うことにしたのだったが、満願の日になっても眼が開かず、「賽銭泥棒!」と薬師様の悪態を吐く。
そうすると「青天の霹靂」に遭い気を失うが、息を吹き返すとと目が明いていた。
その時薬師様のお堂で声を掛けられたのが、お得意さんで馬道に住む上総屋さんだったが、幼いうちに眼が見えなくなったので顔も分からない。
眼を瞑って声を聞いて初めて上総屋さんと判った。
目が明くと道も分からないので、上総屋さんに手を引いてもらっていると、目の前を人力車が横切った。ビックリして眺めると、お客は綺麗な芸者だった。(幼いうちに眼が見えなくなったのに奇麗だと判るのは、ちょっと話に無理がある)
上総屋さんに「お竹と比べるとどっちが綺麗ですか」と尋て見ると、「旦那を目の前にしては失礼だが、“人三化七”といってお竹さんは化け物の方に近いが、気立ては観音様ような優しいおかみさんだ」と教えられ、ついでに「梅喜さんは役者と見紛ういい男で、今通った芸者の小春も「役者よりお前の方がいい男だ」と言っていた」と聞かされる。
そうこうしている内に、浅草の観音堂で人混みに紛れて上総屋さんとはぐれてしまった。
帰り道が判らずにうろうろしていると、さっきの小春がお座敷の帰りがけに梅喜を見つけて、「丁度いいから話がしたい」と富士下の待合いに誘い連れ添って入った。
上総屋の知らせで観音堂に目が明いた梅喜が居ると知らされ喜んで来てみると、二人連れが待合いに入る所を見てしまう。
待合の二人は酒に任せて、「化け物女房は放り出すから、一緒になろう」と悪だくみしていると、お竹が踏み込んで、梅喜の胸ぐらを締め上げた。「勘弁してくれ、苦し~い。お竹、俺が悪かった」といる苦しんでいると、「どうしたんだい?」とお竹に揺り起こされた。
まだ、満願を迎える前に夢を見たのだ。
「一生懸命信心してくださいね」とお竹が言うと、「あ~ぁ、もう信心はやめた。盲目というものは妙なものだね、寝ている間だけ良~く見える」』という落語だ。
最後の落ちが、もう一つあって、夢ではなく本当に満願を迎えて落雷で眼が開く。そして小春と悪だくみをしての帰りに小春ともども落雷に遭うが、小春は驚いて梅喜を放り出して逃げてしまう。
そこに、お竹が駆けつけて介抱し、気が付くとまた眼が見えなくなってしまっていた。
天罰が下ったのだが、梅喜は『ああ、良かった。眼明きじゃ、ちゃんと見えねぇ』というものだ。
こっちの方が真理を突いていて好きなのだが、「メクラ」というのが差別語に引っかかって、この演目をやる演者は、もう誰もいない。
我々健常者は、実は「姿形」の惑わされて、真実が見えていないという教訓なのだが、「差別語」という言葉狩りで、このような教訓がが失われるのは本当に悲しいことである。
眼の見えない人にとってもホッとする話だと思うのだが、残念だ。
筒井先生が、言葉狩りに反対して絶筆するのも頷けることである。