表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/110

1-8-3【世の中】

世間、社会、ソサイエティとも言う。

同じ価値観、同じ規律を持つ集団であり、いくら人数があっても価値観、規律が違えば「世の中」とは言わない。


例えばエルサレム旧市街地は、四つの街区で構成されている。

1.キリスト教徒地区 2.ムスリム地区 3.ユダヤ人地区 4.アルメニア人地区


それぞれが一つ一つの「世の中」であり、それぞれの「世の中」は他の「世の中」とは交流が無いどころか各々が対立している。


同じ価値観、規律を「常識」と呼び「世の中」を維持するための手段となっているのである。

当然、「常識」に反する者は「村八分」的な扱いを受け、社会から隔離されてしまう。

「世の中」は自らを護るために、このような仕組みが出来上がっていて、簡単には常識を変えることはできない。


つまり、「世の中」自身が意思を持っているのである。


例えば「大東亜共栄圏」という考えが「常識」になると、「世の中」がこぞって実現に向けて動き出し、反対するものは「非国民」として鬼のような扱いを受け、戦争突入が常識となってしまうのだ。


だから、メディアは正確に事実だけを報道すればいいのだが、功利主義の「世の中」では『利益こそが正義』だから、「世の中」に迎合する記事を報道しなくては生きていけない。

こうして「世の中」は間違った方向に加速し、ついにはカタストロフィ・ポイントを超えてしまうのである。

こうなると、もう後戻りはできずに破滅に向けてまっしぐらだ。


卑近な例で、前回と前々回の総選挙を振り返ると、前々回は「郵政選挙」と煽られて自民党の大勝だったが、前回はリーマンショックのよる絶望的な閉塞感から、「政権交代」と煽られて民主党の大勝となった。


しかし、どちらの選挙にしても冷静に将来を託したとは思えない。

どちらも集団ヒステリー状態で総選挙が行われたのである。


そもそも、農耕民族は「共同作業」が基本だから、常識には逆らうことはできない。

でなければ、すぐ「村八分」の制裁を受けて、事実上生きて行くことはできなくなってしまうのだ。

ただ、メディアを正しいものとして無批判に受け入れるのではなく、自分で咀嚼し消化する力を付けなければ、「大政翼賛会」の悪夢が再び蘇ってしまうのである。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ