1-8-3【世の中】
世間、社会、ソサイエティとも言う。
同じ価値観、同じ規律を持つ集団であり、いくら人数があっても価値観、規律が違えば「世の中」とは言わない。
例えばエルサレム旧市街地は、四つの街区で構成されている。
1.キリスト教徒地区 2.ムスリム地区 3.ユダヤ人地区 4.アルメニア人地区
それぞれが一つ一つの「世の中」であり、それぞれの「世の中」は他の「世の中」とは交流が無いどころか各々が対立している。
同じ価値観、規律を「常識」と呼び「世の中」を維持するための手段となっているのである。
当然、「常識」に反する者は「村八分」的な扱いを受け、社会から隔離されてしまう。
「世の中」は自らを護るために、このような仕組みが出来上がっていて、簡単には常識を変えることはできない。
つまり、「世の中」自身が意思を持っているのである。
例えば「大東亜共栄圏」という考えが「常識」になると、「世の中」がこぞって実現に向けて動き出し、反対するものは「非国民」として鬼のような扱いを受け、戦争突入が常識となってしまうのだ。
だから、メディアは正確に事実だけを報道すればいいのだが、功利主義の「世の中」では『利益こそが正義』だから、「世の中」に迎合する記事を報道しなくては生きていけない。
こうして「世の中」は間違った方向に加速し、ついにはカタストロフィ・ポイントを超えてしまうのである。
こうなると、もう後戻りはできずに破滅に向けてまっしぐらだ。
卑近な例で、前回と前々回の総選挙を振り返ると、前々回は「郵政選挙」と煽られて自民党の大勝だったが、前回はリーマンショックのよる絶望的な閉塞感から、「政権交代」と煽られて民主党の大勝となった。
しかし、どちらの選挙にしても冷静に将来を託したとは思えない。
どちらも集団ヒステリー状態で総選挙が行われたのである。
そもそも、農耕民族は「共同作業」が基本だから、常識には逆らうことはできない。
でなければ、すぐ「村八分」の制裁を受けて、事実上生きて行くことはできなくなってしまうのだ。
ただ、メディアを正しいものとして無批判に受け入れるのではなく、自分で咀嚼し消化する力を付けなければ、「大政翼賛会」の悪夢が再び蘇ってしまうのである。