第11話 才能
【アリアス視点】
ジルベスタル魔法研究所は賑やかになった。
ララは書類整理に追われ、僕は設計に専念する。
王室からの評価は鰻登りである。
元気のなかったお婆ちゃんは立ち上がって歩き始めていた。
彼女はヨネル・ゼレスタ。
100歳を超えているようなのだけれど、正確な歳は不明だ。
昔はやり手の魔法使いだったらしい。
街のみんなは驚いていた。「おヨネさんが歩いている!」って。
特に僕が何かをしたわけではないのだがな。
研究所の活気が彼女に伝わったのかもしれない。
おヨネさんは研究所の家事全般を担っている。
彼女の作る料理は絶品なんだ。
コッコルーのジンジャー焼きは堪らなく美味い。
だから、僕もララも助かっている。
今だって、抜群のタイミングでお茶を入れてくれている。
僕が飲みたいと思ったら直ぐに持って来てくれるからありがたいんだ。
ただ、お茶を置くついでがなぁ……。
「アリアスちゃんは今日もいい男だねぇえ。んーーぶちゅう」
困ったことに、彼女には随分と気に入られてしまったようだ。
隙があればほっぺにチューをされてしまう。
「もぉ。おヨネさん。アリアスさんが困ってるじゃないですかぁ」
「ひょほ! だって素敵なんですもん」
ま、好かれているから良しとするか。
と魔法暦書を開いた。
パサ……。
あ、そうそう。
この本のことを言い忘れていたな。
これはこの研究所の書庫にあったものだ。
ララに案内をされた時は所内が震えるほど叫んだっけ。
「魔法暦書だぁああああああ!! さ、30冊以上あるぞぉおおおお!!」
聞けば王都ジルベスタルは古墳の発掘などには精通しているようで、毎年何冊かの魔法暦書が見つかるらしい。
王室はその価値がわからないらしく、保管に困っていたので研究所に置いているだけなんだとか。
ララさえもこの本の価値をわかっていなかった。
「それって何が書いてあるんです? 古代文字は誰も読めないんですよね」
だからこそ価値があるのだ!
古代に眠るまだ見ぬ魔法のヒントがふんだんに盛り込まれているのだぞ!
と言ったところで彼女には伝わらないだろう。
僕は無駄なことはしない主義なんだ。
でもいいさ。
そのうち、彼女にもこの本の価値がきっとわかるだろう。
それにしても忙しくなった。
魔法暦書は1冊を解読するのに3ヶ月もかかるんだ。
しかも解読している間にも発掘が進めば増えるだろう。
フフフ。
これは時間が足りないぞ。
もう、この研究所に骨を埋める覚悟ができた!
最高の環境だ!
あとは美味い料理が食える店を何件か知れれば言うことなしだな。
「アリアスいるぅーー?」
研究所に来たのは第二騎士団長のカルナだった。
ララが案内をする。
「アリアスさんは今、お茶をしているところですよ。アリアスさーーん。団長が来られましたーー」
「団長様はよく来るねぇ。よっぽどアリアスちゃんが好きなんだねぇ」
「は!? ちょっとおヨネさんやめてよね! 私には大賢者様っていう心に誓った方がいるんですからね!」
「でもぉ。それにしても毎日来るじゃないか。そんなに仕事もありゃせんでしょうに」
「は!? な、何言ってんのよ! そんなんじゃないわよ! アリアスをここに連れて来たのは私なのよ! その責任があるの! あいつがさぼってないか確認する必要があるんだからね!」
カルナは僕の前に立った。
「あんた、お茶する時も本読んでるの?」
「時間が足りないからな」
「そんな何書いてんのかわかんない本がよく読めるわねぇ」
「みんなの未来が詰まっているんだ」
「はぁ? あんたって本当、よくわかんないわねぇ」
「何しに来たんだ?」
「べ、別に……。よ、用はないけどぉ……。用事がなくちゃ来ちゃダメなの?」
「暇ではないんだ」
「うう……。た、たまには息抜きも大切でしょ?」
「今してるさ」
「難しい本読んでるじゃない」
「これが僕の休憩なのさ」
「はぁ……。脳みそパンクしちゃうわよ」
「仕事の邪魔はしないようにな」
「な、なによそれぇ! せっかくタルティ屋の卵タルトを持って来てあげたのにぃ!!」
卵タルトだと?
それはフワフワで甘くて美味しいやつだ!!
「いいわよ!! みんなで食べちゃうんだからね! ララ! おヨネさん、良かったらお茶しましょうよ!!」
みんなはテーブルを囲んで席についた。
「はーーい。んじゃ、これがララの分で、これがおヨネさんの分ねぇ」
「うわぁ! 私、これ大好きなんです!! カルナさんありがとうございます!」
「団長様ありがとうねぇ。あたしも、これが大好きなんですよ」
「ふふふ。女の子3人で食べちゃいましょ! あの人は仕事で忙しいみたいだから」
いやいや、待て待て。
「あーー。コホン。甘い物は脳の栄養になるという豆知識を知っているかい?」
「へぇ、そうなんだ。知らなかった。1個余ったから3人で分けちゃいましょ!」
「ゲフン! コホン! ゴホン!! ぬぁーー。あ、甘い物は喉にも良いと言う知識があるんだ」
僕はそっと自分の皿を前に出した。
「あんたって結構意地っ張りね」
「……君に言われたくはない」
カルナは僕の皿に卵タルトをよそってくれた。
「「「「 いただきます 」」」」
あ、甘い……。
乾いた脳みそにガツンと来る感覚だ。
例えるならば真夏の風呂上がりに飲むビールのよう。
痺れるような快感と幸福感。
この甘味はメイプルシロップだ。
蜂蜜も入っているのだろう。
卵生地とバターの香りが鼻腔に広がってたまらん美味さ。
美味しいお菓子はトークが弾む。
女子たちはキャアキャアとはしゃぎながらお喋りをしていた。
だが、そのほとんどが間違った知識だ。
訂正してやらんとこっちが気持ち悪い。
「素数だな」「聖職者でも悪なんだ」「世界を変える力」
カルナは訝しげな声を出した。
「あんた、本当は本なんか読んでないんじゃないの?」
「いや、読んでいるぞ」
「それにしては、私たちの会話に的確に入ってくるじゃない」
「僕は本を読みながらでも10人の会話を聞き分けることができるからな」
「「「 え!? 」」」
おや、変なことを言ったかな?
「い、いくらなんでも10人は言いすぎじゃない?」
ペラリ。
「そうかもな。しかし、以前所属していた研究所の会議では10人しか参加していなかったんだ。それ以上は試したことがない」
「「「 ………… 」」」
おや?
静かになったな。
まぁいいか。
「……あ、あんた。会議の時もそれ読んでるの?」
「ああ。文書を書く時以外は大概目を通している」
「き、器用ね」
「そうでもないさ。君は息をするだろ?」
「そりゃするわよ」
「それと同じさ。僕にとって魔法暦書の解読は息をする行為と同じなんだ。実に心地いい」
「は、ははは……。でも計算はできないでしょ?」
「できるよ」
ララはボソッと声を出した。
「378×241 は?」
「91098」
「は、早い!」
サラサラ。
と彼女が紙に何かを書く音が聞こえた。
音の性質から、おそらく計算式を書いて確認しているのだろう。
「……あ、合ってます」
ほらな。
場はまたも静まり帰った。
ふむ、タルトが美味い。
「あ、あんたの頭の中はどうなってんのよ?」
ペラリ。
「それは調べたことがないからわからんがな。しかし、君たちと同じ脳が入っていることはわかっている」
「脳って、脳みそのことでしょ? そう言われてもよくわかんないわよね。医者じゃないんだし」
「脳みそというのは生き物の神経中枢なんだ、その構造は複雑で──」
「503×627−278+432 は?」
「脊髄とともに中枢神経系をなし、315535。感情・思考・生命維持その他神経活動の──」
「41X×17=63Y×12 は?」
「──中心的、指導的な役割を担う。697X=756Y=0 よって我々人類にとって極めて重要であり、最も愛すべき部位なんだ」
そんな脳に糖分を供給するのは僕の責務だな。
ララは再び計算式を確認した。
「ふ、2つとも合ってます!!」
ペラリ。
おや?
フォークの感触が、
カツン……。カツン……。カツン……。
「もう無いわよ。あんたのタルト……」
ふむ。
視野だけはどうにもならん。
「美味かった。ご馳走様」
丁度、僕が口を拭いた時だった。
玄関から野太い男の声が研究所に響く。
「誰かおらんかーー?」
この声聞いたことがあるぞ?
「私はロントモアーズの魔法騎士副団長のバラタッツ・ザコールだ! 誰かおらんかーー?」
やれやれ。
どうして奴がここに来たんだ?




