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第一話

「ねぇ、ソラ。今日の零時を過ぎたら、私十七になれる」

 そう言って笑った彼女の声は、掠れていたはずなのに、俺にはとても澄んで聞こえた。

「生きて十七歳を迎えられたら恋をしようと思うの。もちろん、ソラとだよ?」

 点滴の管に繋がれ、酸素マスクに顔を覆われた笑顔は、それでも壮絶に美しかった。


 だからこそ、いま彼女に聞きたい。

 ヒカル、お前はあの時どちらの未来が待っていることを予想した?

 自分の事に関してはひどく現実的だったお前が、最期にああ言ったのはなぜなのだろう。

 だからこそ、いまお前に聞きたい。


 お前、恋したかったのか。

  

 

 彼女は16歳の最後の日に死んだ。七月六日のことだった。

 だから、あれは、恋ではなかった。

 

     一、 


 まだ少し肌寒い風が吹く、四月の空。屋上からは庭の桜が一望できる。でも真夜中の今、桜は微かにピンクの色を俺の視界に揺らすだけで、その様子を俺は楽しめないでいた。

 手には包帯。その原因を思い出して吐き気がした。この春休み、俺は大事なものをひとつ、失ったばかりだ。

「だれ?」

 柵に手を掛けてぼーっとしていた俺の後ろから、柔らかいアルトの声が響く。

 不思議な声だった。大人の声にも子供の声にも聞こえる。

 振り返った俺の目に入ったのは一人の少女。         

 真っ白い肌に黒い髪。細い体。何より印象的だったのが、そのオーラだった。どこか儚げで、寂しげで、でも目だけが強い力を放っていた。

 「ねぇ、だれ? その腕、入院してるんでしょ?」

 答えない俺に、彼女は質問をし続ける。

「年はいくつ? 何号室? ねぇ、答えて?」

 不躾な俺の視線にやっと気づいたのか、彼女は続けてこう言った。

「人のことじろじろ見るくらいなら、質問にくらい答えてよね」

 そう言って膨らました頬は、彼女を幼く見せた。

「えっと、ごめん。なに?」

「もう! 年齢! いくつ?」

 そのときようやく彼女が俺の年を聞いていることに気づいた。それと同時に、彼女の言葉が耳に入らないほどに、彼女に見惚れていたことにも。


「滝嶋空くんって言うんだ。じゃあソラだね! 病室もね、近いよ。私ちょうど真上だから!」

 俺が、怒った彼女の言葉にようやく目を覚ましてから、お互いに自己紹介し合った。屋上に置かれたベンチに隣り合って座る。

 白い部屋着にカーディガンを羽織った彼女の名前は、ヒカル。

年は俺の一つ下で、そしてさらに偶然なことに、彼女は俺の病室の真上、403号室の患者だった。

「私この病院詳しいよ? もう入院生活長いから。三階は確か、怪我の人だもんね。じゃあその腕だけでしょ?」

 その言葉に俺は胸の痛みを感じた。確かに俺の怪我はこの腕だけだ。ただし、見えない傷もこの世には存在する。

 俺はこの総合病院で、精神科にもかかっていた。でもそれを見ず知らずの女の子に言うつもりはまったく無かった。もしそれを言えば、事情を話さなければならなくなる。まだ心に思うだけでも苦しい。

「ああ、そうだよ。腕折っちゃって。しかも複雑骨折の全治三ヶ月」

「そっかー。じゃあ入院はせいぜい一ヶ月ってとこでしょ。いいなぁ。すぐに外に出られるね」

 足をブラブラさせながら、彼女は笑顔を絶やさない。だから俺は軽い気持ちで聞いてしまった。入院生活が長いからと、彼女は言っていたのに。

「ヒカルは? 見たところ怪我は無いみたいだから病気か?」

 俺は本当に無神経だったと思う。他人の心の機微に疎くなっていたとしか思えない。

 ついさっき思ったばかりだったのに。見えない傷も、この世には存在するのだと。それは心の傷だけじゃない。そんなこと、ここが病院である以上、考えなければならないことだったのに。

「そうだよ」

 冷たくも感じたその一言。でもヒカルは笑顔だった。

 


 夜中に病室を抜け出すのは、これが初めてではない。

 屋上に続く扉は古く、ちょっとしたコツで開くことを教えてくれたのはヒカルだ。

 屋上で初めて会ってから一週間がたった。それから半ば強制的に夜の散歩に付き合わされている。散歩と言っても病院の屋上のベンチで、ただ2人で話をする。 

「おそいよ、ソラ」

 そう言って、頬を膨らませこちらを向く。今思えば、このヒカルの癖は最後まで変わらなかった。いつあっても、その後決まって彼女はこう言う。

「今日はどんな話を聞かせてくれる?」

 彼女の目はいつもキラキラしていた。

 それは星に似ていた。山で見る、静かで、そして凛と瞬く星に。

 俺にとって星は憧れと夢の象徴で、山は畏怖の対象だ。

 だから俺はヒカルは、もっと見ていたいとも思うし、目を背けてしまいたくもなる。

 今はもう、それすらも叶わないが。

 

 

 初めてヒカルと会った日に、彼女は病気で長く入院しているといった。

「お母さんはお仕事をしてて忙しいの。だからあんまりお見舞いに来てくれなくて、退屈なの。ソラはひまでしょ?」

 彼女の入院費のために母親は働いている。見舞いにこれないのは仕方ないのだと笑って言った。

 一瞬で囚われた。強い瞳と、いつでも笑う強さに。人として、憧れた。

「今はソラがいるから良いけど、退院したらまた一人だなぁ」

 言葉だけ聞けば寂しそうなのに、彼女は寂しさすら受け入れて笑う。

「1ヶ月で退院なんていわないで、あと3ヶ月いてよ」

「なんで3ヶ月なんだよ?」

 甘えたように言うヒカルに、まるで友達のように言葉を返す。

さっき会ったばかりなのに、もう何年も連れ添った友人のようにも感じた。

 星を見続けてきたからだろうか。ヒカルが星のようで、だからこんなにも気安く話せてしまうのか。

「だって3ヶ月経ったら私死んじゃうもん。その間くらい、誰かとお話したいと思うのは普通でしょ?」

 俺は息を呑んだ。言葉が出なかった。

 そんなことを笑って言うヒカルは、どこか壊れていると思った。

 

 あぁ――同情だ。今、心に沸き起こった感情は、醜いものだ。

 自分は不幸だと思っていた。大事なものを失って、怪我をして、そんなときに会った彼女が、自分より「下」だと一瞬でも感じた自分に吐き気がした。

「あ、そうゆう顔嫌い」

 黙ってヒカルを見つめる俺に、ヒカルはきりっとした強い目を向けて言った。

「私のこと『不幸』にしないで。ソラの価値観押し付けないで」

「……っ、ごめん」

 反射的に謝った俺に、今度はヒカルが笑って言う。

「じゃあ、ソラのこと教えて? 死ぬのは怖くないけど、シラナイのは悔しいの」

 だから俺は毎夜こうして屋上に来る。ヒカルの「シラナイ」を減らすために。


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