ファッションリーダー
右30度の角度から映るようしっかりとカメラを調整し、私はゆったりと笑みを浮かべてライブ配信を開始した。
「今日のコーディネイトは、とくに上半身にドレスを集中させることでマスクの印象を柔らかくしています」
白々しい言葉に、マスクの裏で唇が引きつりそうになる。だけど私はプロだ。こんな程度で表情を変えない。それから私は次々と、夏らしくリモートワークやバーチャルデートに合わせた室内コーデを並べ立てる。外出着と合わせたWHA規格マスク姿のほか、厳戒地区向けの簡易防護服をかわいく見せるWHA認定プリントを紹介していった。
ようやく30分のライブを終え、私はカメラを止めた。昔なら1時間ライブぐらい平気でやっていたのに。家の中はもちろん、横浜のランドマークタワーや表参道のセレクトショップ、大阪梅田、パリからだってライブをやったことがある。そんな私が、たった30分の自宅ライブでばててしまうだなんて。
原因はわかっている。WHA規格マスクとWHA認定プリントの紹介だ。WHAの秘密委託を受けた私は「公衆衛生に資するファッションの普及啓発」を悟られないよう拡散する仕事をしている。
このロックダウンされた都市で、誰が街着を買ってくれるというのだろう。
いくらデートでも、防護服の中で見えないワンピースを買ってくれる少女がいるだろうか。
握手や宴席が消え、リモートワークと現場労働のみとなった今、高級な革靴とセンスの良いベルトを欲する中年サラリーマンを連れてきてほしい。
そして、そんな中でファッションを紹介するお仕事を続けることがどれほど厳しいことか。だから私はこの仕事を受けた。受けたのだけれど。私はあのときの選択が本当に正しかったのか、今でも思い返してしまう。
「La modeさんですね?」
突然、私の事務所に現れた防護服の集団。私は小さく悲鳴をあげた。私は何も、WHAに取り締まられるようなことはしてないのに。
待ってまさか、先日個人輸入で入手したリネンの生地は出所がよくわからなかったし見慣れない風合いだった。リネンって、まさか大麻業者関係とか。ないない。私ってほんとファッションにしか興味ないし。
「あの、大丈夫ですか?」
シルバーグレーの防護服が並ぶ中、奥からプルシャンブルーの防護服を着た男が現れて頭を下げた。彼が手で合図すると男たちが何か機械を動かし、私たちを含めて巨大なテントを室内に張って空気を抜き、代わりにボンベから空気を満たした。
プルシャンブルーは防護服を脱ぎ、折り目正しく頭を下げる。英国調のスーツで当然にジレを着た、いわゆる三揃いというスタイルだ。ネクタイは先ほどの防護服と同じプルシャンブルーにスカイブルーのドットをあしらっており、靴は英国王室御用達ジョン・ロブの内羽根ストレートチップだ。
彼は柔らかな声で、自分がWHA広報宣伝官だと自己紹介した。広報宣伝官とはあまり聞かない肩書だ。
「WHAの施策は医学的又は軍事的な見地での情報公開が多いので、私のようにわかりやすく伝達する、イメージを伝達することを任務とする部隊もいるのですよ」
「あと、面倒事の交渉を担当する、じゃありませんか?」
私は恐れつつもきつい言い方で単刀直入に聞く。男は柔和な笑みを崩さず、なぜそう思います、と訊いた。
「まず、そのプルシャンブルー。ネイビーとともに相手を安心させる色よね。あと一般にマナーにも合うわ。そのネクタイもそう。わざわざ心理学的に鎮静効果のあるスカイブルーまで噛ませてる。あとその靴。絶対に防護服向きじゃないでしょ。私の気を引こうとしている」
男は額を叩いて笑う。
「さすがは電脳界のファッションリーダー、La modeさんだ。私の小細工はお見通しですか」
「あとこれは私の予想だけど、その下手に出ている態度も演技じゃないかしら」
男は酷薄な笑みを浮かべて言った。
「隠しだてするのもよくありませんな。私のもう一つの肩書は世論交渉官です」
なんか気持ち悪い肩書が出てきた。眉をひそめると彼はささやいた。
「公衆衛生上、妥当な服装やファッションを拡散して欲しいのですよ。あくまで我々の衛生基準を満たした衣料を自然と購入するよう誘導していただく」
「ファッションは都市の空気を支える自由な心の支柱だわ。ココ・シャネルはコルセットから女性を解放し、自由に活躍する女性の時代を現出させたの」
「ファッションは集団の安全や労働を防護する機能がある。ココ・シャネルは第一次世界大戦において労働を必要とした女性の要請に応えて世界を変えた」
私は交渉官と睨み合う。なんて嫌な奴だ。そしてよく勉強している。
絶対こいつはファッションを愛していない。道具としか見ていない奴だ。
だが続けて語る彼のアパレル業界の売上推移や、マスクと防護服確保のための衣料素材に対するWHAが検討中だという一元管理制度。
私はそこに抵抗の声を荒げ、彼の論理を美学から否定し、その美学を彼は受け入れつつ私を絡めとっていった。
いつのまにか私は彼のプロジェクトに助言する形となり、そして私は。
普及啓発秘密委託契約書にサインをしていた。
手元に残ったブルーブラックのサインが書かれた契約書を手に、私は彼の背中を見送っていた。
私の動画は一千万回再生を記録している。WHAの力だけではない。私だって全力で仕事をしているのだから。
たとえそそれが、WHAの用意した吊るしの衣装だとしても。
そこに何か一つでも、各自の想いと工夫があれば、その部分だけはオーダーメイドなのだ。
せめて世界の人たちが、少しでも自由なファッションに身を包めるように、私はこの魔の契約の中、ファッションを語り続けるのだ。




