機密の花園
周囲を警戒しつつ、私はスコップを片手に途方に暮れていた。
二世帯住宅を建てる際、父から条件として出された庭つきの家。そして仕事が休みの日はなるべく私が手伝うこと。妻は勝手にその条件を二つ返事で受け入れてしまい、私は仕事で疲れた翌日でも庭仕事を手伝う羽目になっていた。あの頃はいくらか妻と父を恨みがましく思っていたが、母はたまの運動に良いんじゃないと笑っていた。
キャベツや人参といった農作物が動物に荒らされることは覚悟のうえだったけれど、まさかチューリップの球根まで掘り起こされて食べられてしまうだなんて思わなかった。たしかに、ネットで見ればネズミやモグラが食べてしまうことがあるとは書いてあるけれど、今年までそんなことは一度もなかったのに。
父と育てていた頃から、ずっと。
また憂鬱な気持ちになりかけ、それでは駄目だと私は自分を奮い立たせた。この庭は私が守る、そう決めたのだから。僕はかじられかけた球根を取り除き、雑草を抜いて他の植物たちを確認する。
去年から植え始めたラベンダーはつぼみを膨らませ始めていた。去年はただ、そのまま眺めたりガラス瓶に生けるだけで終わったけれど、今年はよく育ったなら、妻がポプリを作りたいと言っていた。庭付きの家を買うには合理的な判断をするくせに、そういうところだけは未だ少女趣味だった。
撫子の花は既に咲いている。妻はダイアンサスと呼んだ方がお洒落だと言っていたけれど、私にとっては撫子という日本語の方が舌に馴染んでいた。この点は父も同じで、そんな私たちのことを母は似たもの父子と言って笑っていたものだ。
父がとくに手間をかけていたブッシュローズのあった場所に目を向ける。当然、そこはただの空白で、野生のフキが生えているだけだった。バラは虫がつきやすく、さらにそれを狙う鳥も集まりやすい。鳥が病原菌を媒介するという噂がたち、父は泣きながらバラを処分したのだ。
後日、それはただのデマだったとわかったけれど、あの頃の疑心暗鬼を避けるには、それしか方法がなかったと思う。そういう点では、情報が統合された現在は、色々と我慢さえすれば安心して暮らせるのかもしれない。
安全安心な防疫生活。
聞き飽きた標語がすぐに頭に浮かんでしまい憂鬱な気分になる。とはいえ、あえてそれに逆らうような胆力は持ち合わせていない。そんな豪胆な人間がガーデニングなんてやるものか。
思いかけて私は慌てて警戒の視線を周囲にさまよわせた。ガーデニングをしているだけ、そんな気持ちでいてはいけない。ガーデニングはじゅうぶんに危険な行動なのだ。
WHAは急速に拡大した病疫を撲滅するため、地域によってはロックアウトどころかほとんど個人を幽閉に近い状態で隔離までしている。農漁業は食糧生産のため維持されているものの、その過程で動物や土壌を介した感染のリスク分析が終わっていないため、徹底した管理がなされている。
そういった中で、WHAの公衆衛生技術者の限られたリソースを趣味のガーデニングに向ける余裕はない。だから素人のガーデニングは一律禁止とされた。
普通なら自宅なのでそのままガーデニングなんてできないのだけれど、私は幸か不幸か自宅に居住していない。不在の家ならそれほど監視もされていないはずだから、こうやって忍んで来たのだ。
この思い出の庭を私は守りたいと思っている。
思い出の庭の花々を咲かせてあげたいと思っている。
病魔に倒れた父と妻の墓前に、私たちの庭で咲いた花を供えたい。
私は再びスコップと闇取引で入手した肥料を手に、ガーデニングに勤しむ。