ヴァンパイアの絶唱
「大変なのはわかるよ。私もだから。だから隔離室を脱出するなんて言わないで」
私の言葉に彼らは素直にうなずく。もう一押しだ。私は口元に手を当てて目を潤ませ、黒革の長手袋をみせつけるようにして首筋の後毛をかき上げた。右のうなじに二つ並んだ小さなほくろ、ファンたちが言う「ヴァンパイアの傷口」があらわになる。
『闇夜魔姫様! 姫様についていきます! 俺たち臣民は貴女のもの!』
私は物憂げに微笑んでうなずくと、紅色に輝くヘッドセットを手にとって頭につけた。
深呼吸する。大丈夫、私はできる。
私は世界最高のアイドル。
闇夜魔姫は永遠のアイドルなのだから。
私はたとえ強大な感染症にも絶対に負けない、無敵不老不死のヴァンパイア系VRアイドル。少なくとも、この仮想空間に集まったファンたちにとって今、それは真実だ。だから私は歌う。全力で歌う。
世界中の誰にも負けることはなしに歌う。
たとえ、その相手が。
既に亡い、本物の闇夜魔姫だとしても。
VRライブを終え、私はその場にぶっ倒れた。私は誰だっけ、と自答する。私は山田美咲。どこにでもある名字に平凡な名前。過呼吸気味になった体で身動きできない。いつもどおりカメラから隠していた酸素スプレー缶で酸素を補給し、何とか肉体の落ち着きを取り戻した。
画面に映る闇夜魔姫は、純白のフリル付きブラウスに骸骨のチョーカーを提げ、ワインレッドのスカートをまとい、黒革の長手袋とブーツを身につけて、背中にコウモリのような漆黒の翼を生やしている。
私はライブカメラの遮断を確認するとアクターズスーツを脱ぎ捨て、飾り気のない白シャツと黒いスキニーパンツを履いて黒縁の眼鏡をかけた。鏡に自分の姿を映して確認する。田舎住まいで地味子そのもの。そんな地味子の私が、カルト的と言われる自称吸血鬼系アイドル、闇夜魔姫を今年から演じているだなんて誰も思わないだろう。
もちろん、初めから闇夜魔姫が私なら、万が一にでも疑われるかもしれない。でも私は、闇夜魔姫こと朝日真希の幼なじみでファンで。
人気の絶頂で彼女が亡くなったことを知ったとき、私は信じられなかった。死因を聞いてもその情報源は何も答えなかった。そう。私の雇い主、WHA。世界中の防疫をつかさどる強大な軍事組織にして科学者集団。文系で政治にも興味の薄い私は、この機関にICT技術者や扇動宣伝担当職員もいるだなんて知らなかった。
機関からの男は言った。貴女は闇夜魔姫のコスプレ活動では第一人者ですね。私がコスプレして遊んでいたことは、真希にも秘密にしていたのに。私は身震いした。
だが男はそんな私の反応にも何の感情も示さず、話を続けた。ICT技術で顔立ちは完全に書き換えられますから、闇夜魔姫に成り代わってほしいと。そして男は、真希が最期まで書いていたという日記を私に手渡した。
あの子、ヴァンパイアとか自称していたくせに古式ゆかしく紙で日記を書いてたの。実は小学生の頃からずっと。でも私だって彼らと会うまでは真希の日記なんて読んだことはなかった。そのときに渡された日記は、今も私の手元にある。私が闇夜魔姫になりきるためだ。
トップアイドルの唐突な死は人の心を騒がせる。軍事通達への漠然とした疑義が湧きかねない。この長い隔離政策の中、折れた心で自棄を起こす集団の発生は、社会全体に深刻な影響を与えるかもしれない。
真希がヴァンパイア系とか言っているくせに、実は物申す気概のある子だったことは私がよく知っている。地に足のついていない芸能活動をしているくせに、通信教育で政治学を勉強していて、それも大きい話じゃなく過疎地の地方自治だなんて笑っちゃう。何となく文学部に行って、何となく採用されたというだけで適当に販売員なんてやっていた私とは比べものにならない。
でも、そんな私でも。むしろそんな私だからこそ、彼女の喪失が人の心を折ることはよくわかる。彼女が遺したアイドルの足跡を多くの人たちが大切に思っていることは、親友としても絶対だってわかる。
だから私は受けた。闇夜魔姫としてしぐさを魅せ、ダンスを踊り歌で心をふるわせる。思考を模倣し、ファンたちを観察しながら理想の闇夜魔姫として語りかける。
冒涜と呼ぶなら呼ばれたって良い。地獄に落ちるのは決して真希じゃない。私と、私をそそのかしたWHAに巣食う宣伝職員やICT技術者だ。
全ての罪は背負ってやる。その代わり私は、私と似た境遇のファンたちを救う。それがたとえ偽りの救済だとしても、この隔離政策が終わるまでは。私は一人でも多くのファンが生き延びるよう、救ってあげようと思う。
また一人、心を壊したファンがいた。長期の隔離政策は人を壊す。それでも闇夜魔姫支援者は統計上、心を壊した人数が有意に少ないそうだ。これは私の大切な闇夜魔姫、朝日真希の功績だ。そう、彼女はこの隔離下でも交流できる唯一の場、この仮想世界で今も生きている。
私は闇夜魔姫の大ファンだ。最高に忠実で、そして彼女を真剣に愛してきた人たちへの偽りを背負った、冒涜的なファンで幼なじみだ。
ねえ真希。私は頑張るから。
まだ頑張れるから。
まだ、壊れないから。
きっと、もう少しだけ。