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カレンデュラの抱擁

「瑠美ってファーコートとか甘口系の印象だったんだけど、そんな本格的なモッズコートなんて着るんだ。イメチェンしたの? でもカーキも案外、似合うっぽいね」

 美咲はディスプレイの向こうで、黒縁の眼鏡をわざとらしくずらしてみせて快活に笑った。思わず怒鳴りつけたくなったけれど、手元に淹れたカレンデュラのハーブティーを口に含み、そのほろ苦さで苛立ちを鎮めた。肌の弱い私にぴったりのハーブティーだ。久しぶりに連絡をくれた美咲は涼太のことなんて知らないのだから。

 終わりの見えない隔離政策の中、あふれるほどの報道に誰もがずっと混乱したままだ。まして、その陰鬱な報道に登場する人たちが身近にいるだなんて思わない。

 思いたくない。信じられない。

 今でも、信じたくない。

 でも今は、せっかく久しぶりに連絡をくれた美咲との時間を大切にしなきゃって思う。

「そっちは都会だから大丈夫だと思うけど、うちって田舎っしょ? 最近は人が全然出歩かないからって、キタキツネが家の前を平気でうろつくんだよね」

「かわいいじゃない、それ」

「都会のお嬢様だよね。エキノコックスは怖いんだぞ」

 美咲は童謡のような節をつけて、妙に上手な歌声で答える。相変わらず面白い野生児だ。私なんかより、こういう子の方が涼太に似合っていたのかもしれない。

 羽織ったモッズコートに顔を埋め、ほんのわずかにでも、涼太の残り香がないか探ってしまう。もういちど、彼の腕に抱きしめられたい。

 私は曖昧に笑い返すと、カレンデュラティーで喉を潤しながら、彼との時間を思い返した。


「これってちょっとセンスが微妙かな。もらってはおくけど。っていうか何で急にプレゼント?」

 届いたモッズコートを抱えながら、私は甘えた意地悪をぶつける。ユニセックスなのか、女性向けにありがちな薄手や毛羽立ちのある安物ではなく、カーキ色のごわつく生地で、私には本格的過ぎる印象のコートだ。涼太はディスプレイの向こうで頭をかきながら言い訳した。

「急な召集で、来週のデートは無理になったんだ」

 私は絶句する。来週末は外出特例許可日。事前申請の順番待ちで、半年かかってようやく一緒に外出できる私の誕生日なのに。お金持ちは怪しいお金で違法に割り込みしているなんて噂がささやかれるほど、この隔離政策中の外出特例許可は重要な日だというのに。

 何とかならないの、とわかっていながらも口をとがらせてみせる。涼太はごめん、といつものようにまた頭をかいて、でもいつもと違う真面目な表情で答えた。

「今回は僕も行かなければならないんだ」

「危ないことなんて、ない、よね?」

「これでも僕は専門家だ」

 いつもと違う端的な言い回し。WHAに勤めるもう一つの彼の姿だ。WHA防疫管理官という、世界感染爆発後のこの世界で最もあこがれで、そして危険な職場で働く彼は頭の良い人だ。医師免許はないけれど、大学で公衆衛生の博士号を取ったそうだ。それですぐ、世界感染爆発直後のWHAに採用されたわけ。

 デートの最中でも、携帯端末で公衆衛生の短報論文を読んでしまう仕事への情熱は行き過ぎだと思うけれど、この感染爆発を終わらせたいと熱く語る彼のことは、微笑ましく思えてしまう。そんな彼が専門家だと言い切るのだから、それを私が信じられない訳がない。

 信じてあげたいと思う。

 信じなきゃと思う。

「で、何でモッズコート? 話を戻すけど」

 私は羽織ってみながらまた口をとがらせた。私には大きめで生地のごわつきが最初は気になったけれど、こうして羽織ってみるとあったかくて、涼太の優しい温もりまで伝わってくる気もする。もしかしたらお気に入りになるかもと思っているけれど、今は内緒だ。すると彼は曖昧な笑みで言った。

「一応は僕も軍人でモッズコート、みたいな?」

 はあ、と私は気の抜けた答えを返す。軍人だからモッズコート。なんと安直な。でもあらためて見てみると、むしろ涼太に似合いそうだと思う。

「涼太が着たら良いよ。絶対に似合うよ」

「僕に似合うか。それは良かったかも」

 彼は少し変なことを言って優しくほほ笑み、戻ったら連絡するよと言ってチャットを切断した。


 三か月後、濃厚感染区域の号外速報が流れた。住民は都市外へ完全隔離後、ペットも含め都市ごと最新型兵器で焼き払われたそうだ。この住民救出作戦を遂行した公衆衛生部隊は、都市文化を守ろうというテロ組織との戦闘により多数の被害を負ったそうだ。

 テロ組織は相手をその手で殺す必要はない。部隊員の防護服さえ破壊すれば良いのだから。感染させた子供たちを感染源とした自爆テロだったのだから。その公衆衛生部隊員は、優しい人たちばかりなのだから。

 そう、涼太のように優しすぎる人たちなのだから。

 作戦初期にテロの犠牲となった涼太が、現地で荼毘に付されたとの速報が届いたのは、作戦成功の報道に世間が湧きあがった直後だった。彼の同郷の先輩からは伝言もあった。外出特例日近くに、デートに着ていく服の相談を受けたから、モッズコートを勧めたそうだ。そして涼太は、私にプレゼントする予定のファーコートが外出特例日までに間に合わないと、こぼしていたそうだ。

 信じられない。信じたくない。

 玄関のチャイムが鳴り、荷物の到着を知らせた。到着した荷物が、殺菌コンベアを通過して部屋の中へ運び込まれる。箱を開けると、パステルピンクのファーコートが入っていた。そして、おしゃれな白い箱に包まれたカレンデュラのハーブティーも入れられていた。肌の弱い私にぴったりのハーブティーで、涼太らしい選び方だ。箱の伝票には、故人からの荷物なので返品の場合は店舗へ連絡するように、との注意書きが添えられていた。

 カレンデュラの花言葉は、悲嘆と絶望。

 今の私にぴったりの、贈り物。

 私は箱を部屋の隅に追いやり、彼のモッズコートを羽織ると膝を抱えてうずくまった。


「私にモッズコート、本当に似合うかな」

 重ねての言葉に、美咲は陽気に答える。

「絶対に似合うよ、それ。大切にした方がいいよ? 隔離政策後に街を着て歩ければ良いよね」

「もちろん、大切にするよ」

 私は強くうなずき、ライブカメラから視線を逸らすと彼のモッズコートにまた、顔を埋めた。

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