【二】
春日鈴は、恋をした。
乳児期になりピーマン嫌いと人参嫌いを患い、何度食べさせられようとしても拒み続けて母の頭を悩ませ
幼少期に少々おてんばな一面を開花させ、保育所で男児とオモチャの取り合いをした挙句に突き飛ばして泣かせてしまいこれまた母の頭を悩ませた。
後日、件の男児とは和解を果たし「みーくん」「すずちゃん」と呼び合う程の仲になっている。切っ掛けはどうであれ、初めて出来た‘ともだち’に春日鈴は心底喜んでいた。
小学校に入学してからは幼少期に見せたおてんばは控えめになったものの、周りの女児と比べてみるとやや活発で室内でお話しをするより外で遊んでいる方が好きな児童であった。
小学校三年生の春日鈴は、恋をした。
想い人である担任であった20代の内藤という男性教員に
「優しくてカッコイイ先生、好き」
なんて、実に子供らしく可愛らしい恋心を秘めていたが、後に内藤教員に妻が居ると知り下校中散々泣き腫らした顔で帰宅したために母を驚かせたが、理由だけは絶対に吐かないなかなかに意固地な児童であった。
余談だが、件の初恋の君である内藤教員に妻が居る事を教えた「みーくん」こと須賀幹人とは保育所からの‘ともだち’付き合いが当時も継続されており、互いに‘ともだち’以上に近しい存在だと認識していた。
春日鈴は‘幼馴染’である、と認識していた。
中学校に進学し、かつてのおてんばもすっかり鳴りを潜めて級友達からも教員達からも『明るく真面目だが、時々元気が空回る女生徒』という認識をされていた。
身を包んだ制服が真新しい、から着込んだ、に変わる梅雨明けも間近と言える頃
中学一年生の春日鈴は、恋をした。
想い人である一学年上の先輩である飯田という男子生徒に
「下校の時、夕立ちが酷くて帰れなくて困っているところを助けてくれた」
なんて、実に中学生らしい初々しい理由から芽吹いた恋心であった。
何とか接点を作ろうと同じ図書委員会に入り、当番の日に同じ日を希望する事で週に一度は必ず顔を合わせて会話をする権利を掴み取った。
やがて、役に立とうと何事にも前向きに取り組む春日鈴を飯田先輩も少しずつ意識するようになり、どちらからとも言えない曖昧な告白で想いを伝えた数ヶ月後
生徒も教師も居なくなった静かな図書室の中、カウンター台に隠れて見えない位置で互いの指を絡めるように手を繋ぐまでの仲になっていた。
「初めて彼氏が出来たの。不器用なところもあるけど優しい人だよ」
そう、顔を綻ばせて嬉しそうに告げる春日鈴の表情は僅か数週間後に地獄に叩き落とされたかのように暗いものとなった。
その日、春日鈴は返却された本を片付けるため奥まった位置の本棚に居たが、姿が見えないので『春日鈴は居ない』と判断した飯田先輩が自分ではない女生徒に口付けている姿を目撃してしまった。
しかし春日鈴にその場に出て行くだけの勇気は無く、飯田先輩と女生徒の密会が終わるまでの間、自身が返却した本が高い位置の棚にあったからと本の返却作業を手伝っていた‘幼馴染’の須賀幹人の腕の中で下唇を噛み締め、静かに涙を流していた。
「結局、あの日見た事を言うことは出来なくて、別れて欲しいとだけ伝えてそのまま」
数日後、久しぶりに泣き腫らして目尻を赤くさせた春日鈴は、然して幾分かスッキリした表情を浮かべていた。
高等学校に進学し、春日鈴には中学生までとは違い同郷以外の友人も出来た。
周囲の女生徒達は学校の規則で化粧が許されていない事に不満を募らせ、放課後になると学制服のスカート丈を極度に短く改造しまだ幼さの残る顔に化粧を施し日暮れの街へと消えて行った。
春日鈴は禁止されている事を破るという行動が理解出来ず、一部の女生徒から『真面目ちゃん』と揶揄されるようになっていた。
そういった眼差しから逃れたかったのか
中学一年生の時、心に出来た僅かな痼『好きな人、恋人に裏切られた』という事実もその心にしまい込み、新たな出会いがあるかもしれないと密かに胸を躍らせていた。
だからこそ、なのかもしれない
高校一年生の春日鈴は、恋をしてしまった。