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このベンチから君の幸福を

作者: いたる

じいさんは神様かもしれない。

俺はおにぎりをかじりながらそんなことを思った。

じいさんは相変わらず何もしゃべらず、動きもせず、目を閉じているのか開いてるのかわからないくらいに細くして、一体何を見ているのか。昼下がりのうららかな公園で、このベンチに座ってタバコをぷかぷか吸いながらその目で見ている景色って。

俺も毎日バイトの休憩中に、このベンチで350mlのお茶を飲みおにぎり二個を食べるけれどもこの公園は変わり映えなんかしないんだ。ほら今日も若いママさん達が、お互いの表情探り合いながらひそひそひそひそ無駄話。子供たちは砂場の近くで輪になって、携帯ゲーム機で鬼ごっこ。飼い主と散歩しているでかい犬は、まるで見張っているようにその子供たちをまんじりと睨み、手綱持ってる飼い主はぶくぶくと肥えた腹を揺らしながら陽気に鼻歌歌っている。

隣に建ってるアパートからは、テレビのワイドショーの音と、ヒステリックな女の声が聞こえ、一階の部屋の網戸越しに真っ昼間から見せびらかすように性交する男女が見える。あんたたちのその行為は、子供が見てる。子供が見てる。



あぁなんて幸せな俺の昼休み。

くだらなき、この世界。くだらなき、俺。



良いことは少しずつしかやってこないのに、悪いことはいっぺんにやってくる。

ある雑誌に載っていた、しし座の今月の運勢。12星座中、11位。12星座中12位より11位っていうち中途半端な順位の方が悪いことが起こりそうで実際それは恐らく当たっていた。

四年間片思いした女に振られ、三年間やっていたバンドを一方的にクビになり、家賃を払うために下ろした七万円をどこかにおとし、それを半べそかきながら探しているときに、よそ見運転のチャリにひかれ、怪我したた右足を治療するために通った接骨院の婦長(49)に惚れられ、毎日家の前で愛の手紙とキスを迫られる俺って一体。

じいさん、あんたが神様だったら、こんな世界つくってくれてありがとうと言いたい。

この世界のくだらなさに比べたら、俺のくだらなさなんて鼻くそみてぇなもんだ。そうだろ?

じいさんのタバコの煙が目に入って、思わず俺は目を閉じた。

例えばだ。例えばこの漠然としたこの宇宙といふ概念。俺が彼女に振られたって、その宇宙には何一つも波紋なんて起こらない。皮肉にも、このうららかな日常。日常!日常!

世界が美しく見えるのは、どこかで不幸が起こるから。

そんな被害者意識丸出しで、自分はかわいそう、哀れに思われて当然、どうか誰か俺を愛でてくれ!慰めてくれ!なんていうまったくもって身勝手でエセ悲劇的なことを思いながら、俺は今日も生きている。

あぁ、あの醜く太った婦長の腹と唇に、俺はハルマゲドンを起こしてやりたい。

人間誰しも自分の不幸は世界の絶望だし、他人の不幸は密の味。

結局俺に起こったこの今月のツいてなき事。それは他人にとっては貴重な糖分とタンパク源。

だからじいさん。

笑ってくれ。

明日またここに来れなくなるほど俺のことを笑ってくれ。このバカみたいな俺の頭の中の独白。口には出さず、あなたの耳にも聞こえないこの独白。

俺はじいさん、あんたに向けている。

だから笑ってくれ。

俺は笑われて楽になりたい。

だけど、口にも出さないこの独白を、一体どうして話しもしないこの老人が笑ってくれよう。

あんたは何故俺の前で言葉を口にしないんだ。

俺が初めてこのベンチであんたに話しかけた時、あんたはやっぱり何も答えず目を細くして、タバコをふかすだけだった。

世界中にはもっと救われるべく人間はたくさんいるのに、俺は、俺だけが救われればいいとどこかで感じている。

「…私好きな人いるから…ごめんなさい」

あぁ、あの日由美子はそう言った。本当に申し訳なさそうな口調で、俺に小さく頭を下げた。俺はそのたった今自分を振った女を見下ろしながら、言いようのない非現実的な感情の波と、脱力感に襲われていた。

君は、君は、その好きな人と幸せになるんだろう。そんなの、そんなの、

許せない。

失恋なんてそんなもんだ。結局自分が世界で一番かわいそうで、惨めで、傷ついたと思っている。

じいさん。世界を終わらしちゃってくれ。

好きなんだ。この感情が許せない。

好きなんだ。




昼休みが終わる。

俺は頭の中でじいさんに向かって散々愚痴を言い、最後にお茶を飲み干した。

さぁ行くか。今日も元気にコンビニ店員。 色んな感情と戦いながら、俺は今日もレジを打つ。

じいさんは、やっぱり何も話さない。

結局俺一人で盛り上がって、今日もなんの打開策も思いつかない。今夜も万年床の中で、のたうちまわるだろう。

でもいい。

それでも世界は美しい。ぶくぶく太れ。

そして死ね。



俺はベンチから立ち上がって歩き出す。

公園には、いつの間にか誰もいなくなっていて、網戸越しに行われている性交が、やけに生々しい音をたてていた。


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