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いつかまた、バス停で。  作者: おぷてぃ
10/11

「お祭りの夜」

  いつもそうするように、約束の時間より少し早く待ち合わせの場所に向かった。海岸通りを自転車で駆け抜ける。西の空では真っ赤な太陽が、見慣れた町並みと入道雲を茜色に染めていた。頬を撫でる風が心地よい。

  数日前に発生した台風で、一時は開催が危ぶまれた夏祭りだったが、うまく進路がそれ、初日に少し雨に降られた程度ですんだ。台風が停滞していた高気圧を吹き払ったのか、今日は朝夕と快適な気温で、そんな些細な移り変わりに、夏の終わりを感じていた。

  バスの停留所が見えてきた。近づきながら千鶴の姿を探すが、中にその姿は見えない。


「ちょっと早かったかな…」自転車を降り、手で押しながら停留所の裏へ回ろうとした。



 そこに、千鶴はいた。


  浴衣姿の千鶴は、金魚柄のポーチを手に停留所の壁に背中を預けている。白地に淡い紺と紫の紫陽花柄。少しうつむき加減の横顔を、夕焼けが柔らかく照らす。いつもは自然に下ろしている髪も、後ろできれいに結って#簪_かんざし_#で留めていた。

  蝶々の飾りが揺れてキラキラと眩しい。一瞬、二人の周りだけ時間が止まったように感じた。思わず目を奪われていると、俺に気付いた千鶴がこちらに顔を向けた。



 何故か千鶴は泣いていた。


「千鶴?」そっと話しかける。

「おっそーい!」千鶴は明るくそう言うと、俺に気付かれないようにさりげなく涙を拭いて笑ってみせた。


「大丈夫か?何かあったのか?」そう聞くと、千鶴は手をひらひらと小さく振って言った。

「大丈夫、大丈夫。ちょっとね…。ケンカしただけ…」


  無理に笑うその姿は、とても大丈夫そうには見えなかった。詮索することに気が引けながらも、俺は千鶴に聞いた。


「ケンカって、志保か?」

「………」


  千鶴は俯いて黙り込んだ。あまりこの話に触れて欲しくないようだった。千鶴は少しの間そうしてから、顔を上げて言った。


「もう、いいじゃん!その話は。気にしないで。ほら、行こう?」

「あ、ああ」


 自転車を停留所の裏へ停める。振り返る頃には、千鶴はいつもの屈託のない笑顔に戻っていた。


「それよりもほら!何か言うことがあるでしょ?」


  そう言うと、どうだとばかりに手を横に伸ばして、浴衣の柄を見せてくれた。そして、その場でくるっと一周回ってみせる。夕陽を背にはにかむ千鶴は、いつものお調子者の姿からは程遠かった。思わず、言葉をなくす。


「あ、ああ…」

「ああ?」

「いや、綺麗…だと思います」

「思います?」

「いや、その………綺麗…です」

「よろしい」


 そう言って、俺の腕を取ると、隣に並んで歩き始めた。


「お、おい!」

「いいから。早く」


  坂道に近づくにつれて、賑やかな祭囃子が聞こえてきた。神社へ向かう坂道は普段の人通りのなさが嘘のように、祭りに向かう人の姿で溢れていた。二人でゆっくり歩きながら、今日の祭りについて話した。


「お祭りなんて何年ぶりだろ。楽しみだなー」

「俺も何年も行ってないな」

「着いたら何しよっか。焼きそばー、たこ焼きー、わたあめー」

「全部、食いもんじゃねえか…」


  少しおかしくなった俺は苦笑いした。千鶴は『焼きそば、たこ焼き、わたあめの歌』を繰り返しながら、ぐいぐいと俺の腕を引っ張る。


「ちょ、ちょっと待てって!」

「早くー」


  千鶴の楽しげな様子に少しほっとした。診療所の前を通ったとき、千鶴は少しだけ速度を落として気にする様子を見せたが、すぐに前を向いてまた歩き始めた。

  少しずつ傾斜がきつくなってくる。神社がある山へ近づくにつれて、上り坂はその険しさを増していく。ちょっとした登山といってもいいくらいだ。二人でぜいぜい言いながら、少しずつ頂上を目指す。


「ちょっと休憩しない?」と、千鶴が提案する。

「さ…賛成」立ち止まって息を整える。顔を見合わせて、どちらからともなく笑いあう。


「さて、いこっか」そういって、千鶴は右手を差し出した。


  俺はその手をそっと握って、また前を向いた。左手で感じる千鶴はとてもか細く思えた。すぐに壊れてしまいそうで、できるだけ優しくその手を引いた。

  そうやって、途中何度か休憩を挟みながら坂道を登った俺たちは、ようやく石段へとたどり着いた。二人とも、額から玉のような汗を噴出している。あと少し、あと少し登れば、ようやく頂上だ。


「大丈夫か?」

「うん…」


  周りを見渡しても、誰もがふうふう言いながら石段を登っている。それに比べると、小さな子どもはその身軽さゆえか、スタスタと階段を上っては、少し下で追いかける大人を『早く早く!』とせき立てている。まったく、羨ましい限りだと思った。

  そして、ようやく頂上へ着いた。そこで目にした光景は、『来てよかった』と素直にそう思えるものだった。

  頭上に並んだ白い提灯は、柔らかな光で境内を淡く照らしている。光の橙と影の黒とのコントラストがとても美しい。提灯の列は、木から木へと繋がれていて、真下から見上げると、まるで空に浮かんでいるように見えた。

  屋台にはとっくに人だかりができていて、その大半を占める子どもたちは、手に握り締めた小遣いで、思い思いの遊び場をはしごしては、祭りを存分に満喫していた。


「綺麗だね…」

「ああ…」


 見とれている間に呼吸も落ち着いた。そして、さあ行こうかと歩き出したときだった。


 《ドシャ》


 乾いた音と共に、千鶴がその場に崩れ落ちる。胸を押さえ、苦しげな表情を浮かべて、喘ぐように息をしていた。


「千鶴!」


  首の下に手を回し、すくい上げるようにして抱き寄せる。千鶴はまだ苦しそうにしながらも、薄く目を開けてこちらに向けた。そんな…じゃあやっぱり…。


「ごめ……樹……」無理に笑おうとする千鶴。どうする…携帯電話なんて持っていない。


  この神社に公衆電話が無いことは知っていた。誰かに頼んで救急車を呼ぶか…いや、そんなことをしている余裕はなさそうだった。千鶴の顔と石段を見比べる。


「待ってろ!」意を決して千鶴を背負った。麓へ下りれば、遠野診療所がある。あそこなら、どうにかできるかもしれない。


  見た目以上に軽いその体を背負ったまま、石段を慎重に下る。片足ずつ下りたので、かなり時間を使ってしまった。千鶴の呼吸は一向に落ち着く様子はない。

  そこからは、急な坂道がしばらく続いた。転んでしまわないように、一歩一歩に全神経を集中する。急な坂は終わり、緩やかな場所へ差し掛かった。もう、診療所の看板も見えていた。思わず駆け出す。


「もうちょっと、もうちょっとで着くからな!」背中の千鶴を励ますように、声を掛け続けた。


  そしてようやく診療所の前に着いた。生垣から中へ入り、玄関へと進む。そこには志保のおじいさんともう一人、年配の女性が立っていた。停留所横にある、駄菓子屋のおばあさんだった。直前まで何かを話していたようだったが、こちらに気付いて俺の背負った千鶴を見るや否や、血相を変えて駆けて寄って来た。そして、おじいさんが俺から千鶴を半ば奪い取るようにして抱きかかえると、大声でその名前を呼んだ。



「志保!志保っ!」


  その声を聞きつけて診療所から看護師が飛び出してきた。一度こちらを見やって状況を確認すると、今度は担架を引いて戻ってきた。


「先生!こちらへ!」担架へ乗せられた千鶴……志保は、看護師と共に診療所の中へ消えていった。


「あ、あの…。遠野さん…!」どうしていいかわからず、志保のおじいさんへ駆け寄る。


  おじいさんが振り向くと同時に、左頬に衝撃が走り、右肩から地面に倒れこんだ。

  俺も小さな頃には何度かお世話になったこともあり、気さくで明るいその人となりをある程度知っていたが、仁王のような顔で俺を睨み付けるその人は、とても同じ人物とは思えなかった。


「あなた!」


  その様子を見ていた駄菓子屋のおばあさんが、俺に覆いかぶさるようにして間に入った。志保のおじいさんはその表情を変えることのないまま、おばあさんへと視線を移す。最後に俺を一瞥すると足早に診療所の中へ入っていった。志保と呼ばれた少女と左頬の痛み。


『やっぱり』

『なぜ』


 頭の中を二つの言葉が駆け巡る。そんな俺に、おばあさんが話しかけてくれた。


「樹くん…よね?志保ちゃんから話は聞いてるわ」優しいその語り口調に、少しずつ落ち着きを取り戻す。俺は力なく頷いた。


「少し話せるかしら。志保ちゃんはうちの旦那に任せるとして、一旦、お暇しましょう?」


  内心、心配でたまらないはずの志保のおばあさんは、俺の手を取り立ち上がるのを手伝ったあと、ついて来なさいと坂を下り始めた。俺は診療所を振り返って見た。中で何かしらの処置が続いているのだろう。まだどの病室にも明かりはない。

  俺は志保が気がかりでならなかったが、ひとまずおばあさんに従うことにして、あとからとぼとぼと坂を下りて行った。


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