3.ネズミ女王
REDはおかしなネズミたちに連れられて、彼らの隠れ家にやって来た。野イチゴの葉をかき分けると、小ぢんまりした居心地の良さそうな広場があった。木でこしらえた素朴なベンチを勧められ、腰を下ろす。ほかのネズミたちもそれぞれイスに腰かけて、テーブルを囲んで丸く輪になった。
「RED、よかったらこれ、使ってよ」
ショボショボおひげのグリーンピースが、水を入れた小っちゃなグラスを渡してくれる。
「その赤い花、水につけておいたほうがいいだろう?」
REDは手の中の赤い花を眺めおろした。――これは外の世界で手に入れたものだ。百花祭のしきたりにならって、大好きな王様にこの赤い花を贈ろうと思って。
おとぎの国に転がり落ちた時も、奇跡的に体から離れなかった。その後ネズミたちとの悶着で一旦地面に置いていたのだが、なんとなくこれを見ると王様のことを思い出すので、手放せずにここまで持ってきたのだった。
「おう、ありがとうな」
REDははにかみながら礼を言い、グラスを受け取った。花を挿し、ほぅ、と感心したように花を眺め、それをそっとテーブル上に置いた。――グリーンピースはめちゃくちゃいいやつだなぁ、と思いながら。
ヒロインポジションのハニーが、ルビーのはまった不思議な杖を膝の上に置き、えへん、と咳払いしてから話し始める。
「このおとぎの国で、わたしたちネズミ団は、キャットギャングたちと熾烈な争いを繰り広げてきました」
REDは目をまん丸くし、上半身を前に乗り出して、「ほへー」と間の抜けたため息を吐いた。ハニーの言うことは、どこもかしかもヘンテコで、ツッコミどころ満載である。……なんだよ、キャットギャングって。すげぇ悪そうじゃん。頬っぺたのモコモコ毛が逆立っていそうじゃん。――ていうかそもそもさぁ、ネズミ団に勝ち目あるのか? 相手、猫だぜ? 絶対無理じゃない?
「今日の夕刻、おとぎの国レースが開催されます。そのレースに勝てば、我々はこのおとぎの国から出ることができるのですが、キャットギャングは卑劣にも私たちの女王をさらい、レースを妨害しているのです。女王が苦手なミミズを近づけて脅し、体が硬直した隙に連れ去りました」
「あのさ、ひとつ確認なんだけど、そもそも君たちはここから出たいの?」
この広場を見ても、なんだかそこそこ居心地が良さそうなんだけど。
「そりゃあ出たいですよ!」プンプン怒る、ピンクちゃん。「元々私たちは、ここの住人ではないですし」
「そうなの?」
「あなたと同じように、我々はここに迷い込み、以降ずっとこの地に縛られています。――あなたは運がいいですよ、REDさん」
「え、どこが?」
REDは思い切り顔を顰めた。
「私たちは全員、五年前にこの世界に迷い込みました」
「みんな一緒に?」
「いえ、私と女王が先に着き、数日後にビッグとグリーンピースもやって来ました。私たちは囚われた時から、『五年後に開催される、おとぎの国レースで勝ったら、ここから出られる』と言われてきたんです。――この気持ちが分かりますか? 五年間なんのチャンスも与えられず、ただじっとレースの開催を待つしかなかった。しかも脱出のチャンスは一度きり。待つほどに怖くなった。――もしも負けてしまったら? もう外には戻れないのか? あなたはレース当日に来たから、恐怖の時間を味わわずに済んだ。今日負けたとしても、もうここから未来永劫出られないとハッキリするだけなので、諦めもつくでしょう。変に期待を持たされ、待たされ続けるよりうんとマシです」
よく分からないな、とREDは思った。
「脱出の方法はレースに勝つ以外にないの? 本当に? たとえレースで負けたとしても、境界を力業で壊して、外に出られるかも」
「絶対に無理です。我らの女王は強大な力を持つ魔法使いですが、この世界の強固な縛りは、誰にも解くことができぬと言っていました。そうだ――女王があなた様に、メッセージを残していらっしゃいます。それを聞いてください」
ハニーがイスのそばにあったチェストの引き出しを開き、中から綺麗な水晶玉を取り出した。それを木のテーブル上に置く。すると玉が淡く輝き始め、中から光の柱が立ち上がった。
光の中に、高貴なネズミ女王の姿が浮かび上がる。それは半透明で、不思議な光景だった。女王は白い毛並みの美しいネズミで、立派なドレスを身に纏っている。威風堂々とした佇まいだった。
「これはなんだ?」
REDがネズミのお手々を伸ばしてみると、指先がネズミ女王の姿をスルリと通り抜けてしまう。まるで感触がない。
「これは記録映像です。過去のネズミ女王のお姿なので、触れることはできません。夢まぼろしのようなものです」
「へぇ、こいつはたまげたなぁ!」
REDは水晶玉を眺めおろし、ネズミ女王の半透明の姿を見上げ、忙しく首を上下させた。――コレ、なんか応用できるかも、と頭の中をワクワクさせながら。
もうちょっとこの像を精巧に仕上げられたなら、自分の代理として、面倒なお勉強とかを代わりにやってもらえないかな?
『ひとつ予言をします』
ネズミ女王がおごそかに話し始めた。とても気品のある、張りのある声だ。言葉の終わりが時折ビブラートをきかせたように震えて響く、セクシーボイス。ピンクちゃんことハニーの声は砂糖菓子のようにポップだが、女王の声は上質な果実酒みたいな感じで、夜の匂いがする。
『レース当日に我らのもとに救世主が現れるであろう。その者は不可能を可能にする者、偉大なる天才魔法使い――この映像を、今、ご本人が見ていらっしゃいますか? 直接わたくしの口から詳細を告げたかったのですが、そうはいかないような悪い予感がするため、念のためこの映像を残しました。あなたに次のメッセージを送ります』
「これって会話はできる? できるわけないか」
REDがイスの背に片肘を置き、軽薄な態度でハニーに話しかけると、ハニーは困った顔をした。
「いいから黙って女王の話を聞いてください。今、結構大事なところですよ」
『――そうですよ。黙ってよくお聞きなさい、そそっかしい赤の魔法使いさん』
ネズミ女王のおぼろな瞳が、はっきりとこちらを見据えた気がした。REDは『会話できてるじゃん!』とぶったまげて、数センチほどイスから飛び上がってしまった。
女王の上品な物腰で睨まれるとものすごい迫力があり、チンピラにからまれるよりも空恐ろしく感じたので、REDは『やべぇ』と肩を縮こませ、かしこまってイスに座り直した。上目遣いになり、両手をきっちりとモコモコ太腿の上にそろえ、ネズミヒゲをプルプル震わせる。
『よろしい。では続けます。――このおとぎの国は力ある妖精族の長が、遊びで作り上げた箱庭。物質としての器を持たぬ精霊が作り上げた虚構の世界ゆえ、天界の在り方にも通ずるところがあり、強固でほころびがほとんどありません。他者がこれを壊すことは不可能です。――赤の魔法使いよ、あなたもご存知でしょう。魔法使いが、アウェイでどれだけ不利になるかが』
REDとネズミ女王の視線が絡んだ。REDは『確かになぁ』とため息が出そうになった。
「どういうことですか?」
さっきは『黙って聞け』と言ったくせに、ハニーが口を挟む。REDはハニーのほうに顔を向け、説明してやった。
「敵の陣地――誰かが組み立てた魔法式の中に入ってしまうと、よそ者のほうが圧倒的に不利なんだよ。通常の状態で互角だとしても、敵の陣地で力比べすると、自分の力が百分の一以下になってしまう」
「なぜですか?」
「ルールブックを相手が書いているからだよ。――たとえば玉蹴りのゲームがあったとしてさ、敵がルールブックを自由に書き換えられるとしたら、どう? 『相手チームだけ幼児のみしか参加できない』と書き加えたり、ゴールの大きさを片方だけ小さくしたり、なんだってやりたい放題だろう? この世界は妖精族の長が作ったって言ってたよな。じゃあ、普通の力比べでも、ほぼこちらに勝ち目はないよ。妖精族ってのは、魔法に関してはスーパーエリート、エキスパートだからなぁ。そのトップが腕によりをかけて作り上げたのが、このおとぎの国ってことだ。――そりゃあ、力が制限されるわけだ。私の力がここまで弱体化したのって、これまで生きてきて、初なんだよ。正直な話、外の自由な環境でやり合ったとしても、妖精族の長には勝てる気がしない」
「そんな……」
ハニーが絶句している。
『ですが、ひとつ良い知らせがあります、赤の魔法使いよ』
「何かな。こちとら、今、めちゃテンション下がっているんだけど」
『妖精王はすでにおとぎの国にはいません』
「え?」
グデーと体勢を崩しかけていたREDはハタと動きを止め、注意深くネズミ女王を見つめた。
『妖精王はおとぎの国を作り、我々を閉じ込め、レースに勝てば出してやるという条件をつけてから、外に旅立ちました。――ですからレースにしっかり勝ちさえすれば、我々はルール通りに自由になれます。ここは強固な縛りがある虚構の世界ですから、逆にいえば、レースに勝った者を閉じ込めておくこともできないのです。妖精王は恐ろしい精霊なので、レースに勝つ以外で、彼の魔法式を破って外に出る方法は存在しませんが、それはまぁ仕方ない』
「おっと、こいつは良いぞ。光が見えてきた」
REDの瞳が輝いた。
『あなたはシンプルなのがお好きでしょう』
「まぁそうね」
『レースに勝つことができたら、あなたに我が王家の宝を差し上げますよ』
「マジで? ひゃっほう!」
俄然、やる気がみなぎるRED。――ネズミ王家の宝ってことは、めちゃうまな秘蔵のとろけるチーズとかもらえちゃうかも。鍋でコトコト煮てとろけさして、串に刺したパンをそれにくぐらせて食べるんだ。最高じゃないか?
『……ただ、あなた様は通常の入り方ではなく、境界の隙間を縫って入ってこられたので、この世界から侵入者として目の敵にされています。ですから大部分の魔力を抑え込まれている。戦いは非常に厳しいものとなるでしょう。あなたの未来には、死の影が色濃く見える』
「死?」
REDは目を剥いた。――ええ? 冗談だろう? レースで死にたくないよぉ!
『ネズミ団の未来はあなたにかかっています。つらい状況ですが、逃げずに戦っていただきたいのです。恐れずに挑めば、勝利の女神があなたに微笑むかもしれません。――空のカウントがゼロになったら、レーススタートです。流れ星川にかかるキラキラ橋がスタート地点になりますから、時間までにそこへ向かってください』
「カウントって何?」
『東の空を見上げてください』
REDはイスから立ち上がり、近くにあったリンゴの木を登って、てっぺんに辿り着いた。目の上にネズミのお手々を添え、東の空を見上げる。これまでは草木が邪魔をして見えなかったのだが、確かに空に数字が浮かび上がっている。赤い煙で描いたような、モクモクした数字だった。
『000,007,125』
見ていると、下一桁がどんどん減っていく――124、123、122、121、という具合に。一秒に一つ数字が減るようだ。『000,000,000』になったらレース開始ということか。
REDはスルスルと木から滑り降り、ハニーに尋ねた。
「7000秒って、あとどのくらい?」
「二時間未満です」
「あんまり時間がないね」
「ネズミ女王からこれを」
ハニーからルビーのはまった杖を渡される。
「これは魔法の杖です。あなたの力が少し戻るかも」
「助かるよ!」
REDは木のテーブルに飛び乗り、杖を天高く掲げ、ネズミ団の皆に呼びかけた。
「お前たちぃ! このRED様が参戦するとなれば、百人力なり! 感謝するがいい!」
イェイ! とグリーンピースが拳を突き上げた。しかしグリーンピースはこういう軽いノリに慣れていないので、すごくぎこちない動きだった。
ビッグは『新参者がでかい顔しやがって』という顔をしていた。しかし女王がREDを救世主と言っていたので、文句を言うのは我慢しているようだった。
ハニーは潤んだ瞳でREDを見上げ、うんうんと何度も頷いている。
なんだかんだ一致団結しかけたところで、背後から野太い声が響いた。
「おいおいおい、惨めなネズ公どもが、いっちょまえに調子づいているようじゃねぇか。――助っ人の俺様にひとことの断りもなく、レースのことを決めやがるとはなぁ」
声のほうを見たグリーンピースが驚愕の声を上げる。
「よ、用心棒の荒くれドギー!」
なにぃ、用心棒だとう!? REDは勢いよく振り返り、荒くれドギーと対面することとなったのだった。




