2.伝説のネズミチューチュー拳の使い手
いきなり杖を突きつけてくるなんて、とんだ歓迎の仕方もあったものだとREDは思った。モコモコお手々を前に出し、体の周辺にシールドを張る。腕を上げたことで、あることに気づいた。
「うん? なんだこれ?」
突き出した右手首に、いつの間にか金属製の腕輪が嵌っている。こんなもの、つけた覚えがない。
ネズミ鼻をヒクヒク動かしながら、背を丸め、おっかなびっくり腕輪を覗き込む。表面に光った文字が浮かび上がり、クルクルと回転して流れて行った。REDは難しい顔で、それを眺めおろした。回る文字を追いかけようとして、頭もフラフラ動いているし、ネズミ鼻の下がすっかり伸びてしまっている。
『あなたはおとぎの国レースの参加権を獲得しました! ネズミチームとして参加してください。一着のチームが勝者です。蜂飛行機から落ちた場合は、その時点で失格となります。負けたチームは、おとぎの国から一生外に出られません』
REDの口があんぐりと開く。
「一生ここから出られない、だって? 困るよ! タンスの中に、とっておきのチョコチップクッキーを隠したままなんだ!」
地団太を踏み、イーッとなっていたら、近くでおかしな気配を感じた。ふと顔を上げると、シールドにビッシリと張りついて、こちらを恨めしげに見つめるネズミたちの姿が。半透明の壁を突き破ろうとしているのか、シールドに顔を押しつけすぎて口回りがベロンとめくれ、ピンクの歯茎や白い前歯がむき出しになっている。REDはぎょっとしてたたらを踏んだ。
「うわ、怖っ!」
ネズミたちは全部で三匹。一番目を引くのが、ピンクの毛並みをしたやつだ。――突然変異かな? とREDは思った。これまで生きてきて、ピンクのネズミなんて見たことがない。体も小さいし、女の子だろうか。このピンクネズミがルビーの杖を手に持っている。
それから体がでかいマッチョネズミが一匹。こいつはかなりいかつい顔をしている。ピンクちゃんに対する距離感が妙に近いので、もしかすると狙っているのかもしれない。
最後の一匹は、ひょろひょろした弱そうなやつだ。毛並みに艶がないし、垂れ目で攻撃力ゼロって感じ。
三匹のネズミが口をパクパク開けて、身振り手振りで何か言っている。動きからしてやかましいのだが、シールド越しゆえ、音声は入って来なかった。
「なんだって?」
REDはネズミ耳に手を当て、シールドのほうに一歩近寄った。すると三匹の口の動きが激しくなる。でもやはり何も聞こえない。ネズミたちが透明なシールドにグイグイ体を押しつけるので、うねった毛並みを内側から眺める形になった。
この時のREDはさほど脅威を感じていなかった。というのも、こちらは魔力が絶大なので、誰もこの防御壁を破れないだろうと高を括っていたからだ。
ところが。
「え?」
ピシ、とひび割れる音がして、シールドに亀裂が入った。REDは目をまん丸く見開いた。
なんで? どうして?
上を向き、下を向き、状態を探る。相手が強いのか? いや、そんな感じはしない。……ということは、つまり?
「私の魔力が弱まっている?」
さっき、『境界ヲ修復シマス』っていうアナウンスがあったけれど、あのせい? ここは力のある魔法使いが構築した世界で、取り込まれた者は、そのルールに縛られてしまうのだろうか?
REDが迷い込んだということは、境界に脆弱な点があったのだろう。しかし異物(RED)が入り込んだことを察知し、修復された。しっかり密閉したことで、縛りがより強固になったようだ。それによりREDは魔力の大半を抑え込まれている。陸上で速く走れても、水中に放り込まれたら動きが鈍るのと同じだ。
三匹のネズミたちがジェスチャーで『出て来い!』と繰り返すので、どのみちシールドが破られるのも時間の問題だろうと、REDは観念して魔法を解除した。
***
いきなり殴りかかってくるかもしれないので、REDは半身に構え、警戒態勢を取った。小っちゃなネズミ拳を軽く握り、腕を軽く揺する。
――来るなら、来ぉい! 電光石火のネズミパンチでやり返してやる!
トン、トン、とその場で軽くジャンプする、やる気マンマンなRED。
「お前たちぃ! そっちがやる気なら相手をしてやるが、絶対後悔するからな! 俺様は伝説のネズミチューチュー拳の使い手、さすらいのRED様だ! めっちゃタフなイケメンネズミだからな! もうなんちゅーか、グーでやったるからな!」
シュッシュッ、とシャドウでパンチを繰り出し、無駄にでんぐり返しをして、両手を飛び立つ白鳥のように広げ、片膝をついたキメポーズを作る。
もしもこの場に王様がいたなら、無言で俯き、顔を手のひらで覆ったことだろう。婚約者の残念な言動を見聞きするのは、なんというか、メンタルを削られるものである。王様、いなくてよかった。
ひょろひょろネズミが後ずさり、
「うわ、すっごく強そうなやつだぁ! なんというタフガイぶりだろう!」
と恐れおののいている。今にも腰を抜かしそうだ。
すると体の大きなネズミがずい、と前に進み出て来た。
「ほう、伝説のネズミチューチュー拳の使い手だとはな。どんなもんか、戦ってやろうじゃないか」
「吠えヅラかくなよ!」
「お前こそな!」
顔を突き合わせて一触即発ピリピリムードになっていると、ピンクネズミがぐい、と割って入った。
「今は仲間割れしている場合じゃないですよ! ネズミ同士、助け合わないと!」
どうでもいいが、ピンクちゃんは声がものすごく可愛かった。バックにピンクのお花の幻影が飛ぶくらい、甘々な女の子らしい声だ。
「ハニー」
デカネズミが参ったな、というようにピンクちゃんを眺めおろす。REDは首を突き出し、マジマジとピンクちゃんを見つめた。
「え? ハニーって、恋人を呼ぶ時のやつだよね? 君ら付き合っているの?」
するとピンクちゃんがアワアワと両手を動かしながら(杖を持っているので、大変危険な動きだった)、可愛いリアクションをした。REDはこれを『キャンディ・リアクション』と名付けた。
「ち、違いますぅ! ハニーはあだ名なのです」
「ああ、なるほど。君、ハニーっていうんだ。可愛いから、似合うね」
「そ、そうですかぁ? 照れますぅ」
「おい! ハニーを口説くんじゃねぇ!」
デカネズミが目を剥いて怒鳴る。
「君はなんていうの?」
「俺様はビッグだ。体がでかいし、男としても存在がビッグだからな」
「あ、そう」
REDは自分が質問したくせに、面倒そうに聞き流した。どうでもいい相手から垂れ流されるどうでもいい自慢って、真面目に聞くのしんどいよな、と思いながら。
ビッグにはさほど興味がないので、視線をヨワヨワ君に転じる。
「それで君は?」
「あ、僕はグリーンピースっていうあだ名なんだ」
「グリーンピースぅ? すごいね、それ」
「すごいかな」
「なんでグリーンピースなの?」
「ほら、僕っていかにもモブって感じがするだろう? 脇役、つけ合わせ。だからグリーンピース」
確かにグリーンピースは、肉料理のつけ合わせのイメージがあるけれども。だけどそういうあだ名をつけるのって、本物のグリーンピースに対しても失礼な気がするなぁとREDは思った。ベーコンと炒めると、美味しいのに。
複雑な気持ちでグリーンピース君を眺めると、彼のネズミヒゲはガタガタと波打っていて、そういった細部まで弱々しかった。でも性格はすごく良さそうだ。
REDはポンポン、と彼の肩を叩いた。
「平和で良いあだ名じゃないか。もっと自信持てよ」
「ありがとう」
グリーンピースがはにかんで笑う。なんだかんだ、いい空気になった。
するとハニーがウルウルした瞳でREDにすがってきた。
「大魔法使い様! 助けてくださいませ!」
***
王宮にいた王様は、突然REDの気配が途切れたことに気づき、中空に視線を彷徨わせた。
「――RED」
声音に切羽詰まった響きがある。
会議をしていた大臣が呼びかけるのを制し、王様は窓を開け放った。するとどこからともなく赤い魔法の絨毯が飛んで来て、窓の下で止まった。
「あとは頼む。しばらく留守にする」
王様はそう言い置き、魔法の絨毯に飛び乗った。大臣が慌てて窓際に駆け寄った頃には、王様の姿はどこにもなかった。




