初戦闘と爆弾女
二人は二班を出て、階段を駆け下りる。二階、一階と降りていき、地下二階。頑丈な扉のカードリーダーに相生が社員証を通すと、重厚そうな扉は軽々とスムーズに開いた。扉が開いて中に入ると、そこは地下鉄のホームのような場所だった。そこに一台のワンマン電車が止まっていて、ホームには何故か待合室や自販機もある。飛び出し防止用の柵もあった。なんだかすごくワクワクするなあ……。
相生が待合室の扉を三階ノックすると、飛び出し防止用の柵が開き、電車の扉も開いた。相生が乗り込むのを見届けてから、薫も電車に乗り込む。二人が乗り込んだと同時に、扉が閉まる。中を見渡すと、叡山電車のようだった。
「専用地下鉄システム起動」
車内に無機質な声が鳴り響き、薫はびくっと肩を震わせる。
「通報のあった、京都銀行阪急河原町駅前店に向かいます」
電車の窓からは、何も見えない。ただただ黒い空間が広がっていて、さっき自分たちのいたホームすらも見えなかった。この空間はいったいなんだろう。そもそもこの地下鉄は? 移動手段に地下鉄ってどうなのかな。薫は立ちすくみながら、窓の外をぼーっと眺めていた。
「おい新人、立ってると危ねえぞ」
「へ?」
「専用地下鉄、発進します」
再び無機質なアナウンスが響くと、その瞬間、今まで味わったことの無いような浮遊感が薫の体を包み込む。地に足がついていないような感覚に、ふわふわとした気持ちになってしまう。足元がおぼつかず、そのまま倒れこんだ。
しかし、その浮遊感はほんの一瞬だった。薫が倒れこんだ瞬間、それはもう消えていたのだ。
「到着、阪急河原町駅前店」
アナウンスに驚きながら、窓の外を見ると、この電車はどうやら浮いているらしかった。眼下には本当に京都銀行がある。どういう仕組みかはわからないけれど、この電車は確かにワープをしたということだ。扉が開き、目の前で相生が飛び降りる。
「まじでか……」
深呼吸をして、薫もまた飛び降りたが、うまく着地できずに地面を舐めてしまう。痛いなあと思いながら店内に入ると、そこにはスーツを着た三人の男の姿があった。良く見ると、頭には緑色のハチマキを巻いているし、人質らしき女性もいた。先に入っていた相生の顔を覗き込むと、彼は眉をしかめて微動だにしない。
「先輩?」
「あ、ああ」
薫の呼びかけにやっと動き、相生は社員証を男たちに見せた。
「そこまでだ、強盗!」
「派遣会社の連中、相変わらず早すぎる!」
「お前たちの身柄を、ここで拘束させてもらう」
相生は社員証をパンツのポケットに入れて、真ん中の男に飛びかかる。その様子を、薫はただ傍観していた。社員証をベルトに通すことで変身するのが派遣会社のヒーローなのだけれど、相生はそれをしない。能力無しと言っていたことが気になり、薫はとりあえずただ黙って戦いを見ることにした。
「ヒーローの変身なんざ、プロテクトのかかった雑魚だ! 行くぞお前ら」
真ん中の男が右腕を掲げる。相生はその挙動を見てから一歩下がった。真ん中の男が不敵な笑みを浮かべながら、高らかに叫ぶ。
「変身!」
その瞬間、男の体が黒い霧に覆われる。
「この力は……まさか」
黒い霧が消えると、中にはスーツ姿の男が立っていた。変身とは言っても、見た目は何一つとして変わらない。ただ、この世界の自分の可能性を引き出すことができるようになる。ヒーローの能力は、自分自身の可能性が具現化したものであり、それがヒーローというものだと薫は気化されていた。
同時に、その力を開発したのが以前猛威を振るっていた悪の秘密結社であることも聞かされていたのだ。初めて目の当たりにすると、それはなんとも不思議だった。スーツ姿の会社員にしか見えない男の手から、急に棘のようなものが飛び出したのだから。その棘は相生に向かって一直線に飛び、相生はそれを避けようともしない。
ただ、彼は顔の前で腕をクロスさせて、真っ直ぐ男に向かっていく。
「お前なら知っているはずだ、この力を」
「お前を倒してから、ゆっくり聞き出してやるよ!」
相生は棘を自分の体で受け止め、大量の血を流しながら男に突進する。男はその突進を受け止め、左手で相生の体を抱きかかえた。右腕を振り上げて、右腕から棘を出す……と思いきや、出したのは直径二センチはありそうなドリルだった。
「先輩!」
「変身しないで、俺を倒す? ありえないね」
流石に見てる場合じゃない!
薫が社員証を取り出して男に見せ付けるも、他二人の男に両端から取り押さえられてしまった。二人の姿を追うのに必死で、両端で控えていた男たちに気づかなかった。「離せ!」と叫びながらどうにかして拘束を解こうとするも、強固な力で抑えられていてなかなか解けない。
「お前をここで殺れるなんてなあ、うれしいよ!」
その声に薫が相生を見ると、男が相生の右肩にドリルを刺そうとしていた。だが、ドリルが肩に刺さろうとしたその瞬間、男の体が崩れ落ちた。どういうことかと目を凝らすも、何が起こったのかはわからなかった。薫を取り押さえていた二人もそのようで、薫を拘束する力が弱まる。その隙をついて、薫は二人の体を引き剥がし、右・左と順番に二人の顔を殴った。
「いいぞ新人!」
「くそッ!」
「お前、俺に何をした」
薫が改めて社員証を男に見せ付けると、男が薫の顔を凝視した。男は多少ひるみながらも薫に詰め寄り、下腹部からドリルを出した。相生の体に突き刺そうとしたドリルとは比べ物にならないくらい大きく、尖ったドリルだった。
「どんなとこからドリル出してんだよ!」
「男は誰でも一本持ってんだよ!」
気持ち悪い……。
男がゆっくりと薫に詰め寄りながら、下半身のドリルをタコの足のようにクネクネと自由自在に動かしている。ドリルは薫に近づくたびに大きく長くなり、直径十センチ・長さ一メートルほどに成長していた。薫はドリルが当たらないギリギリの距離で後ずさりながら、自分が社員証を持っていることを思い出す。
薫がベルトに社員証を通そうとした瞬間、男が飛び上がる。男の股間にぶら下がったドリルが、薫の眼前をかすめた。気持ち悪い! 薫は社員証をベルトに通して、思い切り後ろに退く。脳内に直接『変身承認、プロテクト解除』という声が響き渡った。
「変態!」
薫は白い光に包まれ、変身を遂げた。この瞬間、管制課との通信回線が開かれた。脳内にノイズが走る。「また間違えた」と頭を抱えてから、どこからともなく爆弾を作り出す。同時に背後に気配を感じて振り向くと、すぐそこに男のドリルが迫っていた。薫は咄嗟に爆弾を投げてから地面を蹴り、後退するも間に合わず爆風をもろに体に受けた。
けれども、それは相手も同じはず。爆弾は確かに男のドリルに直撃したんだから。
「新人お前……」
相生が自身の股間をおさえて悶絶しているのを見て、薫はホッとする。冗談が言えるなら傷は大したことがないなと笑いながら、今度は爆弾を二つ作り出した。その爆弾はミサイルのような形をしていて、薫のパーカーと同じ紫色をしている。爆風で巻き上げられた塵のせいか、男の姿がなかなか見えない。息を呑んで目を凝らすと、何かが蠢いている影が見えた。これは、確実に男のドリルだ。
手に持ったミサイルを二つ、塵の渦の中に投げ込む。当たれ、当たれ! また二つ爆弾を作り出しながら、爆弾が爆発するのを待った。爆弾二つは見事に爆発したものの、男の叫び声のようなものは聞こえない。直撃していなくとも、爆風に当てられて無傷では済まないはずなのだけれど……。余程我慢強い人なのだろうか。
「新人、何かおかしい」
「ですね」
「爆弾か、なかなかナイスだな」
煙が消え、男の姿が露になる。男の体には傷ひとつ付いておらず、爆風で砕けたテーブルやソファの破片が刺さった様子も無く、爆風で焼かれた形跡も無い。自分の間近で爆発が起こったことなど微塵も感じさせないほどの、完全な無傷だった。
「なんで!」
「ヒスサイムの改造社員を、舐めないでもらいたい」
ヒスサイム……。
記憶によれば、変身の技術を生み出した悪の秘密結社の名前。数年前に壊滅したと聞いていたけれど、まさか。薫は奥歯をかみ締めながら爆弾を四つ生み出し、男を睨みつける。男は笑いながら股間のドリルを縦横無尽に操っていた。
「その名を騙るな」
相生の鋭く尖った声が、薫の耳に届いた。
「気安く名乗って良い名前じゃあねえよな」
「まあ、そう言うなって」
視界の端に、血まみれで社員証を見つめる相生が映る。社員証をじっと見つめて、唇を噛んだ。そして、社員証をポケットにしまいなおす。どうして、変身しないんだろう。能力が無いなんて、たぶん嘘だ。それなら、どうしてそこまで自分自身の能力を隠そうとするのか、使いたくないのか。薫は一瞬、男から視界を逸らし、正面から相生の顔を見つめた。
その顔は、どこか儚げなように見えた。
しかし、その一瞬が命取りだった。
「新人、前!」
視線を逸らした一瞬をついて、目の前に男のドリルが迫る。咄嗟に右に跳躍して避けたものの、姿勢を崩して尻餅をついてしまう。そして、その隙を狙ってまたドリルが迫る。避けるだけではキリがないが、爆弾は通用していない。多分、ドリルをどうにか操って爆風や破片を防いでいたんだろうということは察しがつくものの、だからと言って打開案は浮かばなかった。
「逃げるだけでは話にならんな!」
「くそっ」
「新人だったか、若い芽は花開く前に潰しておくとしよう」
『相手のエネルギーが増大、下腹部から全身に巡っています』
管制課からの忠告に、薫は急いで飛び退く。男の下半身にあったドリルが一度引っ込んだ。その隙に爆弾を投げる。が、爆弾を投げると同時に男の全身から、下半身にあったものより小さなドリルが無限とも思える数出現した。そしてそのドリルがウネウネと蠢いて、男の体を包み込んでしまう。爆弾は着弾し、爆破したが、やはり無傷だった。
「これが本気ってわけか」
「舐めくさってやがる」
「これなら、どうかな!」
薫は両手に十個もの爆弾を生成し、それを同時に投げた。男のドリルの殻に、十個の爆弾が同時に着弾する。耳をつんざくような爆音が出て、その場に立っていられないほど大きな爆風が巻き起こった。姿勢を低くして、どうにか踏ん張って耐え、爆風の中を見つめる。同時に作り出せる爆弾は、多分十個が限界だと感じていた。だから、これでダメならもう手は無い。どうか倒せていてくれ……!
大きな爆風による大きな煙は、ゆらゆらとゆらめきながら、静かに消えていく。薄っすらと映ったのは、男を覆っていた無数のドリルだった。しかもそれらは、さっき薫が目にした状態と何も変わりがない。ピッタリとシャッターを閉ざすように、男の体を守っている。ダメだった。渾身の一撃を放ったつもりが、まったく通用していなかった。
「そんな!」
「あいつ、やべえな」
「俺のドリルの殻を破れるもんなら、破ってみろよ」
「くっ」
これ以上は、もう無理!
「先輩!」
どうして、変身しないんだ。
歯をキリキリ食いしばり、ドリルに覆われた男を直視する。爆弾を十個手に持ち、様子を窺った。相手は微動だにせず、こちらの攻撃を待っているようだった。こっちがどれくらいのものか、試そうというのだろうか。そうに違いない。そうでなければ、自分から攻撃してくるはずだ。自分から、攻撃……。
待ってみよう。これは我慢比べだ。
「なんだ、動かないの?」
「お前こそ、動いたらどうだ」
「ハッキリ言ってさっきのが限界、だから手詰まり」
「ほおう? 何か奥の手でも持ってるんじゃないのか?」
「持ってたら、とっくにやってるよ」
会話をしながら、一瞬の隙も逃さないように薫は爆弾を手に、じっと男の姿を見つめた。鋭い金属音を奏でながら延々と回り続けるドリルに、ぴっちりと覆われた男。ドリルは円となり、隙間無く男の体を覆っている。そこが、男の弱点らしかった。完璧な守りに見えるが、動かないところを見るとドリルの数はこれで全てなのだろう。持てるドリル全てを使い、自分を守らせている。ということは、攻撃をすると隙間が生まれてしまうということだ。
攻防一体だが、それは完璧ではない。
そして、気づかれているとわかっているにしても、いないにしても、出来るだけ早く動かないと相手は不都合なはずだ。戦いが不必要に長引けば応援を呼ばれてしまうだろうということは、誰でも想像がつくだろう。実際管制課は応援の「お」の字も出さないけれど、相手にはそれはわからないはずだろう。
「くそ……!」
突然、男が叫びながら左右から一本ずつのドリルを操り、薫を襲った。ここだ、爆弾を投げるなら今ここしかない。薫はドリルが飛び出た位置をしっかり見逃さず、その場所めがけて爆弾を投げた。爆弾は真っ直ぐ飛んだが、相手の体に直撃する直前に軌道を変え、狙い通りの場所に入っていく。隙をつかれた男は咄嗟にドリルを引っ込めて爆弾を打ち落とそうとするも、時は既に遅かった。ドリルより、爆弾のほうが速かったのである。左右五個ずつ放たれた爆弾は、吸い込まれるように隙間からドリルの殻の中に入り、爆破。
「よっしゃあ、ヒット!」
ドリルの動きがゆっくりと止まり、そして朽ち果てていく。ドリルの殻は卵のようにひび割れていき、生身の男が姿を現した。十個の爆弾が直撃して粉微塵になるかと思いきや、人としての形をしっかり保っている。が、立っていられるような状態でもなかった。自らのドリルの破片がいくつも体に刺さっていて、全身から大量の血を流している。相生と同じような姿になり、男は力尽きた。
「勝ちましたよ先輩!」
「くそっ……模擬戦闘どころじゃねえな、こりゃあ」
「早く医務室いかなきゃですね」
『お疲れ様です。もうじき警察が到着します』
管制課の声を聞いてから、薫は変身を解除した。血だらけの相生の体を支えて、いつの間にか上空から地上に降りていた専用地下鉄に乗り込み、帰社する。帰社してすぐ、相生を医務室へと送り届けた。医務室でどうにかなる怪我なのだろうか。医者は「これなら半日だね」と言っていたが、血まみれの男が全治半日とは、どんな治療をしているんだろう。少し見てみたいという気持ちを抑えて、二班に戻った。