8.順調なお仕事!?
「さて、と」
カルは周りを見回す。部屋には様々な物がひしめいていた。
全てが今夜、必要な物。
「ニコ――」
「わかってらあ。ほらよっ!」
ニコが上手くそれらを避けて、カルの仕事用具を放る。たたらを踏んでそれを受け止め、カルは毒付く。
「もう! 危ないじゃないっ!」
言いながらも、素早く身に付け、真っ黒になる――夜に、闇に、溶けこむために。
自分を取り戻すために。
「大丈夫かあ?」
ニコが心配そうに見やった。視線の先には、あの遺体。
白い布でくるみ、麻袋に入れ、黒い布で再びくるむ。それを黒く染めたロープで縛ってあった。
「大丈夫、大丈夫――ニコ。確認、お願い!」
カルは手元のメモに目を落とした。
「ザーンすり替え用の遺体――」
「ある」
「黒いロープ――」
「ある」
「あの箱と小瓶――」
「あらぁ」
順々にチェックをして、カルはふぅっと息を吐く。
「最後、ザーンの着替え――」
「…………ない」
「ない!?」
カルは床を見回した。
「なんだ、あるよ。ロープの向こう」
ニコからは死角になっていた場所に、それはあった。ロープは高くとぐろを巻いていたために見えなかったのだ。
「では――」
遺体をロープで吊ると集合住宅の屋上に運ぶ。人はとても重い。汗だくになりながら、階段を登り終え、全ての準備を終えた。
「そろそろ時間だ。行くかあ」
カルとニコは顔を見合わせ、くすりと笑う。
「我等は闇を想う者」
カルはニコの頭を撫でた。ニコはゆっくりと目を閉じ、嘴でカルの腕を掻いた。
「《アカツキ》今日の依頼は二つ。紅い宝石の額飾りと王弟ユーガウド・ジン・トルディキア」
「――行くぞっ!」
ニコは掛け声と共に窓から飛び出した。
クァーっと甲高い声とともに旋回し、カルを目だけで呼ぶ。それに頷き返し、窓枠に手をかけ飛び降りた。
一瞬後に、暖かい背に着地し、飛翔する。
「――王宮、《月の塔》へっ!」
トルディキア王宮の上空――。
霧が濃く薄く一人と一匹を取り囲む。
眼下には、ぼんやりと煙る光の群れ。まさに幻想、と呼べる景色。
「……そろそろだね」
胸元から、親指ほどの大きさの懐中時計を取り出したカルは呟いた。そして上空を見上げ、声をはる。
「――時間が来た。《アカツキ》は《月の塔》を目指す。その後、旋回、合図とともに《月の塔》に戻れ」
ニコが頷いたのが動きでわかる。
「行くよっ!」
体を斬る風――黒い疾風となり、闇に紛れる。
かなりの高さだった。少しだけ胃が浮きそうな奇妙な感覚がカルを襲う。
それも慣れた頃、《月の塔》の五階に着いた。
だが、ニコは止まらない。速さを緩めたりしない。それもいつものことだ。
ニコの背で立ち上がり、風を頬に受け止め、宙に飛んだ。
「――到着!」
「カル!?」
ザーンが驚きの声をあげた。
カルはスタッと華麗に月の塔に着地する。無駄のない動きで立ち上がり、入ってきた窓に近寄った。
「ザーンも手伝って」
「……何を?」
窓に寄れば黒い包みが、空中に浮かんでいる。
「何だ、それ?」
カルはその包みに手をかけながらザーンを振り向く。
「これ? これはユーガウド・ジン・トルディキアだよ」
「そうか、私か。……何!?」
「身代わり。時間がないから早く手伝って!」
頷きながらザーンが慌てて包みに手をかけ、窓から内部に引き寄せた。
それはボトリと、音もたてず床に横たわる。カルは素早く三重の包みを開き、遺体を空気に触れさせた。
なんとも言えない臭いが鼻をつく。
「それは……誰だ」
「そんなのは後。早く! 時間がないの。あんた、服を脱いで! 着替えはそこ。で、その鞄にどうしても必要なもの、換金出来るもの、額飾りを詰めなさい! 早くっ!」
驚きながらも言われた通り動き出す。脱がれた、まだ温かい服を遺体に着せる。
ザーンは、すでにまとめてあったのだろう。大事なものはさっさと詰め終わり、換金出来そうなものを部屋中から掘り起こし、鞄に入れていた。
そんな彼を横目にカルは持ってきた箱の蓋を開けた。
中から肌色の陶器のような質感をした粘土らしきものが顔を出す。それを手にとり、伸ばしていく。さらにもうひとつ、箱から出した白い粘土を丁寧に薄く伸ばす。
見れば、荷造りが終わったのだろう――鞄の蓋を閉じたザーンにカルは声をかける。
「次! 壁際に正面向いて立って」
ザーンは何か言いたそうにしながらも、素直に壁に向かう。白い粘土を持って、カルは慎重に壁に寄った。
「少しだけ苦しいかもだけど、我慢して! 十秒だから」
「……え?」
「えっ? じゃない! 目を閉じる。早くっ!」
カルの剣幕に驚いてギュッと目を瞑ったザーンに溜め息をついた。
「……普通に目を閉じて」
「はっはい!」
少しだけ震えた瞼に苦笑しつつ、カルは息を吸い込む。
「じゃ、少し我慢して」
そう言うとカルは勢いよく平たく伸ばした白い粘土をザーンの顔に叩き付けた。弾みでザーンの体が動く。
「我慢! 十、九、八、七、六、五、四、三、二、一、零……」
ゆっくりと粘土から手を話すと、粘土は落ちずにザーンの顔にとどまる。
――よし、大丈夫。ひとまず成功ね。
カルは両側を持ち、ザーンの顔から粘土を剥がした。
「痛っ!」
剥がした途端、声をあげザーンが顔を両手で覆う。しかめた顔を指の間から覗かせながら、カルを見た。
「おいっ! 何だ、それは!?」
カルは彼を無視して懐中時計を確認した。
「――あと五分」
ザーンからとった粘土はカチンカチンに固まり、顔型となる。それを手に、カルは着替えた遺体に近寄った。
床に膝まずき、合掌し、黙祷する。心中で謝すると、肌色の伸ばした粘土をのせた。そのままザーンの顔型をのせ、力をかける。さらに数秒待ち、型を外せば、彼の不完全な顔がそこに出現した。
素早く化粧を施し、睫や眉を埋め込み、それらしく穴を開け、境目をなだらかにする。遠目に見れば、ザーンが横たわっているようだ。
だが、近寄れば一目瞭然である――別人だと。
しかし、カルは気にせず次の作業に移る。
「おっ、おい――」
「黙ってて」
遺体を吊していたロープを全てたぐりよせた。
ロープは三十本以上はある。それらの端をひとつに結び、ほどけないよう、遺体の包みを縛っていたロープで強化する。
「ヤバイ。足りないかな? いや、大丈夫かな?」
ギリギリまで結び、小さな輪を最後に作った。
「間に合った――」
カルが一息ついたときに、何か黒い生き物が飛込んできた。
飛込んできたそれはニコ――ではない。クァッと小さく鳴き声をあげると、カルに向き直る。
(……出来たか?)
「――もちろん。《アカツキ》だもの」
(そりゃあ、頼もしい)
黒い生き物――カラスは、クァックァッと笑う。
実は、ニコのデザートを賄賂にカラスに協力を頼んだのだ。行きは遺体、帰りはカルを運んでもらうために。カルだからこそ可能な――普通であれば意志疎通は困難である。
(じきに仲間も来る)
「うん、ありがとう」
カルがそう言うとカラスの黒い嘴がロープをくわえる。
次々に仲間――他のカラスが到着し、皆がロープに群がる。ザーンは呆気にとられ、その様子を見ていた。
全てのロープにカラスが繋がった時、窓から甲高い声がカルを呼ぶ。
「カル、早くしろよ!」
「わかってる! みんな、行ってっ! ザーンはニコの背に乗って!」
「あっ、ああ――」
カラスが一斉に飛び立ち、窓枠からザーンが飛び降りる。ニコの背に無事乗ったことを確認して、カルは懐から小瓶を取り出した。
布で鼻を押さえ、コルク栓を抜く。
薄蒼の液体を、遺体の顔――粘土の部分に数滴、振りかけ、カルは踵をかえした。そのまま窓枠に飛び乗る。
「みんな! よろしく!」
三十数羽のカラスが塔の際で羽ばたいていた。
カルは目を凝らし、黒いロープの結び目に手を伸ばす。しっかりと両手でそれを掴み、窓枠を蹴った。
――っ!
ずしりとカルの細い腕に負荷がかかる。
……やっぱり足りなかった!?
ギリギリとロープが締まり、指を咬む。巻いた手首が、痛む。
「登って!」
ユラユラと右に左に揺れながら、カルとカラス達は移動していく。
ニコはザーンを背に乗せ、カルの周りを旋回する。
「カル! 大丈夫か!?」
「平気っ! ――ザーン、ちょっと脇にどいて!」
カルが返事をしたときに、見張り場に灯りがともった。眼下を見下ろし、カルは舌打ちする。
――見付かった?
だが、カルはともかく、ザーン――依頼品は必ず持って帰らなければ。一度、引き受けた仕事は絶対だ。
「――ニコ! 行って!」
「でっ、でもよう……」
「行って――! 大丈夫だから!」
ニコは何度か首を巡らし、叫ぶ。
「背中の置いたら、すぐに戻ってくらあ! 待ってろ!」
それに頷きを返し、心配顔のザーンを見つめ、安心させるように笑う。
が――。
突然カルの視界がぼやけた。