6.賢者と呼ばれし者!?
「とにかく、ニコが来たなら戻らなきゃ」
カルはザーンを押し退けて、階段を登り始める。
「下まで行かないのか?」
押されて壁に張り付いた形の彼は首を傾げた。
が、カルはそんなザーンをも引っ張る。
「あんたも早く戻ったほうがいいわよ?」
「何故だ?」
「ニコはね、恐ろしく勘が良いの。それはもう、予知!? ってくらいにね」
ザーンをズルズルと引っ張り上げながら、カルは足を進めた。
「前なんか、お仕事直前にターゲットを移動されたんだけど、ニコがその場所を当てたのよ?」
やっと自らの意志で階段を登りはじめたザーンを離して、カルはやや早足になる。
「でも、一番うらやましいのは賭け事よっ!」
カルは振り返りもせずに、叫んだ。
「えっと……大烏は賭場へ出入り出来る、のか?」
そんな疑問を持ってほしかったわけでもなく、カルはややトーンダウンする。素直さも時に刃となるわ、とテンションも下がる。
「当たりを教えてもらってあたしが行くの。まあ、背に腹はかえられない時、のみだけど。普段は絶対、何が当たりかなんて教えてくれないのよ」
へえっとザーンはしきりに頷いていたが、カルに再び引っ張られる。
「だから、ニコが呼んでるなら何かあるのかもしれないから、用心しなきゃなの! 早く戻らなきゃ」
カルの早足につられ、ザーンも大股で登っていく。
開け放したままの五階についた。
「キャット、ニコはどこへ来たの?」
(ここの窓に、あそこから呼んでおられました)
ザーンの手の上で、小さな体を動かしながら、キャットが答える。
カルは一直線に窓へ向かった。
窓から身を乗り出さないよう注意しながら、空を見上げると、霧の中から大烏が現れた。
「カル、遅えよ〜!」
ゆっくり羽ばたき、スウーッと中へ入ってくる。
「おりゃ、帰るぜ〜? 仕事の一貫は終わったんか?」
「うん、遅くなってごめん! 帰ろ!」
「えっ!? おい!」
慌ててザーンが声を上げる。
「私はどうすればいいんだ!?」
ニコがゆっくりとそちらを向いた。
「カル、こいつが王弟?」
カルが頷くと、ニコはザーンを一蔑し、フンと鼻を鳴らした。
「なんか、カルから聞いたイメージと違うな〜。馬鹿そうなやつ」
「……ニコ」
ザーンは、というと、こちらも好戦的な顔をしていた。
「カル、それ、ペット?」
ニヤリと口角をあげてニコを目線で示す。それ、と呼ばれ、あまつさえペット扱いされたニコも、鼻息荒く、応戦した。
が、すぐに気をとりなおす。
「おりゃ〜、こんな奴を相手にしてる場合じゃねえんだよ。カル、帰るぞ」
「あ、うん!」
ニコが窓から飛び出ていく。
「カルッ!」
「ザーン……」
呼ばれてカルは窓枠に手をかけて、彼を振り返った。
「そうだ……ザーン――ううん、なんでもないわ。二日後、迎えに来る」
ザーンは、一瞬躊躇ったものの力強く頷いた。それを確認しカルは背を向けて、窓枠を蹴る。
一瞬の浮遊感と、体が落下し風をきる音を聞き、無事黒い羽毛に覆われた背に乗る。ニコは無言で旋回し、羽ばたいた。
濃霧の中を突っ切ると、じっとりとした言いようのない不快感がカルとニコを包む。
「……な〜、カル。あいつは、違うんだろ?」
「……うん。有り得ないよ。だって王弟だもの――」
「そうだな……有り得ないか」
まとわりつく霧と同じように、重苦しく漂う闇。
「……カル」
「何……?」
ニコが首を巡らし、こちらに顔だけ向けた。
「おりゃ、腹減ったよ〜! 飯は〜?」
重い空気はどこへやら、いつものニコだ。
「時間外労働だぜ〜! いいもん食いたいよ〜、なあ、カル〜!?」
カルはニコの背で自然と笑いを溢した。
「だ〜め! 《アカツキ》は節約中ですっ!」
「そんな〜。おりゃ、たまにはおいしい木の実が食いたい……」
「終わったら、ふかふかタオルだけじゃなく木の実もつける。しかも奮発してニコの長椅子の張り替えもしてあげよう」
カルが請け負う。
《アカツキ》は仕事を選ぶので、報酬は良いが仕事量は少ない。万年貧乏なのだ。
懇意にしている仲介屋の持ってきた仕事でも、受けるのは三割程。だがその三割のうち殆どは、カルの欲しいものを示してはくれない。目的から外れている。
「……カル、何か企んでるだろ〜?」
さすが相棒、するどい。
「えへっ! 暫くザーン――王弟を預かるね」
「ええ〜!? 何でだよお? おりゃ、嫌だ」
「いや、さすがに外に出て、のたれ死になんてされたら嫌でしょ?」
ニコはぶちぶちと愚痴をこぼす。大半は風の音で聞こえなかったが。
「あいつ、この俺様をペットよばわりしたんだぜ〜? おりゃ、嫌だよう」
「ニコだって馬鹿よばわりしたじゃない?」
「だって、だってよう……」
ニコが再びカルを見た。
「……わかったよう」
大袈裟な溜め息が聞こえ、カルは密やかに笑う。
「おりゃ、カルにやっぱり甘いんだよなあ」
「で、どうするんだ?」
定位置でニコが、欠伸を嚼み殺しながら聞く。無意識に鍵爪で長椅子の綻びをほじくっている。
「椅子が悪くなるからやめて――で、どうするって何が?」
首をすくめ、丸くなったニコは呆れたようにカルを見た。
「おいおい、おりゃ、知らんよ? そんなんで王弟を誘拐出来んのかあ?」
カルは弁解する。
「忘れてたんじゃないよ――主語がないからわかんなかったの!」
「どうだか」
カルは応接テーブルに足を投げ出し、両手を挙げて伸びをした。マナーが悪いことこのうえないが、これがカルの考える時のくせである。
ニコはそれを知っているので、邪魔などしない。窓辺でまどろみ始めた。
そんなニコをチラリと横目で見て、カルは《月の塔》へ意識を飛ばす。
隠し階段は調べられなかったがザーンを信じれば施錠されている、と言っていたので、多分そこは使えないだろう。鍵を開ける自信はあるが、どこに出るかもわからない。そんな心もとない方法は取れなかった。
やはり、いつもの手しかない。
「――ねえ〜、ニ、コ」
体を起こして、窓辺を向く。
猫撫で声で呼ぶと、大きな翼で顔を隠しまどろんでいたニコは、羽をずらし、片目でカルを嫌そうに見る。
「――なんだよお? また何か企んでる?」
「さっすが相棒! 悪いんだけど依頼品を乗せて運んで欲しいな」
小首を傾げて甘えてみる。やはり、ニコに運んでもらうのが一番安全な気がした。
「ええ! おりゃ、嫌だ!」
「そんなこと言わず、ねえ、ニコちゃあん?」
「んじゃ、万が一、俺が運んだとして、カルはどうするんだ? ぼやぼやしてると見付かっちまうぞ?」
「私より依頼品。それに、今回は依頼品が二つ、だし」
「額飾りと王弟か」
「そう、だから絶対に失敗出来ないの! それと――」
カルはニコに向かって、無邪気に笑う。
「――王弟って言うのも微妙だし、名前呼んだらすぐに疑われちゃうから、ザーンって名前をつけたのよ。ニコもそう呼べばいいわ」
「《明けていく夜》か、《夕月》か……まあ別にどっちでもいいよ、おりゃ――それより、カルのその頼み事だけんどもな、条件によっちゃ聞いてやってもいいぞ?」
「条件?」
ニコは、カルにはわかる何かを懸念するような目をしていた。ニコがこんな表情をしたならば、何かが気になっていることは間違いない。
そう、確か本来の依頼を受けた直後も、こんな顔をしていた。
あれは十日程前の夜のこと。珍しく霧は薄く、景色が遠くまで見えて、それらの灯りがぼんやりと滲み、まさに幻想の国と呼ぶに相応しい夜だった。
ニコの長椅子を無理矢理占領し、明日からご飯どうするかな、等と貧乏丸出しの悩み事をしていたカルは、次の仕事は絶対に何が何でも請け負う、といきまいていた。なぜなら、依頼を選り好みしている《アカツキ》は最近、活動休止中である。
前回、仲介屋が持ってきた仕事を簡潔に言うと、依頼人はいわゆる『愛人』で、依頼内容は『本妻から旦那を盗んできて欲しい』だった。余りに、馬鹿馬鹿しいのと、そういった依頼の事後処理が大変なこと、またカル自身やる気が起きる内容ではなかったので、法外な報酬を提示されたが断ったのだ。
「――もったいないことしたなあ……うう……お腹減った」
ぼやくように呟いたカルに、ニコが明らかに冷ややかな視線を送る。が、何を言われるかわかっていたので、無視した方が賢明だ、と判断した。
それにしても、遅い! とカルは壁にかかった時計を見やる。時刻は既に八時を回った。約束の時間はとうに過ぎている。
仲介屋が遅れることなどほとんどない。大抵、依頼をいくつか持ってやってくるのだが、それにしても遅すぎる。
空腹によって、時間に遅れている仲介屋にいつも以上に苛々していると、場違いな程明るい声がした。
「仕事の斡旋に来ましたよ、カルさん!」
仲介屋の声が玄関扉の向こう側から聞こえる。
軽くため息をつき、何て文句を言ってやろうか考えながら扉を開けると、仲介屋が苦笑しながら、立っていた。
その後ろには見慣れぬ男が一人――目隠しされていてもわかる威圧感はただ者ではない。
……この男、どこかで……それにこの色……。
その表情は夜の海のように凪いでいたが、カルは混乱する。
「すいません。今回の依頼はカルさんにしか頼めないんですよ。だから連れて来ちゃいました、依頼人!」
男はゆっくりと目隠しをとった。静かな、だがパチパチとはぜる炎を思い起こさせる、冷たい黒い瞳。
「あー、えっと…………依頼人です」
――見ればわかるわよ!
男と同じく応接用の長椅子に座ったダダイが口を開いたが、カルの冷ややかな視線を受けて縮こまる。
――依頼の内容を吟味する前に依頼人連れてきて、どうするわけ!?
カルは心中で毒付いた。だがしかし、来てしまったものは仕方ない。依頼人には――ダダイは別だ――穏やかに微笑み、話しかけた。
「まず前置きですが、依頼を受けるとは限りません――それでよければ、お聞きしましょう」
威圧感のある男は、ニコリともせずに、カルを見据えた。
「盗んで欲しい物がある――だが、聞いたなら必ず受けてほしい」
「必ず……ですか?」
「ああ、必ず、だ」
突然、隠れていたニコがクァーッと高い鳴き声をあげた。
ダダイと男が驚くように見やる。
ダダイには話してあったがニコと直接会ったことはない。まして男は、当然初めて見たのだろう。珍しそうにニコを見つめた。
「――大烏、か? 話に聞いたことはあるが……」
ニコは首を振っていた。カルにだけわかる、何かを憂いているような瞳。
「……あの、申し訳ありませんが、受けられません」
男が眉を潜める。
「――何も聞かずに断るのか?」
自分で言った先程の言葉と矛盾しているが、男の言いたいこともわかる。
だが、ここはニコの直感を信じるべきだ。
大烏は本来そういうものなのだ。未来を予感し、過去を憂い……かつて《賢者》と呼ばれていた――神と共に在る生き物。
そんなニコの予感はカルには絶対だ。
男は少しだけ考えたあと、カルに切り出した。
「君に断る権利はある。が、君以外にこれは不可能だ。君の、その大烏なら出来るだろう。盗んで欲しいものは――王宮にある」
[人物紹介]
ファイル4:ダダイ・ウィーラ
若いが一流の仲介屋。『アカツキ』の仕事はいつも彼から請け負う。