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4.門出の前に!?

 腰の短剣に手をかけたままカルはごくりと唾を飲み込む。

 王弟本人、だろうか?

 驚きと躊躇でプロにあるまじき状態――動けないカルよりも先に、逆光の男は口を開く。

「仕事?」

 その声は、確かにあの晩の、闇の中で聞いた声。


 トルディキア王弟。

 ユーガウド・ジン・トルディキア。幼い頃から一人きりの――孤独な青年。


 王弟は返事を待たずに体を傾け、カルを中へと誘い込む。

「よくここへ来ることが出来たな。一応、隠し階段なのに。さすがは《アカツキ》――高い場所の獲物は逃さない、か」

 傾けた体で、遮られていたランプの明かりがその顔を照らした。

 貴婦人も恥じらう程端整な顔。だが整ってはいるものの、灯りの下で見る彼は繊細な美少女ではなく、立派な青年だった。

 ランプの揺らめく光で、深い陰影をつくる大人びた顔立ち。長い睫が落とす影と、憂いを含んだ瞳が、その微笑みを悲しげに見せる。

 幽閉という事実が、急に現実味を帯びた。切なくなって、カルの胸はちくりと痛む。

 カルにはニコがいる。

 けれども、この男は何をするにも一人なのだ。

 カルがニコと冗談を言ったり、笑いあったり、時には喧嘩したりしているとき、この男は話し相手もいないまま、長い長い時間を孤独に耐えてきたのだ。

 そう思うと胸が痛んだ。

 だが、次の王弟の言葉で、カルはそれを後悔した。


「それで、何をしにここへ? 私を盗みだす算段がついたのか? それとも、取引をやめて、私からこれを盗みだすつもりなのか?」

 カシャリと音がした。

 手で引っ張れば切れてしまいそうな細い金鎖に、無数の小さな石と真紅の宝石。ランプの揺れる灯りのせいで、濡れた様に光る。

 王弟の手には、例の額飾りがあった。

 カルがそれをじっと見つめていると、王弟は大袈裟に溜め息をついた。

「そんなことだろうと思った。どうせ私と取引する気はないんだろう? 一度、承諾したことを翻すとは、さすが盗賊と言うべきか」「っな!?」

「やはりそのつもりだったのだな」

 カルを鋭く見下ろした王弟は揶揄するようにそう口したところで。


 ――パシッ!


 部屋を切り裂く鈍い音がした。

「……やだわ。手袋してるからいい音がしなかったじゃない」

 呆然と頬を押さえる王弟と、無表情で相対するカルがいる。

 音は、カルが勢いよく王弟を平手打ちした音だった。

「言っておくけど――受けた依頼は最後までやり遂げる。己の力も計れないようじゃ仕事にならないわ。それが裏のルールよ」

 ふぅっ、と小さく息を吐くと、カルは鋭く王弟を見上げる。

「馬鹿にしないでね。《アカツキ》は約束を破らない」

 考えるよりも先に手が動いていた。

 じわりと赤くなる頬に申し訳ないと感じる優しさは今はないし、カルは臆さない。

「殿下が卑屈になるのは勝手だけど、人の仕事を貶めるのはよして」

 王弟とカルは睨み合う。

 時間も止まったかと思える。いや、今、この塔の世界には二人しかいないのだ。だから時間は二人のために流れるのをやめた。


 数分後――王弟がそっと視線を外したことで決着する。

「…………悪かった」

 消え入りそうな小さな声で謝罪する彼を意外な面持ちでカルは見ていた。

 空気が抜けた風船のように、沈む王弟の様子はまるで叱られた子供だった。すねたように下を向く。

 拍子抜けした。まるで弱い者いじめをしているかのようだ。その姿を見ているうちに、カルにゆるゆると罪悪感が戻ってくる。見せつけるつもりではないだろうが相手が横を向いたおかげで、真っ赤に色付いた頬が正面に見えた。

 互いに何も言わない時間が再び流れたが、先に動いたのは王弟だった。内心動揺しつつ仁王立ちのカルを窺ってチラリチラリと視線を送る。

 何の言葉も言わない、何の態度も返さない、そんなカルが気になったのか。

 余りの狼狽にカルの方が耐えきれなかった。

 王弟が意外な程素直で、それがまたおかしくて。ついにカルは、身体を二つ折りにして悶えながら笑う。

「おか……おっかし、くくっ」

 笑いながら王弟を見る。ぽかんと口を開けた、間抜けな顔だ。

 彼は何を笑われているかわからないようだ。口を開けた間抜けな顔が、怪訝そうな顔へ変わり、きょとんとした瞳がそれを物語っている。

 それすらカルの笑いを誘う。

「くくっ――あははっ」

「……何故私は笑われているんだ?」

 不思議そうな声は、とてもあの晩と同じ人物が出したとは思えない。

 カルは笑いすぎて酸欠状態である。

「――くくくっ――ああ苦しいっ」

「苦しいって、大丈夫か!?」

 心配そうにカルに近寄る。まるでカルが心臓発作を起こしたかのように慌てふためき、顔から血の気が引いている。

 それを見てうめいた。

 ――苦しくなる程笑ったことがないの? だからわからないの?

 それはとても悲しいことだと思った。例え、本人が孤独を感じていなくとも、カルには王弟の孤独が見えてしまった。

 苦しい程、笑わせてあげたい。

 責任やプライドではなく、カル自身の意思で、王弟を自由にしてあげたいと思ってしまう。

 笑ったり泣いたり、ふざけあったり、時には怒り、時には罵倒して。そんな人と関わる生活を送らせてあげたい。

 カルは、闇のようだと言われる黒い瞳を静かに閉じて決意した。

「殿下をここから必ず連れだすわ。今じゃないけど、必ず自由にする。約束するから取引じゃなく……今度こそ『あなたが』ちゃんと依頼して」

 カルは頭一つ分背の高い王弟を、挑戦的に見上げた。

 その挑発的な態度と相反する小さな微笑みを唇に見た王弟は暫し面食らった後、素直に笑った。

「依頼する――私をここから盗みだして欲しい」

「了解! 《アカツキ》に二言はない――三日後までに殿下を盗みだすわ!」

 一度失ったものは二度と帰ってこないことを知っているから、償いに近いのかもしれない。

 何より、子供のような縋る瞳を見捨てることなんて出来ないから――。

「そうと決まれば考えなきゃ! さて、どうやって盗みだすかな」

 カルは上から下まで王弟を観察する。

「切って持ち運べるものでもないし……大きすぎだよね」

 不穏な事をあっさりと口にし、思案顔で一人頷く。王弟は大人しく、観察されるままだ。

「ニコはあたし以外を運んだことないし」

「ニコ?」

 王弟は聞き返した。耳慣れぬ響きだからだろう。トルディキアの発音にはないから、ニィコと聞こえる。

「ニコとはなんだ?」

 カルは考え事を一旦止めた。

「大烏、あたしの相棒よ」

「その大烏のニコに乗ってここへ?」

 カルは呆れたように頷く。

「いくらあたしでもこんな高い所にこんな軽装備じゃ登ってこれないでしょ?」

「そう……か。そうだろうな。ここは王宮だった」

 その余りに淋しそうな物言いにカルはハッと気付いた。

 幽閉の身に一体世間の常識がどれほど備わっているのだろう。

 赤子か子供みたいなものだわ、とカルは軽く溜め息をつく。

 ……ちょっと待ってよ。

 彼は果たして、外へ出て暮らす当てはあるのだろうか? 軽く嫌な予感を覚えつつ、躊躇いがちに聞く。

「あー……あのさ、自由になったら、どうするの?」

「えっ?」

「えっ? じゃないよ。自由になったらどこで暮らすの? 決まってるんじゃないの?」

「……わからぬ」

 まさに嫌な予感は当たった。

 自由にしても、その辺で『のたれ死に』なんてされたら後味が悪い。

 かといって自分に抱えきれはしないだろう。何より冬至が迫っている。


 冬至はカルとニコにとって特別な日だ。

 初めて二人が出会ったのも冬至なら、カルが大切なものをなくしたのも冬至だった。カルにとって始まりと終わりは冬至と共にある。

 ガラス玉のように何の感情も映さなかったカルの黒い瞳に色を与えてくれたニコ。いつだって感謝してもしきれないくらいニコに助けられてきた。

 冬至は特別なのだ。


「……仕方ないわ」

 ニコが知ったら文句を言いそうだ、と思いつつ王弟を見る。そのすがるような、けれど弱い印象を与えない瞳は強烈なまでの存在感を放っていた。

「うちに少しなら居候してもかまわないわ。冬至までには仲介屋に仕事を探してもらわなきゃだけどね」

「……よいのか?」

「さすがにそこらに放りだせないもの」

 王弟の顔がパッと輝く。まるで子供だ。

 ――なんか子守りでもしている気分だわ。

 カルは苦笑を洩らすしかなかった。


「しかし、どうやって運ぶかな……」

 カルは腰に片手をあてて考えこむ。

 人ひとり――彼は細身だが上背はそれなりにある。体重は軽くないはずだ。

 じろじろと上から下まで眺めるカルの視線に竦みながらも「俺は自由になれるなら何でもいい」と言う。

 それならば、といたずらっ子のようにカルは微笑んだ。

「あとで回収してあげるからここから突き落としてもかまわない?」

 一瞬、嫌そうな顔を見せた王弟にカルはニヤリと笑う。

「嘘に決まってるじゃない。殿下と首飾りに傷はつけられないわよ……依頼品だしぃ」

 最後を力なく呟いて――依頼品じゃなかったらどんな扱いを受けるのかと王弟を恐慌に落として――カルは何か使えるものはないか、と中を見回す。が、特に使用出来そうなものはない。

 そこで降りてきた隠し階段に思い至った。

「あの階段は下まで続いてるの?」

 王弟は頷くが、表情は冴えない。

「あの階段は地下まで続いているが、どの扉も鍵がかかっている。開いているのはここと最上階だけだ。他は出られない」

「鍵? 隠し階段なのに?」

「ああ」

 カルの瞳は輝きだした。

 開けられない鍵を開ける、これこそ盗賊冥利に尽きる。しかも、それなら今回の仕事に気乗りしないニコを煩わせることなく、この大きな依頼品を運べるかもしれない。

「あたし行くけど殿下はどうする?」

「私も行く。それから――私のことは名前で呼んでもかまわない」

「名前…………ユーガウド?」

 カルは一瞬、名前なんだったかな、と思ったことなどお首にも出さず、聞き返した。

 彼は胸をはって答える。ただし、それは少しだけカルの気分を損ねる結果になるのだが。

「そうだ――カルは特別に許す」

 聞いてカルはぷいっとそっぽ向く。

 嫌だ、というような彼女の様子を見て、王弟はおろおろとする。ただし検討違いの勘違いをしてはいた。

「いや、何でもいい! 好きなように呼んでくれてかまわないから」

 焦っている。

 狼狽している。

 それはそうだろう――王弟にしてみたらカルはここから連れ出してくれる唯一の手段で、彼は依頼人であっても依頼品そのものなのだ。

 うろたえる彼に申し訳ないがカルは段々楽しくなってきた。王弟の素直な反応は、ニコや他の人に望めないものだからだ。

「ふうん……じゃ、ピイピイとかニコニコでもいいんだ?」

 王弟はうっと怯む。慌てた様子さえ面白い。

「嘘よ――好きなように呼べって言われてもね。だったら新しい名前考えてみたら?」

「新しい名?」

「ここから出たら殿下はもう殿下じゃなくなるわけだから、ユーガウドなんて呼べないわ。ここに王弟がいるって言ってるようなものじゃない」

 カルがカルになった時、喜びと、未知への憧憬と、希望があった。不安はゼロではなかったけれど、新たな自分を誇れるように生きようと思えた。

 王弟にもそれを感じて欲しいから。だから、カルは軽く笑むと彼を見つめる。


「――生まれ変わるのよ。自由になるんだから」


 二人の視線が交錯する。

「名前はそのための第一歩だと思うわ」

 王弟は、そんなカルをみて、何かを振り切るように決意を見せた。

「――そうだな、その通りだ」

 自分の言葉に、暗示を受けたように、段々と王弟の様子は自信に満ち溢れたものへ変わっていく。

「では、新たな生を送るための名をカルがつけてくれ」


[人物紹介]更新

ファイル3:ガウド

名前を変えて新たに生きようとするユーガウド・トルディキアのこと。

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