3.秘された力!?
「と、ゆうわけでニコ――今すぐ飛んで?」
定位置である窓辺の長椅子でまどろんでいた大烏が小さく欠伸をして、眠たそうにカルを見る。
その仕草は実に人間臭い。
「どこへだよ? おりゃ眠いよ」
「やぁね、盗賊のくせに夜に弱いなんて……ほら、起きてよっ! 用があるんだってば」
昼間仕事にせいをだす盗賊もいないではないが、カル達はイメージ通りに夜が稼ぎ時間だ。
この国は霧が発生しやすい。霧のお陰で夜間は、家々の灯りが幻想的で王都も立派な観光地だ。
そして霧のお陰で仕事もしやすいのだ。
「いくら霧が出てるっていっても、おりゃ目立つのは嫌いなんだよ」
そんな大きな体で何を言う、とカルの視線が大烏に向かう。視線に気付いたニコは咳払いした。
「……仕事じゃねえんだろ?」
「仕事の一貫。出して出して」
「乗り合い馬車じゃねえんだよ。ったく――で、どこ行くんだ?」
大きな翼で目を擦り、ニコは話しかけた。
「王宮」
ニコはいっぺんで目がさめたらしい。闇色の瞳がきらめく。
「はあ? いや、何のために?」
「依頼人ともう一度話をするの」
「依頼人と接触? そんなの初めてだろ」
カルは燃えていた。
「取引を持ちかける程の奴だから何か考えがあるんじゃないかと思って」
「で、俺を馬車がわりに王宮へ行って聞いてこようってわけかあ?」
肯定のかわりに、ぶんぶんと首を縦にふる。長い黒髪が舞った。
「まあ、カルの頼みなら仕方ねえか。おりゃ、カルに甘いなあ」
「よろしく!」
「んじゃ支度しな」
カルの服は普段着だ。すみれ色の古ぼけたシャツに、くすんで汚れたズボン。さらに裸足である。
《アカツキ》の生活水準は意外に低い。二人の生活のスローガン――贅沢は敵だ。
ニコは一抱えもある鞄を嘴でカルにむかって放った。
それらは、通常は天井の梁に隠してあるものでニコでないと取ることが難しい。中身は仕事道具である。万が一、ないと思うが万が一衛士が調べに来た時のために隠してあった。
闇夜に紛れる漆黒の衣装に、足音のしにくい素材で出来た黒のブーツ。滑り止めのついた黒い手袋はすでに手に馴染む。髪をまとめるリボンでさえ黒い。
一番底に入っていた、柄に緋色の輝石を埋め込んだ黒光りする護身用の短剣を腰のベルトにきゅっとはめて、いざ出陣である。
「行くよ!」
そう言うと、ニコの返事を待たずに勢いよく窓から飛び下りた。耳を切る風の音がしてすぐに暖かな背に着地、飛翔する。
一直線に、王宮の月の塔を目指して。
飛んで数分――聞こえてくるニコの声。
「俺の羽、湿ってきた……」
それはすねたような情けない声。
「しょうがないでしょ。トルディキアは霧けぶる幻想国、湿気はお友達なんだからっ!」
「俺の羽、痛むよう……」
相棒の泣き言は無視する。いつものことだ。
カルの肌もうっすらと水滴が浮く。仕事の衣装も湿っていた。だが、仕方ないし、いつものことだ。
「あと少しだから、がまんがまん! 額飾りの報酬で乾燥剤買ってあげるから」
何たって六百も貰えるんだから、とウキウキとカルは呟いた。
心なしニコの首が下がる。
「……ふかふかのタオルも付けてくれよ」
「了解!」
さらに飛ぶこと数分。ようやく王宮の正門が見えてきた。
前回忍び込む前にネズミに聞いた見回りの交代時間まであと少し、どさくさに紛れて今日も侵入の予定だ。
「二分後……行くよ!」
「わかってらぁ」
まかせろ、と言うようにニコは高く高く上昇する。雲近くまで昇り、王宮の深部へ移動。もうこの高さからは家々の灯りすら濃霧に巻かれる。
カルの黒髪がばさりと逆立ったのを合図に、突然ニコが滑空した。灯りが高速で近付いてくる。
きっかり二分後、カルは《月の塔》の最上階の窓枠に手をかけていた。腕の力を頼りに自分を塔の内側に引き上げる。
「こんばんわ」
部屋に向かって小さく声をかける。だが、当然ながら誰の返事もない。
「この階に住んでるわけじゃないとは思ってたけど……さてさて」
カルは意識を集中した。
部屋の壁にその気配はあった。
ゆっくりと壁に近付き、驚かせないように囁く。
「ちょっと教えて、幽閉されている王弟はどこにいるの?」
壁の向こうで小動物が息をのむ、微かな気配がした。
「私はカル――お願い、教えて」
(……何の為にそれを知る?)
くぐもった小さな声なき声が返ってきた。
猜疑心の強い響き。
こんな時、協力者に嘘は許されない。例え相手が何者であろうとも。嘘は仕事に支障をきたす。
何よりカル達の掟だ。人間以外の動物に嘘はつかない、と決まっている。
だからカルは正直に伝えた。
「王弟を自由にするために」
壁の向こうにいる小動物は、その答えに満足したらしい。
(ではお前、いや、あなたが《アカツキ》か? 話は聞いている。詳しいことは我が孫に聞くといい)
それっきり、壁の向こうからは何の音沙汰もない。
「……孫はどうしたのよ」
カルが呟くと、足元でチュと小さな鳴き声がした。
(あのひとは五階にいます)
カルはしゃがみこみ、小動物――ネズミに手を差し出した。ネズミは素直に手に乗る。
おかしなことに人間に慣れているかのようだ。
「あなたが孫?」
はつかねずみだ。真っ白であるはずの体は煤けて汚れていたが、首を傾げるようにしてカルを見つめるその仕草は愛らしい。
(そうです。ご案内します、あのひとのところまで……)
カルは軽く頷き、ネズミを掌に乗せたまま中を見回した。
前は――恥ずかしながら――そんな余裕はなかった。あの男のせいで。
薄暗い塔の内部は、とても宝物庫には見えない。なぜ、額飾りの依頼人はこの場所を指定したのだろう。
不に落ちない。
――何か思い違いをしている?
(……あの……どうかしましたか?)
カルの手の中でネズミが心配そうに鼻をひくつかせていた。桃色の小さな手足がプルプルしている。
「何でもない……階段はあっちだよね?」
カルはその先に階段があるであろう扉を指差す。重厚な扉は見るからに重そうでうんざりする。ただ塔の登り降りには階段以外に道はない――筈だ。
(だめです。あそこは通れません。鍵がかかっているとかで……)
「じゃあ、窓の外から?」
カルは入ってきた入り口を指差した。
だが、ネズミは小さく首を振る。
(違います。隠し階段があるのです)
「隠し階段? この塔、そんなものがあるの?」
(逃げ道の確保、とあのひとは言っていました。難しいことは私にはわかりません。すみません)
「別に謝る必要ないわよ。……それで、どこ?」
ネズミは鼻先で左の壁を示した。カルは素直にそれに従い、壁に寄る。だが、寄ってみてもそれはただの壁に見える。
(そこを押して下さい……)
ネズミは小さな前足で石壁を差した。
「そこってここ?」
なんの変哲もない壁――それをカルはそうっと押した。
――ガチン。
何かがまわる本当に小さな、微かな音。
石壁の一部が内側に向かってスライドすると、細く隙間を見せた。それは人ひとり、やっと通るか、というぐらい狭い。
ぽっかりと開いた隙間の奥は真っ暗だ。暗すぎてネズミがあると言った階段は全く見えない。
隙間から顔だけで中を覗くが、どんなに視力がよくてもこの中では見ることが出来ないだろう。
国は今夜も濃霧で、窓の少ない塔内部も薄暗い。そんななか、さらに狭い隠し階段に光が届くはずもなかった。
「これじゃ、さすがの私も降りられないや」
不用意に足を踏み出すことほど危険なものはない。
基本的には慎重に調査してから仕事にとりかかる質だ。今回に関していえば、最初から後手にまわっているが、それは今回がのっぴきらない事情があった特殊な件であるせいもある。
仕方ない。
「中に入ったら火をつけるから、君は安全なとこにいて」
一歩、すり足で中に入る。階段がどこから始まっているかわからないためだ。
中に入ってみると意外に広い。一人なら十分通れる。
「これ、どうやって閉めるの?」
(……えっと、左の壁に仕掛けがあるはずです)
ネズミの言った通り、隙間の左の壁を順に押す。腰の辺りで、煉瓦が動く感触がし、急に暗くなった。
「わっ、びっくりした……すごいや、この仕掛け」
扉を閉めてしまうと、前も後も、掲げた自分の手すら見えない。闇に恐怖はないが、それでも何が起こるかわからないので用心する。
掌にかかっていた微かな重みが消え、ネズミが掌から飛び降りたのを知る。
懐を探って取り出した照明灯をつけると、ぼんやりとだが隠し階段の全貌が見えた。
人が十分通れる幅の階段が下に続いている。
「王弟がいるのは五階だよね」
(そうです)
「じゃ、用心しながら降りますか」
足を踏み出したが普通の階段だった。
少しだけ不安だったのだ。何かの罠があったら、と。何分、ここは調査してある場所ではないため、カルもいつも以上に慎重にならざるをえない。
ゆっくり伝い降りること数分、五階らしき部分についた。
「五階――だね」
(……ここにあのひとはいます)
「うん、ありがとう」
カルは神経を研ぎ澄ます。扉――らしき壁の前には誰もいないようだ。気配を感じない。
照明灯を消す。暗い場所で灯りがあると、かえって近い位置は見えにくいからだ。
カルはベルトに下げた短剣を利き手で握り締め、壁を押す。
扉はゆっくりとスライドする。段々と隠し階段に差し込む光量は増える。
急に入るのは、中の様子がわからないので危険である。もしかしたら、気配を消し、武器を持って待ち構えている可能性もある。静かに深く息を吸い、一拍待ったが、何の反応もなかった。
カルが安堵した瞬間、サッと差し込んでいた光が陰る。
――待ち伏せされてたっ!
隙間の向こうには、逆光でシルエットだけの男が立っていた。
[人物設定]
ファイル3:ユーガウド・トルディキア
現国王の弟だが、その存在は長い間月の塔に隠されていた。世間知らずの孤独な青年。