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青い話  作者: 橋延傘野
1/2

藍と紺

 「殺すんじゃなかったんです?」


 ナイフの切っ先を私の喉元に突き立てたまま、微妙な表情をして動かなくなった男に言う。満面の笑みで言う。早く殺せ。

 今更躊躇したのだろうか。それならばと戸惑う男のナイフを持つ手を掴み、引き寄せる。刃が食い込む感覚。痛い。痛みも恐怖も苦しさも死へ繋がる全てが快感に等しく私の中で蠢く。


 「何でそんな楽しそうなんだよ」


 男はとうとう私を押し退けナイフを取り落とし一歩下がった。なんだ。この意気地無し。

 一歩近付けば一歩後ずさる。逃げようとはしない。


 「あのね」


 男はじっと私の目を見る。言葉を待つ。


 「殺してくれれば自分で死ぬ必要が無いの」


 沈黙。周囲に人の気配はまだない。

 また口を開きかけると、一拍おいて男は納得したような表情を浮かべた。そして少し嬉しそうな声で言う。


 「はは、……」


 男はその場にへたり込んで私に言う。


 「俺と、友達になってくれませんか」


 


 イエスと、言うべきなのだろうか。


 


××


 


 「あの、犯罪未遂者さん、私お前と友達なの?」

 「俺藍澤です、そっちの名前何ですか、あとLINEやってないすか」

 「紺野です。帰っていいですか?」

 「送ってきますよ、ついでに家お邪魔していいですか」

 「何だお前帰れよ」

 「いいじゃないですか初めて同類見たんですよ嬉しい」

 「何も良くねえ」


 男は家まで付いてきた。


 何が何だか。男に懐かれたのか。撥ね付けきれずに結局家に上がらせてしまった。まあ別に何されても困るような事はないからいいか。

 男は女の部屋にテンションが上がっているのか落ち着きがない。ベランダから落としてやろうかと思った。


 「紺野さんもしかして同い年」


 私はまだ同類の定義を測りかねている。死にたがり、というのが一番それっぽい気がするけど。


 「えっ俺と同じ大学じゃん」


 勝手に人の財布覗くんじゃねえよ。学生証と財布を奪い返して冷たく見つめた。だがしかし男は嬉しそう、Mか、マゾかよ、そうかい。自己完結。


 「ところで」

 埒があかないので切り出す。

 「同類って何が」


 ああ、と男は呟いてぽつぽつ喋り出す。長くなるかもしれないな、と思った。


「俺死にたいんですよ」


 ああ、そうなのね、やっぱり。


 「でも死ねない。怖い。まあ不慮の事故なんかでも起これば良かったんだけど。だから他人を殺せれば自分も殺せる、死ねるかなと思った。まあ殺せなかったけど」


 何なら殺してくれてもいいよ。

 そう言って男は、藍澤は笑う。

 私も笑った。確かに、私と同じと言えば同じか。でも私は。


 「私はね、殺してほしいんだよ。自分で死ぬのが怖いから、自殺だと後ろ指差されるのが嫌だから。そりゃ不慮の事故でもいいかもしれないとは思うけど、どうしても家族や知り合いが頭に浮かぶから。絶対に私が悪くない方法が良かった。だから殺してほしいの」


 あと


 「死ぬのって気持ち良さそうで」


 「うん、全部無くなってみたいと思う」


 ほんと。どうしてこんななんだろう。

 藍澤が笑って、私が笑って、きっとこのままどちらも死ぬ事なんて出来ないまま未遂だけが積み重なっていくんだろうなと、そう、思った。

こいつになら何でも話せるような気がしたし、こいつとなら何でもできるような気がした。ただの錯覚かもしれないけれど。

どうしようもないなあ、と私も少し嬉しかった。


 


××


 


 夜遅かったしそもそも藍澤が帰ろうとしなかったため、その日は泊めていた。

 律儀に床で寝ていたので私の方が申し訳なくなって布団に呼んだ。案外あっさり入ってきたけれど。背中合わせでお互いに触れないようにして眠った。

 何故か人の気配が懐かしかった。


 


 朝、起きてテレビを付けた。

 ニュースを見ていると、ある事件に目を奪われる。

 私達が会った場所、その三日前、死体、殺人、捜索中。私が初めてではなかった可能性。そうだよな、と納得する。この犯人は。

 さっき藍澤はまだ寝ていたけれど、私がニュースを見ている途中で起きたようだった。突然テレビの電源が切れる。

 振り向くとリモコンを持ったままの藍澤に作り物のような笑顔で笑いかけられる。

 私も笑ってやる。


 


 藍澤は思い出したように妹の話をする。

 優しい妹、可愛い妹。

 私はそれが嘘だと知っていた。藍澤は決して私の目を見て話そうとはしなかったから。

 そもそも存在から嘘だったかもしれない。何でこんな作り事を話すのだろう。

 もしかして私と話すためだったのかもしれない。そうだったら少しだけ嬉しい、と思った。


 そんな人最初からいないよね。


 そんな言葉は言えなかったけれど、私は黙ってその話を聞いていた。


 


××


 


 「あ、バイト行ってくるね。お腹空いたら好きに食べていいよ」


 いつの間にかというよりそのまま、藍澤は私の家に居着いていた。まだ学期の途中だったけれど、ここ一週間私達は学校に行っていない。もういいんじゃないかな、というのが多分両人の思うところ。

 私はバイトにだけは行っていた。藍澤はそんな私を不思議そうに見ていた。


 「いってらっしゃい」


 ただ理由は聞こうとはしない。何かあるのかなくらいは思っているのだろうけど、問い詰めようとはしなかった。

 気遣いかな、そう思うと何だかおかしい。人殺しのくせに。そう思って笑みがこぼれた。


 


 「二人で食べるのだったらどれがいいですかね……」

 「それならこちらがおすすめですよ。お誕生日用ですか?」

 「……ぅ、はい…………、えっとこれでお願いします」

 「プレートは要りますか?」

 「いいです!そのままでいいです……」


 店主と客のやり取りを背中で聞く。クッキーの包みを並べながら、彼女さんと祝うのかな、この人いい顔してんな、とか思う。

 バイト先はケーキとお菓子のお店。びっくりするくらいの量のお菓子が置かれた店。甘い匂い、可愛らしい空間。私には似合わない空間。

 突っ立っていると店主に呼ばれて慌てて答える。


 


××


 


 藍澤。藍澤七緒。

 女の子みたいな名前だ、そう言うと藍澤はよく言われたと苦笑いする。

 もう一週間経ったけど。そう言うと藍澤は目を細める。


 「殺してほしいの?」


 イエス、ノー。はい、いいえ。殺されたい、殺されたくない。死にたい、死にたくない。

 正直どっちでもよかった。


 「殺してくれるの?」


 おどけて言う。藍澤は何も言わなかった。だから言う。


 「ケーキ買ってきたんだよ。大きいやつ。」


 「一緒に死ぬ?」


 藍澤は何も言わない。じっと私の目をみる。


 


 バイトは辞めてきた。引き止められはしなかった。そしてこの店で一番大きいケーキを買った、店主に驚かれた。

 「一人で食べるの?」と。

 一人暮らしだとは言っていたし、友達がほとんどいないとも家族と仲がそこまで良くないことも言っていたから。


 「もう一人いるんで大丈夫です」


 二人でも大きくない?そう言って店主は笑って、蝋燭までつけてくれた。いらないと言ったけれど詰め込まれた。


 


××


 


 甘い。口の中で溶けて混ざる生クリームが酷く甘い。ケーキはまだ半分も食べれていない。フォークを落とす。

 キスを、されている。私は何となくぼんやりと目を閉じれないままでいた。

 嫌悪感はなかった。こいつ上手いな、とは思った。

 甘ったるくて、何だかくすぐったくて、涙が溢れて、笑ったら、優しく優しく抱き締められた。


 「いいの?」

 「いいよ」


 綺麗な冷たい指が首筋に触れて、私は少し身を捩った。

 少しずつ、でも確実に、指が食い込んでいく。息が詰まっていく。

 あ、と思い出す。

 そのまま手探りで机の上に置いてあるナイフを手に取った。藍澤の、七緒のナイフを。

 七緒を刺すためのナイフを。


 目の端で、蝋燭の炎が優しく揺れた。


 「ななお」

 「……弥生」


 かすれる声で言うと答えるように呼ばれる。今更、いや、もう、かもしれない。名前なんかで呼ぶのがわざとらしくて私は笑った。七織も笑った。七緒はいつの間にか声には出さずに泣いていた。透明な液体が七緒の頬につらりと垂れる。

 ねえ、私とあなたは、同じ人間だと思っていたんだけどさ。もしかしたら少しだけ違ったかもしれないね。思うだけ。声には出さない。


 酷なのだろうか。一瞬そう思って、しかしやめる気はさらさら無かったけれど。


 七緒に床に押し付けられる力がまた強くなって、そうして私は目を閉じた。そして精一杯の力を込めて、ナイフを七緒の胸に突き立てる。鈍く光る刃が見えなくなるまで。確実に死ねるように。

 埋もれて、溢れる。

 目を開けないままだったから、七緒の表情は分からない。笑顔だったか、辛そうな顔だったか、分からない。私はナイフから手を離した。

 その瞬間七緒の体重がどっと掛かって、首を絞める力がぐっと強くなって、私は口の端から涎が垂れているのを感じながら、頬に自分の物ではない涙が落ちるのを感じながら、かかる生暖かい液体を感じながら、解けるように意識を失った。


 


××


 


 七緒と出会って、そうしてなにか変えられるかも知れないと思っていた。

 実際それは正しかった訳だ。


 


×


×


×


 


 人が殺されるのを見た。人気のない道、森のすぐそば。鮮血が飛び散るのを物陰から見ていた。

 犯人は誰だか分からないが、被害者は女性だった。

 言いようのない興奮と疼きに襲われて、殺されたい、と思った。殺したい、とそう思った。


 俺はただただ死にたかった。

 気付けば機会を伺いつついつ死ねるかだけを考えていた。けれど昨日遭遇した殺人を見てからはこう思った。

 殺せることが出来れば死ねるかもしれないと、殺されることができるかもしれないと。

 次の日、俺はその道で恐らく同年代であろう女性に襲いかかった。


 その女性は俺の持ったナイフに気付くと、嬉しそうに笑った。

 その笑顔はとても綺麗なものだった。


 きっと一人でずっと思い続けてそのまま生き続けるんだろうと思っていた。俺には何も出来なかった。どうせ死ぬ気はないのだ。

 死ねる気は、ない。

 そう思っていた。


 


×××


×××


×××


 


 寒い。


 開け放った窓。

 崩れたケーキ。

 固まった血液。


 冷たく重く横たわる死体。


 そもそも殺す気なんてなかったのかもしれない。それともただ殺せなかっただけかもしれない。どっちにしろあんな勢いに任せて心中なんてしちゃいけなかったんだ。どちらかが残るなんてのが一番駄目だなんて、そんな事知ってたのに。分かってたのに。私が私だけが残りたくなんてなかったのに。そんなわがままを死体に向ける。


 私はそれを触ることすら、それ以前に動くことすらできなかった。怖かった。初めて死が怖いと思った。死んだ貴方がどうしようもなく怖かった。微かに笑みを浮かべた表情を見ていることができなかった。私は目を閉じてうずくまる。

 死んだ七尾の顔は頭から離れなかった。やはり泣いていたのだろう。頬に涙の跡がまだ残っていて。多分彼は、もう殺したくなんて死にたくなんてなかった。私はそれを分かって無理矢理殺した。殺させた。私だけの為に。


 私に会いさえしなければよかったのに。さっさと他の誰かを殺せていればよかったのに。私なんてさっさと殺しちゃえば何も思わずに死ねたのに。


 私だって、殺さなければ良かったなんて思いたくなかった。


 思いたくなかった。


 いつの間にか泣いているのは私だった。貴方の事が可哀想で愛しくて辛くて苦しくて私は暗い部屋で嗚咽をあげて泣いた。他人のためになんて泣けないと思っていた。他人を想う事なんてもう無いと思っていた。そう思っていたのに。


 どうして貴方は死んでしまったの。

 どうして貴方を殺してしまったの。


 何で私は生きているの。


 甘い甘いケーキの香りが風に揺らぐ。冷たい風に身震いして、泣きながら、死ぬこともできない。これからどうしようかと、虚ろな頭で、考えた。

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