I (don't) need you.
冬のように冷えた春だった。桜もそろそろ終わりだと言うのに雪が大学の入学式を祝うように降り続けていた。慣れぬリクルートスーツを不格好に着込んだ新入生たちは、みんな同じように顔に雪を付けながら思い思いの写真を撮り、新たな生活へと胸をときめかせていた。
「りこー、これと写メって」
彼もまたその一人であった。リクルートスーツを着た彼は背が高くがっしりしているので黙って立っていれば社会人のように見える。しかし、大学のマスコットでもない蜜柑のゆるキャラと肩を組み、大いにはしゃいでいるとまるで七五三の子どもだ。
高校時代同じ部活で同じ大学を目指していたが結果私は合格、彼は不合格となり、彼は1年浪人して晴れて合格した。私はおめでとうと伝えるために新入生のわんさか溢れる入学式へ足を運んでいた。式に出るわけでもない私はもちろん私服で来ていたがむしろ私服の方が浮いていた。
「んじゃ携帯貸して」
ほい、と渡された携帯を受け取り、ロックを外して携帯を彼と蜜柑の精へと向ける。
「はい、チーズ」
かしゃ、という音が響き、彼がオッケー? と声を掛けた。
「こんなんでいい?」
彼に携帯を渡すとオッケー、と言いながら私と自分にレンズを向け、そのままかしゃという音が聞こえた。
「え!?」
「へっへー不意打ち」
彼はにやりと嬉しそうな表情を浮かべ見せつけるように携帯を振って見せた。
「絶対今私間抜け面だった」
「いつも間抜け面してるだろお前は」
「ひどいなー」
私が軽く睨んでみせると、彼は意地悪な表情を引っ込め、ふっと軽く笑って見せた。
「また大学でよろしくな」
そして彼と私の学校生活は再び始まった。
***
「りこ、助けて」
彼は毎晩甘えた声で電話を寄越す。それはほとんどが新しく始まる大学生活に向けての不安だ。
高校のときから彼が浪人中の時も今回の模試はこうだったとか、今日はこんなことしたなどの報告の電話が彼から来ることがあり、月に1度毎度1,2時間ほど喋るのがお決まりになっていた。
「どしたの」
「履修こんなにすかすかでいいのか俺わかんななくてさ」
「今日履修登録に関するガイダンスあったんでしょう?」
「めんどくて寝てた」
「まったく。それは単位制限があって……」
私と彼は学部が違うものの1年生の授業はほとんど同じため、彼にとって唯一2年生の知り合いである私に細々とした相談を持ち掛ける。
「おーできたできた。サンキューな。あーあ、あとは友だちかー」
彼は憂鬱そうに溜め息をついたようで、息が電話を伝って大きく響いた。
「そんな不安になんなくたって、みんな同じ1年生だし、知り合いがいない状態で入ってくる人なんてざらだよ。そんな不安がらなくたって」
「俺みんなのいっこ上だしさー」
「浪人してでもここに来たかったんでしょう?」
「まあね」
彼は再びうぅん、と溜め息をついた。
「まあ、お前がいるしな、大丈夫か」
これを他の女の子が彼から聞いたら頬を染めるだろう。彼は何度か女の子と付き合ったことがあるが、束縛を極端に嫌い、また誰かに対して甘えることも好まないタイプなのだ。簡単に落ちる女の子を小馬鹿にしている節さえあり、そこはあまり好きになれず話を振られても適当に返していた。
なぜ、彼は私には甘えるのだろうか。
彼が浪人中、電話でふとした時に聞いたことがある。明日の天気予報は雨だったかな、と訊ねるような調子でなんとなく聞いてみたのだ。
「ああ、それはお前は俺を好きじゃないから」
そう、明日は雨らしいね、と言うように彼も自然に答えた。
「好きだよ?」
「そう言うんじゃなくて、恋愛感情ないだろ、俺に」
彼が言うには、仲良くなる女の子は尽く恋愛感情を持たれ、いろいろとアプローチをかけられるのが面倒らしい。他人が聞いたらカチンとくるような言い種であるが、事実であったため、なにも言わなかった。
彼は183センチの高身長、運動神経万能、勉強の成績もそこそこという親しみやすい立ち位置で、とにかくうんざりするほどモテるのだ。そこを理解しきっているのがかわいくないところだが、友人としてユーモアセンスがあり、友人を大事にする良い奴だと思っている。
「まあ、恋愛感情は無いね」
そう答えつつ、私は心のなかで溜め息をついた。
頼られるのは嬉しいが、恋愛感情が無いからなんてAとBは違うからC、のような消去法的理由で甘えられるのはいい気分にはなれなかった。
「だろ? だからりこは安心できんだ。おっと、そろそろ勉強戻るわ。んじゃまた電話する」
「うん、勉強頑張れ」
「おう、おやすみ」
「おやすみ」
何時ものように電話を切ったが、これっぽっちも面白くなくその日はそのままふて寝してしまったのだ。
そのことはずっと胸に引っ掛かったまま、私と今日も彼と電話をする。
なにが面白くないのだろう。私は何に対して不貞腐れているのだろう。このもやもやする感情はラベルを貼るとしたらどんなタイトルをつけるべきなのだろう。
「困ったらまた助けてよ」
そう、むなしい。どこかむなしい。
本当に私を彼は必要としてる?
困ったときのお助けグッズではないの。
「そうそう、あとさあ、高校の時同クラだった女の子から突然メール来たんだけどさ、どうすれば良い?」
「え、誰?」
んっとね、と彼は躊躇いもなく名を告げる。相手の女の子はまさか私まで知ることになっているなんて思いもしないだろう。
「別に、メールしたけりゃすればいいんじゃないの?」
そんなの自分で考えれば良いのに、と言わんばかりになげやり気味に返すと、彼は違うんだってばと言った。
「あいつ彼氏いるんだぜ? なんか気遣うじゃん」
「じゃあ、私に彼氏いたらどうする?」
心がどうしてか震えた。何を求めているんだろう、私は。
「お前彼氏いるの?」
「ふふん、そしたら?」
「そりゃ気遣うかもなー」
何かが切れる音がした。電話を勢いよく切られたようにがちゃんと。何かが自分の中で終わりを告げた。
ビジー・トーンが頭を駆けていた。ツー、ツー、ツー、がちゃん。おわり。
「そう」ほとんど息を吐き出すように声を出した。
「で、いるの?」
「いるわけないでしょばか」
声は震えなかっただろうか。口の中はきな粉餅を口に含んだようににぱさぱさしていた。
所詮、私は彼が少し見下している女たちと同じだったのだ。ただ、私が彼が好きじゃないという理由だけで電話をかけてくる奴なのだ。そして、それこそゴミ箱へ放り込むように無造作に何の考えもなく。
心臓に冷たくて大きな石を投げ込まれたようだった。心臓が冷えて、石の重さで下が千切れそうだった。
私は恋愛感情として彼を好きではない。でも彼のことはとても好きなのだ。全力で彼と向き合い、ドミノを立てていくように、慎重に、着実に2人の世界を組み立ててきたつもりだった。
一体いつからドミノは倒れていたのだろうか?
友人として必要としてほしかっただけなのに。どうしてうまくいかないのだろう。
彼氏がいるからという理由で気遣われるような脆い関係なんて嫌だ。付き合う対象として見ていないなら、最後までそれを貫いてよ。置いていかないで。
叫んで、心臓にある重い石を彼に投げつけてやりたかった。
「りこ?」
そんな甘えたように呼ばないでほしい。
「何?」
「今日調子悪い?」
「別に、どうして?」
「なんか疲れてんのかなーっと。2年も大変そうだし」
「そうだね、なんだか疲れた」
「そっか、じゃあそろそろ電話切るよ」
彼は心底私のことを気遣い、心配してくれているようだった。
「うん、じゃあまたね」
「また」
「ねえ」
「何?」
「なんでもない」
「早く寝ろよ」
「うん。おやすみ」
「おやすみ」